自己内観ブログ


2024年秋分を経て太陽からの強いエネルギーを浴び心身の変容を感じ共感の輪を広げるべく様々な閃きを綴ります。

ライトワーク

2022-07-24 08:15:57 | 
最近、私はアセンションとい道を知って進んでいるライトワーカーと知らずに進んでいるライトワーカーがいるように思っています。

どちらも、礎には、愛を掲げ私利私欲のためではなく地球や世界や社会(大小関係無い地域や組織)や家族のために進んでいるということなのだと思うのです。

では、アセンションを知って進む道と知らないで進む道は、何が違うのかと言えば、知らない設定をしている人は、よりこの世界や社会に密着して進むことができるはずです。

こうした人は、様々な分野で存在しているはずです。

一つの例えで言うならライトワーカーは、医療関係者に多いと言われていますが、知らないで進んでいる場合は、治療などに関しても積極的に新しい医療を取り入れることをするでしょうし、深すぎる情緒面をコントロールする力があり、治療や看護などにあたる場合も冷静に判断していくでしょう。
そうした人がアセンションを知ると、いろいろな抵抗感が出て来るはずです。
薬や検査を中心に疾病を治すことに疑問を持ったり、延命治療がその人のためになるのか?
苦しむ本人や家族に共感しすぎて自分自身も辛くなり過ぎるとか、、このような状況になり、違う方面から医療に携わるようになる人もいるわけです。

こうしたことは、どちらも必要ななことであり、そのために生まれる前に決めてきているはずです。

これは、一つの例ですが、様々な職業や社会を通して表裏一体のように設定されているのだと思うのです。

こうしたことから、アセンションの途中でアチラに逝きアチラから支援する方法を選択する人もいるのだと思います
私の経験からも、親しい人や親族が私が進んでいる道を支援してくれとているという実感を持つことが多いです。

そういう意味でもご先祖やアチラに逝かれた方々に敬意を示し感謝して、必要な時には支援を求めることも大切なことだと思うわけです。

このようにして、この世界と次元を超えた世界とで協力しながらこのアセンションの時を進んでいるのだと思うのです。

アチラに逝かれた人を思うと悲しみがわきあがるものですが、アチラもコチラも繋がっていて、コチラからアチラに逝かれた人は、見えませんが
感じとることができるはずです。
そのためには、自己を愛の周波数にすることかと思います

アチラもコチラも、ライトワークには、隔たりはないはずです、、

コチラにいるライトワーカーは、アチラに逝かれたライトワーカーと意識を合わせて
進むことが大切な時だと思います。





昨日16時頃の南西の空
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アセンションとスピリチュアル

2022-07-23 11:28:00 | 
スピリチュアルな面は、この目で見ることはできませんから、そうしたことを信じられないとか信じないという人もいるでしょう。

人は、物質である肉体を持ち脳で思考している存在で、心とは脳で判断している結果を表しているとするならば、なんと虚しいことでしょうか?

私もそのように捉えて、タンタンと生きていた頃も10年位ありました。

それは、無理にそのように思うことで自己防衛をしていたように思います。
何故なら、その頃に深く傷つくことがあり「心を鬼」にしていたのかもしれません。

しかし、その頃が幸せだったのかと言えば、非行に走る若者のような感じで、擦れてささくれていたような状況でした(笑)

私は、反抗期などの経験もなく素直に育ったので中年期に非行少年達の心境を経験したのかもしれませんね~

そをな非行中年をしている頃に、親しい人や親族が亡くなることが続き、閉ざしていたスピリチュアルを解放しなければならない現象が次々と起こり始めたのでしたwww

人は、霊魂が肉体に入っている状態なのだと思わざるを得ない状況がたくさん、生じたのでした、、

その後、スピリチュアルを真剣に追求していく中で10年ほど前にアセンションという時代を迎えているのだということを知り、今に至っているわけです、、

ですから、アセンションの基本は、スピリチュアルとなるわけですが、この世界と表裏一体となっているわけですから、この世界に起きていることがスピリチュアルに基づいて起きているということにもなるわけです。

