53. こどもの日
この春社会人になったばかりの娘が最初の給料で両親にご馳走したいと言う。五月五日「こどもの日」の夕方 案内どおりに銀座の和風レストランで待ち合わせた。
お店は銀座3丁目にあった。現役時代ですら やすやすと手配できるような店ではなかった。 高級料亭とまではいかないが 充分接待にも使えるものであった。
娘は社会人になって最初の給料の一割以上をこの晩餐に投じた。気合を込めて大奮発である。準備されていたメニューは父の好みを考慮して「和牛と豚肉のしゃぶしゃぶコース」であったが、前菜と「おつくり」に母の好みを考えてあった。
次々と運ばれてくる料理の一品々々に、お店の風格と自信を感じさせるものであった。個々の料理は勿論、美味しい物であったが、いつのまにか成長した娘を見て感慨深いものがあった。
食事が終わると私は両手を合わせ「○○ちゃん、ご馳走様でした。」と言うと、娘は嬉しそうに笑顔で返した。目を細めて観ていた妻と照れる娘の至福の瞬間でもあった。
食事の後で お店から10分くらいの所にある娘の勤務先が入っているビルを訪ねた。その場所は私が38年前に社会人として初めて通勤し始めた八重洲のビルの向かい側にあった。
オフィスは東京駅の南北に林立する高層ビル群にあり 新築の高層ビルの31階にある。そう言えば あの頃は妻の職場もこの夜食事をしたお店から数分の位置にあった。
振り返ってみると 娘の幼い頃は人生でちょうど一番の繁忙期でもあった。仕事とゴルフとギャンブルに時間の足りない頃でもあった。「仕事と家庭とどちらが大事なの?」と何度も小学生の娘に質問されたものであった。
それでも娘は色々なことを私に伝えようとしていた。高校時代娘は吹奏楽部の部長を任されていた。ある時 定期演奏会の台本創りに時間が足りず、徹夜に近い状態が続いていた。 見るに見かねた私は 多忙な時期ではあったが、台本のワープロ入力を手伝ったりしたものであった。
そんな父親を批判したり反発しながらも、父親と同じ大学、学部も同じところへ進学した。やがて留学後 帰国してすぐに自分の適性に会った就職先を探し始め、いくつかの候補の中から今の職場を選んだ。
彼女はここに到るまで色々悩んだり迷ったりもしていたので、気にはなっていたが、満足そうな顔で 少し安堵している。誇らしげに職場への通勤コースを説明する姿を観ていると どうやら そろそろ少しは安心しても良さそうである。
平成20年のゴールデンウイークは 自らの還暦祝いに加え 成長した我が子の様子を見ることで文字通り「こどもの日」となった。
この日は我が子の進化を発見することから 親としての人生を堪能する記念すべき日ともなったのである。
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◆4Travel.「Donkyさんの旅のブログ」」(2013年6月投稿開始)は
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優しいお気持ちに触れて、じ~んと心が熱くなりました。
今晩は。コメント有難うございます。
わがままで 金銭感覚はないし、将来を心配していたのに すっかり素直になり普通の女の子に化けた娘に、正直言って狐につままれたような心境です。
でも明らかに一皮剥けています。会社の上司が抜群の指導者なのか それとも彼氏が変えたのか 今は謎です。
「丼」