丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

61. 聞き分けの良い子

2008-05-16 19:35:28 | 閑話

 昨日 マイミクのMさんから こんなコメントをいただいた。

『家庭では一切叱らないで育てられました。
放任主義でしたので、親の背を見て育ちました。

社会に出て、若い人の個人主義にビックリしました。
Yes,Noがハッキリしている。正直うらやましいと思いました。

私たちはまだ、目上の人、先輩を立てるという考えが残っております。』

              

 戦前 国からいやと言うほど思想教育を受けてきた団塊世代の親たちは 我が子に同じ思いをさせたくなかった。 このためかどうか定かではないが 家庭でも厳格なしつけは 次第にやらなくなっていた。 Mさんのお宅のように我が子を信頼し 放任主義の家庭が増えていたと思われる。

 「自由な社会とは何か」親たちは未経験なこともあって充分理解できていなかった。そのせいか我が子の個性を尊重し画一的な人間にならないようにのびのびと育てた感が強い。それでもまだ教師には人格者も多く、物事の道理は学校で教育者の手によって授けられたのかも知れない。

              

 我々は 親の背を見て育ったといわれる。 社会の規律を守り 弱いものをいたわり 年長者に礼を尽くす 親と同じ人間に育つものと思われていた。事実我々の代までは そのとおり推移していた。概して子供は素直で 聞き分けが良かったと思う。

 それゆえに 団塊世代が親になると 自分たちの子も自分の背を見て育つと信じていた。 時あたかも 言論の自由と表現の自由を手にしたマスメディアが急成長を遂げる時期でもあった。昭和30年代に入るとテレビ・ラジオや新聞・書籍出版のおかげで 我々は独りで学び 情報を得ることを知るようになっていく。

  科学技術の進歩とマスメディアの発展は 先達の経験と知識を一夜にして無用の長物に変えていく危険性も併せ持っていたようである。

              

 歴史上長期にわたり、先人は敬われてきた。 年長者はものごとの経験者であり、経験者から多くを教わり そして後進に伝授されていく。しかしマスメディアの発展がこの流れを変えていくのである。

 長い間 人に何かを教える人は それなりに一目置かれ 尊敬され続けた。 調理・大工・理容など 職人の世界では今尚同じように残っているものもある。 それとて各種学校で大半の基礎知識を身につけることは出来るようになっていく。

 電化生活と車社会の到来 急速なIT技術進歩により 社会の変化は日を追って激しいものになっていた。気がつけば 自己主張の激しい けじめがどこかへ消し飛んだ世代が出現していたのである。

 Mさんが羨ましがるような Yes、Noをはっきり言える若者が町に溢れていた。Yes、Noをはっきり言う それだけではない。こらえ性のない 聞き分けのない 理解できない子供も出現し 大人たちをあたふたとさせているのである。


           閑話休題   

 薀蓄家を自認する 昔の上司であるKさんが「無用の用」の必要性を説いてきた。

 変化の激しい世の中では 心のゆとりを失いがちである。 気持ちに余裕がなくなると 時間に追われ結論を急ぐようになり「無用の用」も 軽視されていく。

荘子は「人は皆有用の用を知るも、無用の用を知る莫(な)きなり」と説いた。

 人が道を歩くのには、足を置くだけの土地があればいい。
 では、足を置くだけの土地を残して、残りの「不用な土地」を奈落の底まで 掘り下げたとしたらどうなる。 歩くことは出来ても、そんなことが起こったら、何のために、何処に歩いて 行くという目的があるだろうか?「人が歩く」というただそれだけの単純なことを考えても、無用が支えることで始めて有用という意味が生まれる。
出典 : 日刊☆こよみのページ 2007/01/27 号

              

 時代の流れとはいえ 人が人としての心を失うと 世知辛い世になっていく。どんな世の中に変わっても せめて心のゆとりだけは持ち続けたいものである。




                    続きは次回に…


                        


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◆4Travel.「Donkyさんの旅のブログ」」(2013年6月投稿開始)は 
URL:http://4travel.jp/traveler/donky2013/


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2 コメント

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あの「考えよ」は素晴らしい教えだったのだ (あこ)
2008-05-18 09:17:28
現代は情報過多の時代で、年長者や経験者に教わらなくとも、必要な情報(知識)は簡単に入手できる。
要するに、今は世代の対等化の時代にあるという考察は、うなずけました。そのような考察は思いもよらないことでした。

無用の用、心のゆとり、荘子、中国の思想家は物事を奥深く考察する偉大な方々ばかりで頭が下がります。
そのような、優れた教えを学ばれておられる方々は
本当に少ない気がしました。
返信する
Kさんは ()
2008-05-18 09:22:14
老子の「無用の用」の必要性を説いてきたKさんは

最近「四書五経」や「禅」などの教えを引用することが増えてきました。

凄いですねえ。

着実に 人間の熟成に励んでいるんですねえ。
返信する

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