人で言うなら、親切に感謝して愛を中心に生きているならば、その人の行動は、それに則した行動になるはずです。

しかし、誰かに憎悪を抱いて生きていれば、そのような行動を表すことになったり、外に表さなければ、自分を痛め体を傷めることにもなるわけです、、

アセンションの時というのは、こうした当たり前のことに気付き、愛を中心に生きて不要なものを手放すワークをしましょうという時なわけです。

そうすることにより、自分が霊魂の存在だということを思い出す過程でもあるわけです
、、

その過程の中で、過去生や宇宙でのことを思い出したり、
肉体が無い状態の時の能力を思い出したりするようになるわけですね~

こうした過程の中で、物質的な事柄への興味も薄らいで行き、自然や生き物への関心が増えて行くようになるわけですね~

しかしながら、アセンションの道を唱えながら陰謀論に傾倒している人達がいるのは、残念なことです。

先程、書きましたようにアセンションは、この地球、世界で起きていることですから
この世界や社会の仕組みを探求することは、大切ですが
あくまでも、アセンションとスピリチュアルがセットであり陰謀論は、セットではありません。

また、スピリチュアルだからといって宗教と結びついているわけではありません。

そして様々な、主義主張に利用されないようにしたいものです。

最近、こうしたことがゴチャゴチャになりはじめているようにも感じます。

何を選択するかは自由ですが、自己と内観し混乱しないようにしたいものですね~

アセンションは陰謀論も宗教も手放す道、自己との向き合いの道であると思っています
、、


昨夕の空


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太陽活動穏やか傾向か?&妄想

2022-04-22 09:42:01 | 
4/20に発生したX2.2フレアから、C〜Mフレア発生は減少してきているように思いますが?

4/17のX1.1発生後の4/19にM5.3震度5弱の地震が起きていましたので、今日も地震が気になりますが、、
気を留めていたいと思います。

4/15夜から連続的発生している太陽フレアで何か遠い時空に飛ばされたかのような感覚になっていました~(笑)

今朝からは、ようやく旅から戻ったかのような?不思議な感覚です~

妄想なのか?一度は、太陽が心配になり太陽の中に突入したりしていました~

太陽の内側は、太陽系の惑星を含む天の川銀河の集会場(意識の)になっていました
、、内側から外側に向けて必要なエネルギーが綿密な計画の元に発射されているようでした、、

その集会場に出席しますと
「ようやく来たのか!」と参加者に言われました~(笑)

どうも私は、遅刻したみたいでした~

そこで地球のモニターとしての私が「これ以上は、無理です」と発言していました~
(笑)

やはり、物質世界での太陽は太陽系のエネルギー発生装置だったのだと改めて思いました。

そして、意識世界から観れば太陽は、各自の心の中にあり自己を照らしいるのだと思います。

自己の太陽をたくさん照らし歩んで行くことは、何より大切なことかと思います。

誰かの心の太陽を当てにするのではなく、自らが太陽であったと捉えれば何も不安になることは、ありませんから
、、

皆様も、太陽の会議に参加していましたでしょうか?





ハナミズキが咲いていました












4/21鳥屋野潟公園②




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自分の役割を思い出す時

2022-03-27 09:24:00 | 
この時は、世代に関係なく何故ここに生まれて来たのかを思い出す大切な時になっていると思っています。

例えば、仕事にしても金銭的なことにしても人間関係でも
家族関係でも今の状況にそれなりに満足して、そこそこ納得しているなら迷いもなく、その状態を維持する努力をして行くはずです。

しかし、ある程度自立した人が「自分の人生に納得できず何か足りない、、」と迷い続けながらも、アレヤコレヤと挑戦しながらも、まだ見つからないと思うのであるならばそれは、魂として決めて来たことを思い出していない場合があるかもしれません。

そういう人達は、何かを一生懸命やりながらもこの社会の理不尽さや変な方向への複雑さなどに突き当たりやすいはずです。

何故なら、この社会を造って来た意識が、宇宙源の礎と違う方向に進み過ぎているからだと思います。
図りしれない宇宙そのものが完全な愛から創造されているのにも関わらず、それに背くような世界を造りあげようとする意識があるのは、否定できません。

