落書き帳

皇室評論家って、つまらない奴ばかりなので
専門家とか、ホントに?

余計なことを言うなボケ

2024-07-06 22:28:35 | 皇室の話(3)
令和6年7月6日9:17、PRESIDENTOnlineより配信の「天皇陛下だけが足を運ぶ「歪な皇室外交」でいいのか…両陛下の「英国訪問成功」を手放しで喜んではいけないワケ」と題する記事がある。

余計なことを言うなボケ

この記事を読む多くの人も、そう思うのではないだろうか。

そもそも、国際親善のための皇室の外国御訪問は、双方の国において、よい御訪問であったと手放しで喜んで、それで良いのである。
良かった良かったと喜んで、お互いの国に対する親近感が生じて高まることとなれば、それこそが国際親善に繋がるのだ。

憲法上の問題、国際儀礼上の問題を生じるようなことがあった場合には、その指摘、批判は大事であろう。
しかし、そうではないところで、印象論でああだこうだとネガティブに評するというのは、そもそもが野暮であるし、この記事によって何らかの影響が生じるとしても、それはマイナスの影響にしかならないであろう。

それにしても、なぜこのタイミングでの記事なのだろうか。

記事中に以下の記載がある。

-----引用開始-----
■天皇陛下としての訪英が5回続いている
 この訪問が「新日英同盟」といわれるほど緊密の度を深めている両国関係や、東西世界を代表する天皇と国王の友情を深化させ絆を深めたとしたら、心強いことである。
 ただ、1975年のエリザベス女王のたった1回の訪日の後、日本の天皇陛下(平成年間の上皇陛下の訪英を含む)が5回連続して訪英するという現在の状況は普通では考えにくい。ほかの国の君主は、むしろ日本が受け入れることのほうが多いのと好対照になっている。
-----引用終了-----

エリザベス女王の訪日の後、天皇陛下が5回連続して訪英しているとあり、図表まで付いているのであるが、5回のうち3回は、平成時代の天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)であり、令和時代の訪英も1回はエリザベス女王の葬儀に参列するための訪英である。
令和の時代における訪英について、何か問題があるというわけではないであろう。

相互の御訪問の回数については、お代替わりの前後を通じてカウントするものだという考えに立つのであれば、まずは、平成時代の回数の多さを問題にするべきなのではないだろうか。

また、記事中にこんな記載もある。

-----引用開始-----
■1週間も滞在されたが、内容は薄かった
 また、今回は、チャールズ国王、キャサリン皇太子妃、雅子さまの体調面の不安があり、しかも、英国は総選挙の期間だったので、1週間という長い滞在にもかかわらず、内容は薄く、現地の報道でも主要ニュースとしては取り上げられなかった。
 私は、『英国王室と日本人 華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館、篠塚隆と共著)という本で日英国際親善の歴史を解説しているが、これまでの皇室外交と比べたとき、いささか内容が希薄で多くの課題を残したと考える。
 たとえば、訪英中にランチやディナーの機会は12回あったが、両陛下での参加は国王ご夫妻との内輪の会と公式晩餐会、それに、オックスフォード大学総長との昼食のみ。ほかに陛下単独で歴史的な金融地区であるシティ・オブ・ロンドンで開かれた晩餐会への出席が1回あったものの、8回はホテルで両陛下など身内ですまされた。
-----引用終了-----

「内容は薄かった」なんていうことがあるのだろうか。
この人は何を言っているんだろうという感じしかしない。
ランチやディナーの機会の数を取りあげて批判的に論じているが、回数に着目した議論というのはどれぐらい意味があるのだろうか。
結局のところ、こだわる人にとっては意味がある、というぐらいのことなのではないだろうか。
また、「内容は薄かった」といった論じ方は、そもそもホスト国に対し非礼なのではないだろうか。

八幡氏の記事は、何も問題のないところに自ら問題を作り出し、全てを台無しにしようとする所業のようにしか思えない。

何でこんなことを書くのだろう。

八幡氏は、今回の御訪英について、特に皇后陛下をターゲットにして、これでもかという感じで延々と批判を展開し、最後に以下のように述べる。

-----引用開始-----
 いずれにせよ、日本の皇室が英国の王室にすり寄っている印象なのはよろしくない。一方、皇族が英国に留学したりしても、あちらの貴族社会になじんでおられる風でもない。雅子さまのご体調を前提にすればいかなる日程が好ましいのかとか、今後の悠仁さまの留学も含めて、皇室外交について戦略の立て直しが必要だ。
-----引用終了-----

「日本の皇室が英国の王室にすり寄っている印象」とある。
「印象」という言い方であれば、それが如何におかしいものであろうとも、それが私の印象なんですと言われれば、それまでとなってしまう。

