つい先日年が明けたと思っていたら、あれよあれよというまに一年も半分過ぎていきました。 文字通り 光陰矢の如しです。
今年は6月下旬から記録的な猛暑が続き 3日(日)、東京都心では、正午過ぎに最高気温35.3℃を観測し、9日連続の猛暑日(最高気温35℃以上の日)となりました。これは、1875年の統計開始以降、猛暑日の連続日数の記録を更新し、最長記録となっています。
湿度が高く、寝苦しい夜が続き 体にこたえる暑さが続きます。
加えて感染が再拡大しているコロナの新規陽性者数の増加比は、2週間連続して100%を上回って上昇しており、引き続き警戒が必要です。
気象庁が定義している「猛暑日(もうしょび)」とは、「最高気温が35度以上の日」のことです。 「猛暑日」というのは、「真夏の耐えがたい暑さ・日中に長時間屋外にいることが危険な暑さ・冷房(エアコン)なしの室内で熱中症リスクが高い暑さ」として解釈することができます。 2000年代以前の昔は、摂氏35度以上になるほどの暑い日は少なかったため、「猛暑日」という正式な気象用語はありませんでした。 しかし、2000年代に入ってから摂氏35度を越える猛暑が毎年当たり前のように多くなってきたため、2007年4月1日に気象庁が気象用語を改正して、最高気温が35度以上の日を「猛暑日」とする定義を発表しました。国内での猛暑日の連続日数は、24日。 2020年岡山県高梁市で観測されました。年間猛暑日日数 は 45日で 大分県日田市(1994年)で観測されました。(出典: ウィキペディア)
「小暑」は二十四節気のひとつです。 例年七夕のころから次第に真夏の暑さが増していくのですが 今年は25日あたりから記録的な猛暑日がスタートしてしまい、下旬には梅雨が明けたため「暦」のうえより10日以上早く真夏のような時期が訪れたのです。
2022年の小暑は、7月7日から7月22日です。毎年7月7日頃~7月22日頃にあたりますが、日付が固定されているわけではありません。二十四節気は季節の移り変わりを知るために、1年を約15日間ごとに24に分けたものですが、太陽の動きに合わせて1年を24等分して決めるので一定ではなく、1日程度前後することがあるからです。
体感では今年は気候の変化が暦より少し早めにやってきました。氷河が突如溶けて雪崩を引き起こしたり温暖化現象は地球上の各地でいろいろ影響を与えているようです。
なにはともあれ 梅雨明けの前後には、セミが鳴きだし、このころになると 湿っぽさの中にも夏の熱気が感じられるようになります。 若干のずれはあるものの、江戸時代の暦の解説書『暦便欄』でも、「大暑来れる前なればなり」と記されています。
小暑の初め、7月7日といえば七夕です。七夕飾りや行事食のそうめんを食べながら、七夕伝説を表す星を探すのもおつですね。浴衣を着る機会でもあります。朝顔は中国名「牽牛」(彦星のこと)ということから、7月7日を中心に朝顔市も開かれます。
小暑の次が大暑です。
あつい風が吹いてくる時期です。現在、温風といえば暖房の温かい風をさしますが、本来は梅雨明け頃に吹く南風をさしました。梅雨の湿気も伴い、蒸し暑くなってくる頃です。
蓮の花が咲き始める頃。蓮の花は、早朝に開いて昼には閉じてしまいます。蓮の根がレンコンです。
蓮は泥の中に生まれても汚れなく清らかに咲くことから、周りが汚れた環境であっても、それに染まらずに清らかでいることを「蓮は泥より出でて泥に染まらず」「泥中の蓮」などといいます。
仏教では多くの仏典に「蓮華(れんげ)」の名で登場し、仏像の台座にもその形がよく使われています。
鷹の幼鳥が飛ぶことを覚える頃。巣立ちの季節です。
鷹の子は、飛び方を覚えて狩りを学ぶと親のもとから巣立っていきます。
古くから鷹といえば大鷹をさし、鷹狩りに使われてきました。
日本に生息する猛禽類の中で、食物連鎖の頂点に立つのが大鷹です。
七夕は織姫星と彦星が、年に一度だけ天の川を渡り、会うことが許された特別な日です。 京都の北野天満宮での七夕祭り、香川の金刀比羅宮での七夕蹴鞠など、各地で様々な七夕行事が行われます。
古代エジプトではピラミッド建造の労働者に与えられたという大蒜。 大蒜に含まれるアリインという成分が、エネルギーを発生させてくれます。スタミナのつく食材であり、暑い夏を乗り切る食材の代表格です。
鮮やかな発色をしている羽が美しく、世界中に愛好家の多いアゲハ蝶。 実は、毎日ほぼ同じコースを飛んでいて、このコースは「蝶道(ちょうどう)」と呼ばれています。
鰻は万葉の時代から薬代わりとして、土用の丑の日などに食されてきました。 疲労回復の他にも、視力回復や皮膚、髪、痛めた喉などにうるおいをもたせる効果もあります。