その結果、優しい賢い人達が
生きづらい社会になってしまったと捉えています。

結局は、自分がどちらの生き方を取るかの選択をしなければならないのだと思います。

生活スタイルを田舎的にするとかを言っているのではなく、どこにいてどんな生活様式であったとしても大切なのは、地球に自然に感謝して互いを認め合い尊重しあい、全ては宇宙源と繋がっているという認識を持って生きているならば、必ずや自己の魂の思いを感じとることができるはず、、
そして、それを支援するエネルギーがたくさん宇宙から贈られて来ている時でもあるはずです。

政治や主義主張に振り回されずに、自らがあたたかい気持ちになれる方向に進んでみましょう。

そして、比較や競争や勝ち負けや批判を止めることで自己の尊さを自ら知るようになれるはず、、

そうすると、きっと、真の自己が表に現れてくるはずです、、

そうして現れて来た自己の真の意志を育み、生きて行く上での指針にしていくようになりますと、迷いが無くなり、生きる道での迷子にはならなくなるはずです。

その指針を理解した中から、生活や人間関係の基盤を再構築していくようにすると、幸せを感じる生き方に近付いて行けるものと思います。



蝶のような木立ベコニアの花びら


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宇宙源の愛 3 (支援)

2022-03-15 06:31:20 | 
宇宙源が地球を創造した目的は、物質世界を経験するためだと伝えられています。

源は、物質的な存在ではないため分身を創造し希望するものに地球世界での経験をさせ
、それを感じとることにしたわけです。

宇宙源が神様として、いろいろな宗教で描かれていますが
それは、神様と話したと感じた人の感覚的姿やその御使いの姿なのだと思います。

もし、宇宙源を人の目で見れるとすれば、まばゆいばかりの光であり、この目で見ることは不可能だと思います。

何故、源が自ら体を持たないのかと言うなら「持てない」のだと思います。

この物質世界からの見方になりますが、波動が高すぎて、広すぎて、完全過ぎて持てないはずです。

強いて例えるなら、この地球の空気を見ようしたり掴もうとしたりしても不可能なわけです。
だからと言って、空気が無いと否定することはできないのと同じことが言えるかと思います、、

もし万が一にも源が体を持つとしたら、宇宙全ての物質が崩壊すると言われています。
つまりそれほど源のエネルギーというものは計り知れないものだということです。

もちろん、私がすべてわかるわけもなく宇宙源の愛を一人追求してきた中で得た答えであります。

そのような計り知れない源が
今のような地球の現状を、支援しないわけがありません。

宇宙すべての創造主ですから
すべての成り立ちを知っていますから、その宇宙の秩序が崩されるようなことはないはずです。
もし、そのような事態が万が一にも生じたなら、物質世界は、消滅してしまうのではないでしょうか。

意識として存在している宇宙源は、もちろんですが地球に生きる人も本来、魂の存在なわけですから。

このように捉えるなら、宇宙源は完全であり、ここにいる人が考えるような方法で助けるわけではないはずです。

この地球世界が間違った方向に進んでいるのであれば、宇宙源による完全な形で正しい方向に導かれていくはずです。

それまでは、この地球世界で住む人の全ての経験を意識として源が感じ取り、必要な時にここにいる人が想像もつかないような方法で(奇跡的な)絶大なる支援を表すはずです。

そのことを愛と反するエネルギーの持ち主は知っているのです。

ですから最後の大暴れをしているようなものなのです。

それも宇宙の源が許していることであるはずです。

そのように捉えるならば、
宇宙源を信頼し何も恐れることもないはずです。

むしろ、宇宙源が絶大なる力を私たちに表す時が近づいているとさえ思えます。

私たち一人一人は宇宙源から深く深く愛されているのです

それを忘れてはいけないはずです。

たとえこの地球で孤独で一人だと感じても宇宙源は誰一人愛さずにいることはありません。


このような愛を信じられるかということが一番大切なことなのだと思います。



沖縄の光る海
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宇宙源の愛 2(老化による死)