ただ、八幡氏の記事でおかしいと感じるのは、皇室の外国御訪問は、政府において相手国と調整して決定するという仕組みになっていることへの言及が全く無いことである。
外国御訪問に対する皇室側の思い、お気持ちというものはあるであろう。
しかし、仕組みとしては、皇室には外交権はないのであって、そもそも「皇室外交」という言葉は間違ったものであり、政府において調整した中で、皇室は国際親善に務められるのだ。

回数の問題を取りあげたいのであれば、まずは、批判の対象とするべきは政府(外務省)ということになるであろう。
天皇皇后両陛下においては、それぞれの外国御訪問の機会において、最大限、国際親善に資するようにお務めになられるのである。
今回の英国御訪問にしてもそうであろう。

八幡氏は、「英国の王室にすり寄っている印象」などと言うが、それなら、訪英が連続で5回目となっておりおかしいですよということで、不満そうな表情でもしていればよかったというのであろうか。

ばかげている。

この八幡氏の記事というのは、誰に向けて書いたものなのだろうか。

どうも筆者には、今回の英国御訪問の成功に嫉妬している誰か、皇后陛下の華やかな姿に嫉妬している誰かの気持ちをなだめ、その誰かに取り入ろうとしている意図のようなものを感じてしまう。

この八幡氏というのは、令和6年7月2日の皇室の伝統を守る国民の会でスピーチをした人物の一人である。



このアゴラの記事を読んでも明らかだが、要するに、秋篠宮家を持ち上げるために天皇御一家をおとしめたい派ということのようだ。

秋篠宮家のお立場に詳しいということであれば、秋篠宮殿下の摂政待遇については、どのように理解しているのだろうか。

このブログの令和6年6月4日の「八幡和郎氏の記事を切っ掛けに確認(皇嗣殿下の摂政待遇と暗い未来)」という記事でも書いたのだが、

八幡氏は、プレジデントオンライン配信の「愛子さま、佳子さまの「将来の年収」を左右する…「女性皇族は結婚後も皇族残留案」の抜群のメリット」と題する記事において、以下のように書いていた。

-----引用開始-----
ただし、常陸宮・三笠宮・高円宮各宮家の当主には3050万円なのを、従来の皇太子殿下の費用とほぼ同額ということで、秋篠宮皇嗣殿下には3倍の9150万円が支払われるようにした。
-----引用終了-----

「従来の皇太子殿下の費用とほぼ同額」という箇所につき、筆者は皇太子殿下の費用の額というものを聞いたことが無かったので変だと思い、改めて、平成29年4月21日付け天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議最終報告を確認すると、その18ページに、以下のように記載されていた。

-----引用開始(下線は筆者)-----
3 皇室経済法上の経費区分
文仁親王殿下を皇太子としない場合、皇室経済法上の位置付けは、御家族を含め、引き続き内廷外皇族であり、皇族費の対象となる。
ただし、この場合であっても、皇位継承順位第一位というお立場の重要性や御活動の拡大等に鑑み、皇族費の額を増額することが必要である。具体的には、皇室経済法において、摂政たる皇族に対する皇族費の支給について、その在任中は定額の3倍に相当する額の金額とする旨が規定されていることも参考とし、これに相当する程度に増額することが適当である。
-----引用開始-----

要するに、秋篠宮殿下を摂政待遇とするべく皇族費を3倍(3050万円×3)にしていたのである。

さて、摂政というのは、「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」に置かれるもの(皇室典範第16条第2項)で、国事行為を常時代行するのが任務である。

したがって、国事行為の常時代行をするからこその皇族費3倍なのであるが、皇嗣殿下は臨時代行として、今年度は御訪問の間しか臨時代行をしていない。

皇族費3倍の摂政待遇者として果たしている役割として、十分と言えるのだろうか。

英国御訪問の間、代行を務めたのは、
令和6年6月25日(火)国事行為臨時代行(ご執務)(秋篠宮邸/東京都港区)
令和6年6月28日(金)国事行為臨時代行(ご執務)(秋篠宮邸/東京都港区)

これだけである。

「1週間も滞在されたが、内容は薄かった」どころではないのではないだろうか。
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すごい皇后陛下

2024-07-04 21:56:09 | 皇室の話(3)
令和6年7月4日11:00、女性自身より配信の「雅子さま 訪英パレードでマスクご着用への「馬アレルギーは大嘘」批判が“的はずれな”理由」と題する記事がある。

「馬アレルギーは大嘘」とはどういうことなのか。

記事中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
《雅子様の馬アレルギーなんて大嘘ですよ》
《雅子さまが馬アレルギーとは思えない。それは何枚もの写真や動画が証明している》

ご成婚後の雅子さまが乗馬されたり、マスクなしで馬の近くで撮影された写真などを理由に、雅子さまの馬アレルギーを否定する声が散見されたのだ。
-----引用終了-----

