令和6年9月17日6:05、デイリー新潮より配信の「なぜ世間は秋篠宮家をバッシングせずにはいられないのか 秋篠宮さまと親交の深いジャーナリストが近況をレポート」と題する記事がある。
この記事は江森敬治氏によるもので、江森氏は昔から秋篠宮家に寄り添った記事を書いてきた方で、筆者としては、そういう存在も貴重だと思っていた。
ただ、この記事の中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
いまだにくすぶり続ける秋篠宮家批判。その背景について、ある皇室関係者はこのように分析する。
「シーソーと同じように、秋篠宮ご一家の評判が下がったことで、その分、天皇ご一家に対する国民の期待が増えた。それもあって現在、皇后さまや長女の愛子さまの人気が高まっている部分もあるでしょう」
続けて、
「『適応障害』と診断され、回復の途上にある皇后さまは依然、体調に波がある状態です。コロナ禍がようやく落ち着き、『令和皇室』もやっと本格的に動き出したばかり。天皇、皇后両陛下の“真価”が問われるのはこれからではないでしょうか」
そう付言するのだった。
-----引用終了-----
秋篠宮家バッシングについて、かつての東宮バッシングと「シーソーと同じよう」という言い方は、以前にも見かけたことがある。
*このブログの「河西秀哉氏の逆効果記事」参照
ただ、現象のタイミングがそういう風に見えるということであるとしても、バッシングの本質はそれぞれ別物である。
これはもうあまり書きたくなかったのであるが、「シーソーと同じよう」と言われれば仕方がない。
かつての東宮バッシングには(平成時代の)千代田派の怨念というものがあった。
週刊誌において、バッシングの出もとにつき、平成の「千代田関係者」ということが堂々と示されており、これを読んだ者たちは、安心して、調子にのって、さらなるバッシングを展開していたのではないか。
きわめて陰惨な構図である。
しかしながら、現在の秋篠宮家バッシングは、秋篠宮家の多くの人にとって受け入れ難い行動にもっぱら由来しているのではないか。
令和の「千代田関係者」が発信源となったことはないし、お墨付きを与えたこともないし、それでありながら、ここまでバッシングが高まっているということについては、もっと真剣に受け止めるべきであろう。
しかしながら、真剣に受け止めるどころか、「シーソーと同じよう」という捉え方に逃げる。
「秋篠宮ご一家の評判が下がったことで、その分、天皇ご一家に対する国民の期待が増えた。それもあって現在、皇后さまや長女の愛子さまの人気が高まっている部分もある」
これは、裏を返せば、秋篠宮ご一家の評判が下がっているのは、天皇ご一家の人気が高まっていることによるということであろう。
しかし、秋篠宮ご一家の評判が下がったことは秋篠宮ご一家に原因があるのであり、天皇ご一家の人気が高まっているのは天皇ご一家の徳によるものである。
そのことを理解せず、「シーソーと同じよう」と位置付け、天皇ご一家の責任にする。
まさに怨念の構図である。
江森氏の記事では、天皇皇后両陛下の英国御訪問の際、「ロンドン郊外のウィンザー城にあるエリザベス女王とフィリップ殿下の墓には天皇陛下が一人で供花」、「ロンドン市内のホテルでは「日本協会」(ジャパンソサエティー)など日英友好5団体が主催するレセプションが催されたのだが、ここにも皇后さまの姿はなかった。」などと、皇后陛下のことを批判的に取り上げる。
かつての皇太子妃バッシングが復活すれば、秋篠宮家バッシングがおさまるという期待があるのだろうか。
「シーソーと同じよう」という発想からは、そうなるのであろう。
愚かしい話だ。
また、江森氏は以下のようにも述べる。
-----引用開始-----
先ほど触れた7月の「後宇多天皇七百年式年祭の儀」「明治天皇例祭の儀」に関しては、皇后さまはいずれも欠席している。海外親善だけでなく宮中祭祀への取り組み方も今後の課題とされる中で、両陛下、すなわち「令和皇室」を支える皇嗣家の重みはいっそう増すばかりだ。
-----引用終了-----
「両陛下、すなわち「令和皇室」を支える皇嗣家の重み」というのは、本来そうあるべきという話なのであって、実態はまったくそうなっていない。
だいたい、令和の皇室の足を引っ張るのは常に皇嗣家だったではないか。
