皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

この淡泊さはなんだろう

2024-07-01 22:28:43 | 皇室の話(3)
皇室の動きというものは、それ自体、報道価値があるということなのだろう。

けれども、これは何故に記事になったのだろうかと、読んでいて不思議な気持ちになるものもある。

令和6年6月30日17:33、朝日新聞より配信の「紀子さま、数分間拍手送る がん患者のチャリティーコンサート鑑賞」と題する記事がある。

この中に、以下の記載がある。
-----引用開始-----
紀子さまは熱心に耳を傾け、観客と共に数分間にわたり拍手を送った。主催した「がん研究会」(名誉総裁・常陸宮さま)の浅野敏雄理事長によると、紀子さまは「感激しました」などと語ったという。
-----引用終了-----

「数分間にわたり」とあるが、時間でも計っていたかのようで、少し不気味である。

拍手で数分間というのはかなり長目であると思うのだが、それだけ盛り上がっていたのだろうか。

であれば、会場の興奮の様子などをまずは書くべきだろうと思う。

拍手が長く続いたということを具体的に書きたいのであれば、拍手を主語にして拍手は数分間にわたって続いたと書けば、あまり違和感はないのではないか。

でも、それができない。

それはおそらく、会場の雰囲気を伝えるのが主目的ではなく、紀子妃殿下の様子を伝えるのが主目的となっており、それ故に、紀子妃殿下を主語として記事を書こうとし、そこに客観的な情報を組み込もうとしたからなのだろう。

そのために、会場の雰囲気を書くことなく「観客と共に数分間にわたり拍手を送った。」という記載をすることとなり、まるで淡泊な観察記のような文章になってしまった、ということだろう。

また、「紀子さまは「感激しました」などと語ったという。」というのも、同じような要因があるのだろうか。

何だか小学生の感想のようなコメントなのだが、紀子妃殿下を主語として、できるだけ客観的に書こうとするとこうなるのだろう。


これに対し、産経新聞はなかなか上手である。

令和6年6月30日19:30、産経新聞より配信の「紀子さま、がん患者のチャリティーコンサートにご臨席」と題する記事である。

この中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
紀子さまはがん患者や医療従事者などで構成された約150人の合唱団の歌声に耳を傾け、盛んに拍手を送られていた。
-----引用終了-----

紀子妃殿下を主語としつつ、拍手のことも違和感なく書けている。
「数分間」という客観的情報を無理に書いていないので、観察記のようにならないですんでいるということだろう。

そして、小学生の感想のようなコメントは敢えて省くことにより、全体として違和感のない記事になっている。


皇室についての報道記事というのは、なかなか難しいものだなと思っていたところ、また新たな記事を見かけることとなった。

令和6年7月1日1:54、FNNプライムオンラインより配信の「紀子さま「感動しました」がん患者らの「第九」チャリティーコンサート鑑賞され笑顔で拍手」と題する記事である。

この中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
コンサートでは、練習を重ねたがん患者や家族など約150人が、ベートーベンの交響曲第9番「歓喜の歌」の合唱を披露し、紀子さまは笑顔で拍手を送られました。
これに先立って、がんを患ったフリーアナウンサーの笠井信輔さんと医師が対談し、紀子さまは熱心に耳を傾けられました。
終演後、紀子さまは関係者に「感動しました」と話されたということです。
-----引用終了-----

またまた淡泊な観察記。

朝日新聞の記事では「感激しました」となっていたが、この記事では「感動しました」になっている。

ただ、いずれにしても、小学生の感想のようである。

仮に、本当にこのとおりのご発言であったとしても、それならそれで、関係者を激励されたとか、労われたといった説明を付け足せば、それなりに違和感のない記事になったと思うのだが、「紀子さまは関係者に「感動しました」と話された」というのでは、あまりにありのまますぎる。

以上のようなことは、筆者が指摘するまでもなく、記者はプロなのであるから、当然に自覚しているであろう。

どうも、敢えてやっているとしか思えない。

何か制約があるのだろうか。

それとも、意欲がなくて淡泊な記事になってしまっているのだろうか。

コメント
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