祇園祭は京都の祭りと思われがちですが、京都だけではなく全国にある二千三百の八坂神社でいっせいに祭りが行われます。総本社である京都では七月一日から一か月も続く長い祭りとなります。
https://www.543life.com/season/shousho
すでに猛暑日連続9日を経て 東京では記録的な猛暑の夏を迎えようとしているかに感じる。
知人のN氏が 北海道一人旅の結果を毎日 自慢の写真を厳選してFaceBookに投稿している。 ほれぼれする出来である。じっと見ていると 北海道がじわじわと伝わってくるのだ。 こんな暑苦しい日は北海道の気候が恋しくなる。
「いい写真ですね。いまだかつて こんなにまで 北海道が伝わってくる写真を見たことがありません。N先生の腕前はすでに達人の域からプロのカメラマンの領域に入った感があります。惚れ惚れしますよ。」と思わず書き込んだ私のコメントに対する答えが「褒めすぎですが、嬉しいです。ありがとうございます。」
褒めすぎと謙遜しながらも喜ぶ。 でも まずは 褒めすぎと謙遜する。奥ゆかしいのである。
日本人は桜を愛する国民である。理由は人それぞれあるのだろうが、ぱっと咲いて さっと散る その潔さが心地よい。満開の桜は豪華であるが、花弁のその色は決して華麗ではない。淡く奥ゆかしいものである。そう「奥ゆかしい」のである。
奥ゆかしさがとりえのひとつであった日本人から、謙譲の美徳や恥の文化がうすれていったのはいったいいつごろからだったのだろう。 科学技術の進歩は確かにスピーディで便利な生活をもたらした。
その引き換えに、どこか余裕のない、ともすれば人の情を失くしつつある世の中になっていく。テレビが普及し始めた頃、昭和30年代初頭の生活を懐かしむ声が多い。 時代の変化とともに失くしていった何かが そこにはたくさんあった。
映画「三丁目の夕陽」が好評であった理由は郷愁であろう。急速な家庭の電化生活への変化、車社会への変化、共通の目指すものが共通の活力の源泉でもあった。「三丁目の夕陽」や「鎌倉物語」など 西岸良平の世界にはほんの少し昔に体験したほのぼのとした思いに満ちていたりする。 そうなのだ 奥ゆかしさが美徳でなく当たり前であった時代への郷愁である。
経済大国となった日本も90年代前半にバブルは弾けてしまった。 弾けてしまうと 急に将来が読めなくなり右肩上がりの成長期も終焉を迎える。加えて人類全体を襲う新型コロナの猛威は衰えることなく なにやら不透明で底知れぬ不安が増していく日々の到来。そんな中をプーチンの狂ったようなウクライナ侵略行為にはただただあきれる他はない。
適度に評価されているらしい内閣は7月10日初の参院選挙を迎える。 選挙の結果は神のみぞ知るが大手メディアの予想はおおむね 与党は安定勝利し安定多数になるとの読み。細かく分裂していく野党に 当面政権交代の機会は与えられそうにない。
話を戻して 最後にお札になったほどの偉人いわく「桜はその美の下に 棘も毒も潜ませず 自然のままに散り その色は決して華麗ではない。 その香りは淡く人の心を飽きさせない。」 (新渡戸 稲造氏の言葉より)
奥ゆかしさは飽きさせないのであるが 今の時代がそれを吹き飛ばしている感があるのはどこか寂しい話なのである。
(この項 了)
注)記事中 「蓮」と「紫陽花」以外の季節の写真は WEBに公開されているフリー写真から引用しました。 つい先日年が明けたと思っていたら、あれよあれよというまに一年も半分過ぎていきました。
それにしても国内外を問わず、悪いニュースばかりですね。ある高齢の女性が胸が痛いと言われるので、心配しましたが、よく伺うと安倍さんが亡くなって気が塞ぐということでした。昔、ケネディが撃たれた時に子供心にもそういう気持ちになりましたと話したことでした。
こういうときには確かに西岸良平を読みたくなりますね。登場人物の描き方が良いですね。西岸氏のリアルでない描画が魅力的です。そう言えば杉浦茂のマンガもいまだに惹かれます。
余計なことを書きました。次回作にまた期待しております。
いつも書き込み有難うございます。
安倍晋三元首相銃撃事件を未然に防げなかった当日警備の不手際と犯行の動機には怒りすら覚えます。
何日たってもいまだ治まりません。
安倍氏はまた何年後かに復活するのではないかと考えていただけになおさらです。安倍氏はよくやってこられた政治家の一人だと思います。合掌
生きているといろいろな人の世の哀れを感じる時がありますが、それほどたびたびではありません。
今は 数少ないその時期かもしれません。
丼