令和6年10月18日9:15、時事通信より配信の「夫婦別姓、皇室典範に言及 女性差別撤廃委が対日審査 国連」と題する記事がある。
国連の女性差別撤廃委員会が、皇室典範について指摘をするというのは、しばしばある話であり、これに対し、同委員会で取り扱うべき話ではないという政府の姿勢は、その通りであると思う。
ただ、「男系男子」という継承ルールは明らかに男女で差を設けているわけであるが、それを正当化する論理というものがちゃんとあるのかどうかは、国際的にも注目されるのではないか。
記事では「政府担当者は「歴史や伝統を背景に国民の支持を得て今日に至っている」」としているらしいが、一昔前であればこの言い方でよかったであろう。
しかし、最近は、世論調査において、女性天皇、さらに、女系天皇支持する意見の方が多数派となっており、「国民の支持」ということは根拠となり得なくなっているのではないか。
「国民の支持」が根拠となり得ない中で、なぜ維持し続けるのかについて、昔からずっとこうだったからというだけでは、まさにそういう発想があるからこそ、いつまでも差別は解消されないのだと、差別問題に関心のある人たちは感じるであろう。
保守の立場からは、これは一般の国民の生活の問題とは異なる特別な問題なのである!という反論になるのだろうけれども、法律で定めるルールにおいて男女の差別をしてもいい領域を認めるという発想こそが問題なのだというふうにしか、受けとられないだろう。
筆者としても、日本独自のものなのだし、国連の委員会の言いなりになる必要は全くないと思うのだが、昔からずっとこうだったからというだけでなく、維持し続けるのであればもっと中身のある理由が必要なのではないかと思う。
日本独自の問題だからこそ、国政を担おうとする者には、きちんとした見解が必要ははずなのである。
この問題に関して、しばしば、女性天皇はいいけれども、女系はダメという意見を見かけるが、筆者からすれば、議論として成り立ち得るのは、女性天皇の是非の方なのではないかと思う。
天皇のお務めの内容、生活様式について、女性にも相応しいか否か。
過去に女性天皇はおられたけれども、古い話ではあるので、現在の社会制度の下で問題は生じないかの確認的な検討は必要だろう。
その上で、女性にも相応しい(あるいは、女性の方が相応しい)となれば、男系・女系の「系」の問題というのは、子孫にその特質を継承させることができるかどうかだが、子の遺伝子は父の遺伝子と母の遺伝子とで成り立っているというのはもう常識なので、ダメということにはなり得ないのではないか。
かつて、渡部昇一氏は、畑と種の例えを用いていた。
これは、男系派の立場でなされた説明なのだが、男系思想を非常によく表していると言えるだろう。
すなわち、男が種、女は畑。
何が生まれ育つかは種で決まるのであり、畑で決まるのではない、という話である。
この思想に立てば、確かに男系絶対となるであろう。
そして、昔は多くの人がこの思想を持っていたのかもしれない。
しかし、現代においては、未開の俗信、迷信の類というほかない。
以上のことから、今は選挙の話題がいろいろあるが「女性天皇はいいけれども、女系はダメ」という発言をするような人は、社会制度を作る資格はないのではないかと思う。
国連の女性差別撤廃委員会が、皇室典範について指摘をするというのは、しばしばある話であり、これに対し、同委員会で取り扱うべき話ではないという政府の姿勢は、その通りであると思う。
ただ、「男系男子」という継承ルールは明らかに男女で差を設けているわけであるが、それを正当化する論理というものがちゃんとあるのかどうかは、国際的にも注目されるのではないか。
記事では「政府担当者は「歴史や伝統を背景に国民の支持を得て今日に至っている」」としているらしいが、一昔前であればこの言い方でよかったであろう。
しかし、最近は、世論調査において、女性天皇、さらに、女系天皇支持する意見の方が多数派となっており、「国民の支持」ということは根拠となり得なくなっているのではないか。
「国民の支持」が根拠となり得ない中で、なぜ維持し続けるのかについて、昔からずっとこうだったからというだけでは、まさにそういう発想があるからこそ、いつまでも差別は解消されないのだと、差別問題に関心のある人たちは感じるであろう。
保守の立場からは、これは一般の国民の生活の問題とは異なる特別な問題なのである!という反論になるのだろうけれども、法律で定めるルールにおいて男女の差別をしてもいい領域を認めるという発想こそが問題なのだというふうにしか、受けとられないだろう。
筆者としても、日本独自のものなのだし、国連の委員会の言いなりになる必要は全くないと思うのだが、昔からずっとこうだったからというだけでなく、維持し続けるのであればもっと中身のある理由が必要なのではないかと思う。
日本独自の問題だからこそ、国政を担おうとする者には、きちんとした見解が必要ははずなのである。
この問題に関して、しばしば、女性天皇はいいけれども、女系はダメという意見を見かけるが、筆者からすれば、議論として成り立ち得るのは、女性天皇の是非の方なのではないかと思う。
天皇のお務めの内容、生活様式について、女性にも相応しいか否か。
過去に女性天皇はおられたけれども、古い話ではあるので、現在の社会制度の下で問題は生じないかの確認的な検討は必要だろう。
その上で、女性にも相応しい(あるいは、女性の方が相応しい)となれば、男系・女系の「系」の問題というのは、子孫にその特質を継承させることができるかどうかだが、子の遺伝子は父の遺伝子と母の遺伝子とで成り立っているというのはもう常識なので、ダメということにはなり得ないのではないか。
かつて、渡部昇一氏は、畑と種の例えを用いていた。
これは、男系派の立場でなされた説明なのだが、男系思想を非常によく表していると言えるだろう。
すなわち、男が種、女は畑。
何が生まれ育つかは種で決まるのであり、畑で決まるのではない、という話である。
この思想に立てば、確かに男系絶対となるであろう。
そして、昔は多くの人がこの思想を持っていたのかもしれない。
しかし、現代においては、未開の俗信、迷信の類というほかない。
以上のことから、今は選挙の話題がいろいろあるが「女性天皇はいいけれども、女系はダメ」という発言をするような人は、社会制度を作る資格はないのではないかと思う。