2022-03-14 06:35:00 | 
特に災害や事故や事件などや大病などで急死しなければ(平均寿命まで生きると仮定して)次第に老化により死に至ることになるわけです。

この老化は、肉体のことであって心は、個人差も有るでしょうが人格が形成され自立できた年齢(30歳前後)から老化などしないはずです。
(魂は永遠)

人生経験を踏む中で、熟慮したりするようになりますから
心をそのまま表現しないようにしている傾向があるはずです。
又、様々な失敗などの経験もあり無理や変化を選択しなくなる傾向もあるでしょう。

こうしたことが、世間の常識のようになっているのかもしれません。

若い心を持ち、いつも何かに夢中になり生きている人は、年齢より若く感じられるように思います。

しかし、そうしたくても老化による脳や足腰や内臓などに変化が生じて来ますと、思考や運動機能に支障が出始めて
心も弾まなくなるのが一般的な道かもしれません。

そこで疑問に思うことが、完全なる叡智を持つ宇宙源の創造した命の一つである人を
そんな不良品みたいに創造するのでしょうか?

宇宙や生命を研究する科学者ほど、あまりの完全性から創造主の存在を否定できないと言います。
結局、科学が追いついていないわけです。

否、創造主に追いつける訳がありません。

そのように、謙虚に周りを見れば、たくさんの創造に源の証を見ることができます。

朝陽が登り夕方に沈むこと、季節の変化、生き物の生態、人の体の造り、、数えたら切りがありません。

では、何故?
不良品みたいになってしまい死を迎えるのでしょうか?

人は、死ぬために生まれてくるのでしょうか?

ここでも、「宇宙源の愛1」
で書いたように愛で無い力による介入があったはずと思います。

証拠があるのかとか宗教かとか陰謀論かと捉えないで下さい。

愛を基準に宇宙のすべてを創造したというキーワードを入れれば、自然と出てくる答えなはずです。

いずれにしましても、愛ある創造主、宇宙源に対抗する力であるには違いないはずです

そうしたことを示すようにここ20年位で、過去世の記憶を持つ人や宇宙での記憶を持つ子供達や若者、そして前世療法やヒプノセラピーなどにより多くの人の記憶が一致していることが立証され始めてています。

そして、そのような人達の発信により多くの人が目にし耳にするようにもなってきました。

又、チャネラーなどによる高次元の存在からのメッセージなどもたくさんあり、すべてではないにしても、一定の知識がもたらされるようになってきました。

今のこの時代は、こうした地球人類の歴史か明らかにされる時代とも言えるはずです。

それにより、老化の問題は次第に無くなるはずです。

昭和の高齢者と今の高齢者では、ずいぶんと差を感じます。私の明治生まれの祖母の70歳代を思い出しますと今の70歳とずいぶん違っています。

生活様式や食べ物、文化的な発展、医療の発展だけとは、言いきれない面もあるはずです。

世界でも長寿の日本人は、特に今の変化を受け入れる素直な心の持ち主が多いはず。

一人一人が老化を恐れ不安を持つよりも楽しく自然と調和しながら過ごすことが大切なはずです。

なるべく不安要因を取り除いてあげることも家族や周囲の役割かと思います。

2年前から大変化の時代に入ったとされています。

では、何故?それを宇宙の源は助けないのか?という疑問が生じるかもしれません。

それは、次回のテーマにしたいと思います。


冬を室内で共に過ごしたシクラメン

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宇宙源の愛  1(突然の死別)

2022-03-13 08:54:11 | 
※今朝、閃いたタイトルですがシリーズとして綴ってみようと思います。
これまで綴ってきた「まとめ」のような内容になる気がしますが、、
私が綴りますが、お務めみたいです。
以下、タイトルの内容です。


