自己内観するということを度々、書いて来ているのですが私の中でまとめてみたいと思います。
①どこでしているのか?
スピリチュアル的にはハートチャクラと言われているようですが、身体としての場所と捉えるなら心臓の右上のあたりであり、洞房結節と言われる刺激伝導系の始まりの部分かと思っています。
心電図の始まりのp波が発生するところです。
ここが歩調取り(ペースメーカー)となり以下に電気の波を伝えているわけです。
心電図は、その波が正常に伝わっているかを見るものでP→Q→R→S→T波という一つの形が規則性を持っているかで心臓の働きを診断し
ているわけです。
生命の誕生メカニズム時、胎内で物質的な受精卵が細胞分裂を繰り返しながら最初に心臓形成された後でこの洞房結節への電気エネルギーが注入されることで命が宿るのだと私は、思っています。
つまり、心臓の洞房結節という場所がアチラとコチラの発信基地ということができるのだと思っています。
「心」こころは、心臓のこの洞房結節にあると言っても過言ではないでしょう。
つまり、内観するということは、この洞房結節あたりに自分の意識を集中させそこから、ハイヤーセルフや多次元の自己やアチラに逝った先人、そして宇宙や地球などとの通信をしていると言えるわけです。
②思考について
今の医学では、脳が心臓に命令を出して心臓を動かしているという捉え方です。
しかし、思考という言葉を見て解るように「思い」→「考える」わけであり心臓で思いそれを脳で考えているのです。
例えば、私が今日のこのブログ内容を心で閃きを受けて書こうと思い、それを脳に伝え言語中枢に働きかけながら末梢神経で指に伝えキーボードを打って書いているわけです。
このように思いが先にあり、それにより考えが完成し実行実践しているというのがこの世界で生きているということになるのです。
③考えだけだと愛が無くなる
人の行動にしても言葉にしてもマニュアル通りにやるだけですと人間味を失い味気ないものになりやすいはずです。
感動する事象や言葉というのは、真心を込めて愛により行なわれていたり発したりされていたものであるはずです。
④考えを優先すると人間の本来の姿を見失いやすい。
いわゆる頭脳明晰でIQが高い人の中には、心で感じることを無視して合理的に物事を分析してしまう人が多いかもしれません。
そうした人達は、他者の心の動きや感じ方を理解することは難しくなっている人達もいるはずです。
一部の人の中で頭が優れている方が心を大切にするよリ上だという慣習のようなものがあるかもしれません。
合理的に論理的なものが悪いということではなく、それより心で感じとったものが劣るとか信憑性がないとするのは、おかしいかなと思っています。
このことは、個人の価値観ということに現れてくるものでしょう、、
⑤AI化する世界に注意
買い物一つをとりましても、
自動レジ化が進み便利になっていますが、地域の市場や個人でやっている八百屋さんなどでの買い物に比較すると寂しさを感じるものです。
自動レジを前にして戸惑っているご高齢の方も見受けられますよね。
人ができない部門でのAI化は
良いかと思いますが、人の心のやり取りができる場が減って行く世界は、どうなのかと思ってしまいます。
まとめ
命が宿る始めが心臓の洞房結節であるならば、命を終える場も同様で、その刺激伝導系が働かなくなることで成立するのだと思っています。
こうしたことからも人は、肉体が朽ちても自己は、魂として存在しているのだと言えるはずです。
そして、魂としての自己と繋がるということが内観するということであり、たくさんの正しい知識や情感を得ることができます。
そして、ここに在る自分を安定させ充実した日々を送ることができるはずです。