新潟久紀ブログ版retrospective

ほのぼの鑑賞・映画「魔女がいっぱい」2020.12.12

 ロバート・ゼメキスといえば、私の世代では、バックトゥザフューチャーシリーズがリアルタイムで年頃的にもドンピシャの公開であり、トリッキーでギミックな作り手かと思いきや、フォレストガンプでしみじみとさせてくれたりして、未だ色あせないエポックを築いてくれた監督として心の内から忘れ去れない存在だ。
 平日に録り溜めたビデオでも見ようかと思っていた週末に、家人の来客の都合で家の外で過ごすこととなり、頭が映像鑑賞モードになっていたから、映画館の上映スケジュールを見てみると、ロバート・ゼメキス監督の作品が封切り直後であるというので、あれらの名作から30年ほど経て、同氏がどのように変化しているのか興味深くなった。
 「魔女がいっぱい」を観た。原作は「チャーリーとチョコレート工場」の作者というのだから、ストーリーは子供向けであり、今の自分をなぞらえたり感情移入できたりるものではないと最初から分かっており、関心があったのは、30年ほど前にあの興奮をもたらしてくれた監督が、70歳近くになって今の子供達にどうエンターテインしようとしているかという"アプローチ"であった。
 主人公が現在の子供達に回顧録を語り始める導入により、舞台を1960年代に遡らせるのだが、アメリカンオールデイズナンバーの連発で登場人物を元気づけようとする古き良きアメリカ的な場面などに、この数十年の間に世界の子供達は通信技術の進展の下でドラスティックに現実認識が大きく変わっていることを知ってか、敢えて知らずを装ってファンタジーに徹しようとしているのか、監督の思いがどの辺にあるのか探りたくなるような演出が垣間見えた。"2020年"に公開されることの意味に関するエッセンスとかエスプリを上手く感じ取れないのは私だけなのだろうか…。
 それにしても、アン・ハサウェイというただ一人の存在の圧倒感のみで、ここまで作品を勝負させようとする仕立てには驚いた。(映画の感想を一言で、と問われれば実はこれにつきる。)
 この作品だけではないのだが、全編どこもかしこもCGの映像にはさすがに食傷気味になってきた。シンセサイザーをデジタルで極めるほど生のストリングスの揺らぎが渇望されるように、リアルなマテリアルやバイタリティでどこまでやれるかを求める波が反動のように押し寄せる兆しを感じているのは自分だけだろうか…。
 以上、映画「魔女がいっぱい」鑑賞後の雑感でした。

(ほのぼの鑑賞・映画「魔女がいっぱい」2020.12.12終わり。「ほのぼの鑑賞・きまぐれ音楽回想(vol.1)2021.9.4」に続きます。)
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