人の一番の悲しみは、何でしょうか?
言うまでもなく「死別」です
。送られる側の死は、生きている人にはわかりません。

ここでは、送る側としての死別です。

それも病気などで予告されない大きな災害や事故、事件、脳や心臓などに起因する疾患によるもののような、突然の
死別が一番の悲しみになるでしょう。

人が肉体だけでなく魂の存在であり輪廻転生して再来すると信じていても、この人生では二度と会うことはないから悲しいのです。

どんなに愛し合い慈しみあった親子、夫婦、恋人同士、親友同士でも必ず、死別がやってきます。

年齢を重ねれば重ねるほどにこの経験は、増えていきます

人は死ぬのが当たり前だし、ずっと生きていたら人口が増えすぎて全員、生きて行けない。
そのために、流行り病や大きな災害や戦争が起きて人口を調整している、、などと理路整然のように唱える人がいます。

はたして、そうなのでしょうか?

宇宙を万物を完全な形で創造した源が、そのように不便な創造をし自らの子供である人達を悲しませるのでしょうか?

私なら、違う家を建てるように違う惑星を創造しますが、
、、

すべての基準を「愛」とすれば、なんの問題も生じないはずです。

しかし、この死別という悲しみが生じてしまい、これまでも今も繰り返されているわけです。

何故でしょうか?

宇宙源に反する、つまり愛と反する力が存在しているはずです。

存在しているだけでなく、それを無意識(一部は意識的)に受け入れている人達がいるからです。

それは、我欲(エゴ)です。

誰かより優位にいたい、誰かを支配したい、自分だけが富み幸せになりたい、、そのために誰かを貶めたり、虚偽を述べたり、、
このような我欲がありますと
愛と反する力が働きかけやすくなるわけです。


しかし、多くの人達は、日々
優しく慎ましく助け合いながら生きているはずです。

それなのに、宇宙源に反する力により悲しみを味わう結果となっているのが、今日の世界であり、繰り返して来た歴史でもあります。




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“直感”と“気になる感じ”の違い

2022-02-03 12:12:33 | 
自分の内側を空な状態にしておくようになりますと、穏やかな感覚で過ごせるものですが、これは簡単に表せば雑務雑念を無くすとも言えるかもしれません。

しかし、毎日の生活の中においては、様々な気やエネルギーなどの影響を受けるもので
いつも「空(カラ)」な状態でいるのは、かなり困難かもしれません。

しかし、なるべく「空」の状態に保つようにすることを努力して行くことは、大切なことかと思います。

何故なら、自分以外の人や事象、物事に影響を受けないでいられるからです。
又、それにより空でいることで新しい概念(宇宙的や高次元的な)が入り易い状態になれるはずです。

こうしたことを継続しているようになりますと直感や閃きを受取り易くなります。
直感や閃きというのは、特別なことではなくここで、生きて行く中での宇宙からの知恵袋と同じようなものなのだと思います。
例えば、直感に従って時間をずらしたら事故から免れたとか、、直感に従い○○に出かけたら良いことに巡りあったとか、、直感に従った行動をすることで災難を回避できたり、より良い状況を創りあげる(選択できる)ことができるわけです。

こうした中で「直感や閃き」なのか単に「気になる」だけなのか?と迷う場合が出て来たりする時があります。

例えば、離れている家族や親しい人が無性に気になったりすると何かあったのかな?と感じる場合があります。
私は、このような時に直感から来ているのかなと思い連絡したりすることがよくありました。
そうした経験からですが、案外何も無かったことが多いのです。しかし、そうした行為が無駄なことだとは言えず、その行為によりエネルギー交換をしている場合もあるわけです。(支援し合うというエネルギー交換)

今回のテーマで取り上げた「直感と気になるの違い」は
先程、述べたことではなく“直感なのか気の迷いなのか”区別がつかない場合が生じる事象について私なりに考察してみたいと思います。

まず、初めに解りやすくするために両者の私の感じ方をまとめてみます。

1.直感(閃き)

①明るい高音的な感じがする
(音符だとド・ミ・ソ)
②迷いがなく直ぐに納得でき行動しようとする
③②により行動して結果が想像外でも意味があったと思える
④その直感に関連してとった行為や行動や成果などの繋がりを忘れることが無い
⑤直感や閃きにより喜び広がりる(ポジティブになる)

