今回は、かなりファナティックなタイトルにしたのだが、その意味は順次述べる。
来る令和6年10月27日は、第50回衆議院選挙が行われる。
ただ、皇位継承の在り方については、今後の大きな課題であると思うのだが、国民に訴える政策としては位置付けられていないようだ。
それでも、メディアによる候補者へのアンケートでは項目の一つとなっており、それによると、どうも女性・女系拡大には慎重な姿勢が多いらしい。
自分は保守なんです!そして保守である以上、男系派なんです!という図式が成立してしまっているかのようである。
何でこういう図式が成立しているかについては、
1 いわゆる保守の世界において、男系派というのは集団として明確なので、男系派であることを宣言すれば仲間、支持者を得やすい。
2 男系男子が現行ルールなので、苦労して制度改正しなくてよい。男系男子を変えようとする動きがあった場合にそれを阻止すれば、頑張って何かをしているような顔ができる。旧宮家の男系男子の養子案というのもあるが、悠仁親王殿下がいるので、当面は何かしなくてもいい。
といった、打算的な理由もあるだろうか。
ただ、それだけではなく、男系男子、特に男系は、守らなければならない皇室の伝統であると、結構本気で信じているところもあると思う。
こういうと何だか他人事のようであるが、このブログを昔から読んでくださっている方であれば分かると思うけれども、筆者も、もともとは男系派だったのである。
もし、かつての筆者が、現在の筆者の書いている記事を読めば、こいつは皇室を滅ぼそうとしているとか、国体を破壊しようとしているとか、そんなことを口にしたかもしれない。
かつての筆者が何故そんな考え方をしていたかについて、改めて振り返れば、筆者の皇室問題への関心の出発点が、昭和天皇を守ろうというところにあったからではないかと思う。
敗戦後、GHQの影響から日本国憲法が成立し、国民主権原理が明確にされる中、その存在をいかにして守るか。
敗戦により外部からの影響により変更されてしまうことをいかに阻止するか、という戦いの発想である。
筆者が読み漁った戦後の保守思想の書物というのも、こういう戦いを意識して書かれたものが多く、その影響をかなり受けていたのではないかと思う。
ある意味、戦後特有の事情と言えるだろうか。
このように考えると、明治の人々は、これとは全然違っていたのだろうなと思う。
明治の人々は、それまでの江戸幕府を否定するという立場なので、「変更を阻止」というのとはむしろ逆であり、これからの国づくりに役立つか否かという観点が考え方の根本にあったはずである。
より柔軟で現実的な検討が行われていたはずだ。
現に、旧皇室典範の起草に際し、初期の頃に作成された「皇室制規」では女系の可能性を明記していたし、それは井上毅により反対されたが、井上の論拠というのも、例えば「氏」の問題は観念論のようにも感じられるが、当時はその制度の確立期にあったという事情があり、また、ヨーロッパ諸国におけるサリカ法典との比較、国内の婦人参政権を認めていないことと整合性など、現実的な検討を経たものであったと言える。
明治22年、大日本帝国憲法により「皇男子孫」、旧皇室典範により「男系ノ男子」が定められ、それから135年。
これらは、ずっと守るべき法典として定められたものではあったが、それでも当時の人々が現在の状況を見たらどのように感じるだろうか。
思想的に楽をしていると感じるのではないだろうか。
さすがに、再検討の時期になっているのではないか。
そもそも、敗戦直後であれば、「変更を阻止」ということが、皇室を大事にすることとイコールという図式が成り立っていただろう。
しかし現在は、もう成り立たなくなっているのではないか。
側室制度のない中での男系男子は制度として非常に困難というのもそうだけれども、子を生まなければならない妃、后の立場にも、もっと思いを巡らせるべきではないだろうか。
かつて、香淳皇后は、生まれてきた子が4人とも連続女子で、5人目で男子(現在の上皇陛下)となったわけだが、本当に大変だったろうと思う。
生まれてくるのは男子か女子かという注目のされ方をしつづけ、女子が生まれたときには、何とも言えないがっかり感がただようというのは、もう本当に止めた方がいいと思う。
そういう配慮すらできないのであれば、お嫁さんは来なくなるであろう。
そしたら即、滅亡ではないか。
男系男子に固執するということが、皇室を大事にすることと、イコールであるとは到底言えない。
また、そもそも、男系男子、あるいは男系ということに、思想的な価値というものが本当にあるのだろうか。
長く続いてきたということは事実であろう。
しかし、近代以前の社会、家制度との関係、これらは男尊女卑ということになるであろうが、そういった男尊女卑以外に、何らかの思想的な価値というものはあるのだろうか。