そのことを自覚せず、改善しようとせず、皇后陛下の御体調の問題をあげつらい、「令和皇室」を支える皇嗣家の重み」などと述べるのは恥知らずとしか言いようがない。
この記事は江森敬治氏によるもので、江森氏は昔から秋篠宮家に寄り添った記事を書いてきた方で、筆者としては、そういう存在も貴重だと思っていた。
ただ、この記事の中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
いまだにくすぶり続ける秋篠宮家批判。その背景について、ある皇室関係者はこのように分析する。
「シーソーと同じように、秋篠宮ご一家の評判が下がったことで、その分、天皇ご一家に対する国民の期待が増えた。それもあって現在、皇后さまや長女の愛子さまの人気が高まっている部分もあるでしょう」
続けて、
「『適応障害』と診断され、回復の途上にある皇后さまは依然、体調に波がある状態です。コロナ禍がようやく落ち着き、『令和皇室』もやっと本格的に動き出したばかり。天皇、皇后両陛下の“真価”が問われるのはこれからではないでしょうか」
そう付言するのだった。
-----引用終了-----
秋篠宮家バッシングについて、かつての東宮バッシングと「シーソーと同じよう」という言い方は、以前にも見かけたことがある。
*このブログの「河西秀哉氏の逆効果記事」参照
ただ、現象のタイミングがそういう風に見えるということであるとしても、バッシングの本質はそれぞれ別物である。
これはもうあまり書きたくなかったのであるが、「シーソーと同じよう」と言われれば仕方がない。
かつての東宮バッシングには(平成時代の)千代田派の怨念というものがあった。
週刊誌において、バッシングの出もとにつき、平成の「千代田関係者」ということが堂々と示されており、これを読んだ者たちは、安心して、調子にのって、さらなるバッシングを展開していたのではないか。
きわめて陰惨な構図である。
しかしながら、現在の秋篠宮家バッシングは、秋篠宮家の多くの人にとって受け入れ難い行動にもっぱら由来しているのではないか。
令和の「千代田関係者」が発信源となったことはないし、お墨付きを与えたこともないし、それでありながら、ここまでバッシングが高まっているということについては、もっと真剣に受け止めるべきであろう。
しかしながら、真剣に受け止めるどころか、「シーソーと同じよう」という捉え方に逃げる。
「秋篠宮ご一家の評判が下がったことで、その分、天皇ご一家に対する国民の期待が増えた。それもあって現在、皇后さまや長女の愛子さまの人気が高まっている部分もある」
これは、裏を返せば、秋篠宮ご一家の評判が下がっているのは、天皇ご一家の人気が高まっていることによるということであろう。
しかし、秋篠宮ご一家の評判が下がったことは秋篠宮ご一家に原因があるのであり、天皇ご一家の人気が高まっているのは天皇ご一家の徳によるものである。
そのことを理解せず、「シーソーと同じよう」と位置付け、天皇ご一家の責任にする。
まさに怨念の構図である。
江森氏の記事では、天皇皇后両陛下の英国御訪問の際、「ロンドン郊外のウィンザー城にあるエリザベス女王とフィリップ殿下の墓には天皇陛下が一人で供花」、「ロンドン市内のホテルでは「日本協会」(ジャパンソサエティー)など日英友好5団体が主催するレセプションが催されたのだが、ここにも皇后さまの姿はなかった。」などと、皇后陛下のことを批判的に取り上げる。
かつての皇太子妃バッシングが復活すれば、秋篠宮家バッシングがおさまるという期待があるのだろうか。
「シーソーと同じよう」という発想からは、そうなるのであろう。
愚かしい話だ。
また、江森氏は以下のようにも述べる。
-----引用開始-----
先ほど触れた7月の「後宇多天皇七百年式年祭の儀」「明治天皇例祭の儀」に関しては、皇后さまはいずれも欠席している。海外親善だけでなく宮中祭祀への取り組み方も今後の課題とされる中で、両陛下、すなわち「令和皇室」を支える皇嗣家の重みはいっそう増すばかりだ。
-----引用終了-----
「両陛下、すなわち「令和皇室」を支える皇嗣家の重み」というのは、本来そうあるべきという話なのであって、実態はまったくそうなっていない。
だいたい、令和の皇室の足を引っ張るのは常に皇嗣家だったではないか。
そのことを自覚せず、改善しようとせず、皇后陛下の御体調の問題をあげつらい、「令和皇室」を支える皇嗣家の重み」などと述べるのは恥知らずとしか言いようがない。