2.気になる

①平らな響き(音符ならドーだけが続く感じ)や明瞭でないイメージが湧く
②何だろう?とあれやこれや思考してしまう
③すぐに行動しようとしてもできない
④しばらくすると忘れて気にならなくなる
⑤行動しなくて良かったと思い何故あんなに気になったのかと不思議になる

以上のような違いがあるように思います。

直感や閃きを優先するようになった頃は、みんな直感かと思い行動してネガティブな気持ちになったり、嫌な事象に巻き込まれてしまったことも多かったように思います。

今でも気の迷いから来る感覚を直感かな?と思うことがあります。

そんな時は、次に述べるような方法で判断しています。

自己内観をしながら行うと外部からの影響を受けないでしょう。

①何が気になるのか仕分けしていく。
例えば、場所なのか人なのか事象なのかのように気になるものを探して行くわけです。

②①で人なら誰なのか?身近な人から選択して行きます。

③②でヒットした人に対して意識で繋がるようにして語りかけたり様子をみるようにします。
例えば、ヒットした人が何かをしている姿が浮かんできて特に、反応がなければ気にしなくて良いと判断します。
(この時に暗い印象や苦悩を感じる場合は名前を呼んだりして語りかけたりしながら心境を感じとるようにします)

このようにして、その時々の気になる人や場所や事象(ここで言う事象は社会全体や組織に関するもの)にアクセスすることで気になる(迷い)が何であるかを見極めるようにしています。

こうした一連の作業により気にならなくなれば、それがある意味で直感では無かったと解るようになるわけです。

又、見方を変えますとヒットする人や事象が何かしらのエネルギーを発していて、それを私がキャッチしたということなのかもしれません。

そうであるなら、昨日新しく創りましたカテゴリ「務」に当てはまる事象がやって来るようになった?のかもしれません、、

ブログを書くことによってこのようなことが分かるようになったのであれば、素晴らしい進歩かと思います、、


2022.2.2の陽射し

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新月&太陽フレアでエネルギー感覚高まる

2022-02-01 09:29:10 | 
今日の14:47に新月を迎えるそうです。

和暦(旧暦)の元旦でもある日で新しいエネルギーを感じさせる新月のように感じます。

そして、太陽活動も活発な状態が続いているようで今朝も4:44と6:55にCクラスの小さめなフレアが発生していました。

私は、朝から眠いのに目が覚めて4:44を時計で見ていました~後で、フレア発生した時間と知りやはり私と太陽様はシンクロと言いますか?
太陽係と言いますか?~(笑)
妙に自分の中で納得していました。

そんな、朝方のウツラウツラ状態の中、意識がアチコチに飛んでいたようでいろいろと気になる人がいました。

ある人は、本来の寝床におらず探したりしたりしていて、何とか発見して正気を注入したりしていましたwww

何か邪気にやられていたみたいでした、、

又、ある人が住んでいる地域に地震が来そうな気配があったので、その人に気を付けるよう説明していました~
(こちは、会話していましたからその人も夢かなと思いながら朝目ざめたかもしれません)
こんな風に書くと夢の話と思われるかもしれませんが、解ってやっていることなので大丈夫です(笑)

そんなで、夜勤務をした朝のような感じです。

その人達は、夢を見た感じで覚えているかもしれません、、
以前、こうしたことがあった時に後で聞いてみると、そういう風な夢を見たけどそこに登場した姿は、私と認識できないようです(笑)
私は、姿を変えてはいませんが魂の姿といいますか?魂を形にして表現していたり、夢としてみている人の私のエネルギーの感じ方にも影響されるのかもしれません。

日中のお仕事を退職したので夜間のお務めに勤しむ様になったのでしょうか???

謎めいているのでスリリングで興味深いです、、

カテゴリ「務」として夢とは別に新月の今日から書いて見ようと思います。

皆様の夢に登場しましたらお知らせ下さいね〜




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