いわゆる保守派は、男系継承は男尊女卑とは違うと言うけれども、では男尊女卑以外の思想的価値は何かとなれば、きちんと説明できないのではないか。
世襲制により長く続いてきたというのも、ずっと遡っていけば、天照大御神に行きつく。
女性神である。
いや、それは神話なんだ、初代神武天皇を基点にするべきで、最初は男性天皇だという。
しかし、神武天皇の権威は、祖先神の子孫ということに由来するのではないか。
ここで、筆者としても、神話の時代の話を、客観的な歴史的事実であるとまでは言うつもりはない。
ただ、神話を伝承してきた古代の人々の思いはリアルであったはずである。
もし、神話をフィクションというのであれば、なぜ祖先神を男神としなかったのか。
男系継承が絶対的に守らなければならないという信念が、本当に太古から存在していたのであれば、祖先神を男神とすればそれで決着である。
しかし、そうはなっていない。
ここを突かれると、いわゆる保守派は、天照大御神は実は男性だったとかヘンテコなことを言ったりする。
確かに、天照大御神とスサノオとの誓約(うけい)の場面については、夫婦の交わりを暗喩しているように読めなくもない。そして、天照大御神と誓約で生まれた男神との関係は、父子の関係であるように見えなくもない。
しかし、そのことをもって天照大御神を男性としてしまうと、スサノオが女性ということになってしまう。
それはさすがに変じゃないか。
かといって、天照大御神を男性とし、スサノオもやはり男性だとすると、男性同士の交わりでの子生みになってしまい、もっと変じゃないか。
ということで、いずれにしても破綻する。
やはり、日本の神話は、天照大御神が女性神であることを前提に成り立っているのであり、天照大御神が皇室の祖先神なのだから、そもそもの出発点は女系の祖ということになる。
このことは、非常にありがたいことなのではないだろうか。
太古の血なまぐさい戦いの世においては、必然的に男社会とならざるを得ず、男系継承はその帰結であったとも考えられるが、いつの日か、遠い未来に女系継承の必要が生じたとき、正統性あるものとして女系を導入することを可能とするための根拠が、予め神話上に組み込まれていたと言えるのではないか。
もちろん、天照大御神を前例として新たな女系の祖とするためには、それに見合うだけの聖性がなければならないだろう。
ただ、奇跡的に、現在は愛子内親王殿下という存在があり、そのような条件を満たしていると言えるのではないだろうか。
来る令和6年10月27日は、第50回衆議院選挙が行われる。
ただ、皇位継承の在り方については、今後の大きな課題であると思うのだが、国民に訴える政策としては位置付けられていないようだ。
それでも、メディアによる候補者へのアンケートでは項目の一つとなっており、それによると、どうも女性・女系拡大には慎重な姿勢が多いらしい。
自分は保守なんです!そして保守である以上、男系派なんです!という図式が成立してしまっているかのようである。
何でこういう図式が成立しているかについては、
1 いわゆる保守の世界において、男系派というのは集団として明確なので、男系派であることを宣言すれば仲間、支持者を得やすい。
2 男系男子が現行ルールなので、苦労して制度改正しなくてよい。男系男子を変えようとする動きがあった場合にそれを阻止すれば、頑張って何かをしているような顔ができる。旧宮家の男系男子の養子案というのもあるが、悠仁親王殿下がいるので、当面は何かしなくてもいい。
といった、打算的な理由もあるだろうか。
ただ、それだけではなく、男系男子、特に男系は、守らなければならない皇室の伝統であると、結構本気で信じているところもあると思う。
こういうと何だか他人事のようであるが、このブログを昔から読んでくださっている方であれば分かると思うけれども、筆者も、もともとは男系派だったのである。
もし、かつての筆者が、現在の筆者の書いている記事を読めば、こいつは皇室を滅ぼそうとしているとか、国体を破壊しようとしているとか、そんなことを口にしたかもしれない。
かつての筆者が何故そんな考え方をしていたかについて、改めて振り返れば、筆者の皇室問題への関心の出発点が、昭和天皇を守ろうというところにあったからではないかと思う。
敗戦後、GHQの影響から日本国憲法が成立し、国民主権原理が明確にされる中、その存在をいかにして守るか。
敗戦により外部からの影響により変更されてしまうことをいかに阻止するか、という戦いの発想である。
筆者が読み漁った戦後の保守思想の書物というのも、こういう戦いを意識して書かれたものが多く、その影響をかなり受けていたのではないかと思う。
ある意味、戦後特有の事情と言えるだろうか。
このように考えると、明治の人々は、これとは全然違っていたのだろうなと思う。
明治の人々は、それまでの江戸幕府を否定するという立場なので、「変更を阻止」というのとはむしろ逆であり、これからの国づくりに役立つか否かという観点が考え方の根本にあったはずである。
より柔軟で現実的な検討が行われていたはずだ。
現に、旧皇室典範の起草に際し、初期の頃に作成された「皇室制規」では女系の可能性を明記していたし、それは井上毅により反対されたが、井上の論拠というのも、例えば「氏」の問題は観念論のようにも感じられるが、当時はその制度の確立期にあったという事情があり、また、ヨーロッパ諸国におけるサリカ法典との比較、国内の婦人参政権を認めていないことと整合性など、現実的な検討を経たものであったと言える。
明治22年、大日本帝国憲法により「皇男子孫」、旧皇室典範により「男系ノ男子」が定められ、それから135年。
これらは、ずっと守るべき法典として定められたものではあったが、それでも当時の人々が現在の状況を見たらどのように感じるだろうか。
思想的に楽をしていると感じるのではないだろうか。
さすがに、再検討の時期になっているのではないか。
そもそも、敗戦直後であれば、「変更を阻止」ということが、皇室を大事にすることとイコールという図式が成り立っていただろう。
しかし現在は、もう成り立たなくなっているのではないか。
側室制度のない中での男系男子は制度として非常に困難というのもそうだけれども、子を生まなければならない妃、后の立場にも、もっと思いを巡らせるべきではないだろうか。
かつて、香淳皇后は、生まれてきた子が4人とも連続女子で、5人目で男子(現在の上皇陛下)となったわけだが、本当に大変だったろうと思う。
生まれてくるのは男子か女子かという注目のされ方をしつづけ、女子が生まれたときには、何とも言えないがっかり感がただようというのは、もう本当に止めた方がいいと思う。
そういう配慮すらできないのであれば、お嫁さんは来なくなるであろう。
そしたら即、滅亡ではないか。
男系男子に固執するということが、皇室を大事にすることと、イコールであるとは到底言えない。
また、そもそも、男系男子、あるいは男系ということに、思想的な価値というものが本当にあるのだろうか。
長く続いてきたということは事実であろう。
しかし、近代以前の社会、家制度との関係、これらは男尊女卑ということになるであろうが、そういった男尊女卑以外に、何らかの思想的な価値というものはあるのだろうか。
いわゆる保守派は、男系継承は男尊女卑とは違うと言うけれども、では男尊女卑以外の思想的価値は何かとなれば、きちんと説明できないのではないか。
世襲制により長く続いてきたというのも、ずっと遡っていけば、天照大御神に行きつく。
女性神である。
いや、それは神話なんだ、初代神武天皇を基点にするべきで、最初は男性天皇だという。
しかし、神武天皇の権威は、祖先神の子孫ということに由来するのではないか。
ここで、筆者としても、神話の時代の話を、客観的な歴史的事実であるとまでは言うつもりはない。
ただ、神話を伝承してきた古代の人々の思いはリアルであったはずである。
もし、神話をフィクションというのであれば、なぜ祖先神を男神としなかったのか。
男系継承が絶対的に守らなければならないという信念が、本当に太古から存在していたのであれば、祖先神を男神とすればそれで決着である。
しかし、そうはなっていない。
ここを突かれると、いわゆる保守派は、天照大御神は実は男性だったとかヘンテコなことを言ったりする。
確かに、天照大御神とスサノオとの誓約(うけい)の場面については、夫婦の交わりを暗喩しているように読めなくもない。そして、天照大御神と誓約で生まれた男神との関係は、父子の関係であるように見えなくもない。
しかし、そのことをもって天照大御神を男性としてしまうと、スサノオが女性ということになってしまう。
それはさすがに変じゃないか。
かといって、天照大御神を男性とし、スサノオもやはり男性だとすると、男性同士の交わりでの子生みになってしまい、もっと変じゃないか。
ということで、いずれにしても破綻する。
やはり、日本の神話は、天照大御神が女性神であることを前提に成り立っているのであり、天照大御神が皇室の祖先神なのだから、そもそもの出発点は女系の祖ということになる。
このことは、非常にありがたいことなのではないだろうか。
太古の血なまぐさい戦いの世においては、必然的に男社会とならざるを得ず、男系継承はその帰結であったとも考えられるが、いつの日か、遠い未来に女系継承の必要が生じたとき、正統性あるものとして女系を導入することを可能とするための根拠が、予め神話上に組み込まれていたと言えるのではないか。
もちろん、天照大御神を前例として新たな女系の祖とするためには、それに見合うだけの聖性がなければならないだろう。
ただ、奇跡的に、現在は愛子内親王殿下という存在があり、そのような条件を満たしていると言えるのではないだろうか。