筆者には、皇后陛下の「馬アレルギー」がどの程度のものかはよく分からない。
アレルギーは個人差が大きいのではないだろうか。

また、アレルギーという文言は、対象物に対する拒絶感を想起させるイメージがあるが、対象物との関係性は様々であろう。

例えば、筆者は、猫アレルギーなのだが、猫は好きな方である。
猫と接していつも発症するわけではなく、普通に撫でたり遊んだりすることはできる。
ただし、いったん発症するとクシャミと鼻水が止まらなくなる。

犬や猫が好きな方で、好きなんだけれどもアレルギーもあるという方は、それほど珍しくないのではないか。

それと同様であるとすれば、馬車にお乗りになりつつ、大事をとってマスクをされるというのも、特におかしいこととは思われない。

それよりも、この記事により知ることができたのだが、皇后陛下のマスクは特製のようだ。

記事中に記された皇室担当記者の説明の中に以下の箇所がある。
-----引用開始-----
雅子さまが着用されていたのはただのマスクではなく、お召し物やお帽子のレースと同じ美しいデザインが施されたレースで飾られたマスクでした。英王室において馬車でのパレードは最上級のおもてなしであることから、雅子さまはお召し物とご一緒に、着用されるマスクもトータルコーディネートされたのでしょう。
-----引用終了-----

写真をよく見ると、確かに、お召し物やお帽子のレースと同じデザインのレースがついている。

筆者には思いもよらないところで示された抜群のセンスであり、

これはすごいと思ってしまった。
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愛子天皇実現のために議員の取捨選択

2024-07-02 22:54:07 | 政治家
令和6年7月2日20:18、産経新聞より配信の「皇族数確保、麻生太郎氏らが早期結論に意欲 立民の対応が焦点」と題する記事がある。

男系男子による皇位継承の維持を訴える「皇室の伝統を守る国民の会」が、令和6年7月2日に開催されたとのことだ。

ただ、開催されたからといって、それがどうしたという感じではある。

記事によれば、
「男系男子孫の養子案の具体化などを柱とする活動方針を決定した。」、
「挨拶に立った自民党の麻生太郎副総裁ら主要政党の幹部は早期の結論に意欲を示した。」、「「皇統に属する男系男子孫の養子案の具体化は喫緊の重要課題」「女性皇族が婚姻後も皇族身分を保持する場合は歴史の重みを尊重すべきだ」などと定めた活動方針案が示され、出席者の拍手で了承された。」
とあるが、
いつもどおりの掛け声だけだ。

だいたい、いつまで「活動方針」なのだろう。

そろそろ「方針」ではなく、実際の活動をしてみたらどうなのか。

だいたい、こういう場で叫んでいる人たちというのは、自分こそがリーダーであるという顔をしたいだけで、しんどい役割は人任せ(政府の役人任せ)なのであろう。

そうでないというのであれば、男系男子孫の養子案でも何でもやってみればいい。

そうして具体化していけば、それがどれだけ不味い案であるかが明らかになってくるであろうし、筆者としては、むしろそれを待っているのである。


ただ、彼らの実態が、結局は掛け声だけの集団であり、政策実現のためには無力であるとしても、政策阻止のためには十分な力を発揮してしまう。

そして、そのこだわりの度合いは、ほとんど集団カルトのような状態になってしまっているので、議論によって考えを変えるという見込みは薄いであろう。

であれば、皇位継承資格の女性・女系拡大を実現するためには、男系男子にこだわる国会議員を一人でも減らし、女性・女系賛成の議員を一人で増やしていくしかない。
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この淡泊さはなんだろう

2024-07-01 22:28:43 | 皇室の話(3)
皇室の動きというものは、それ自体、報道価値があるということなのだろう。

けれども、これは何故に記事になったのだろうかと、読んでいて不思議な気持ちになるものもある。

令和6年6月30日17:33、朝日新聞より配信の「紀子さま、数分間拍手送る がん患者のチャリティーコンサート鑑賞」と題する記事がある。

この中に、以下の記載がある。
-----引用開始-----
紀子さまは熱心に耳を傾け、観客と共に数分間にわたり拍手を送った。主催した「がん研究会」(名誉総裁・常陸宮さま)の浅野敏雄理事長によると、紀子さまは「感激しました」などと語ったという。
-----引用終了-----

「数分間にわたり」とあるが、時間でも計っていたかのようで、少し不気味である。

拍手で数分間というのはかなり長目であると思うのだが、それだけ盛り上がっていたのだろうか。

であれば、会場の興奮の様子などをまずは書くべきだろうと思う。

拍手が長く続いたということを具体的に書きたいのであれば、拍手を主語にして拍手は数分間にわたって続いたと書けば、あまり違和感はないのではないか。

でも、それができない。

それはおそらく、会場の雰囲気を伝えるのが主目的ではなく、紀子妃殿下の様子を伝えるのが主目的となっており、それ故に、紀子妃殿下を主語として記事を書こうとし、そこに客観的な情報を組み込もうとしたからなのだろう。

そのために、会場の雰囲気を書くことなく「観客と共に数分間にわたり拍手を送った。」という記載をすることとなり、まるで淡泊な観察記のような文章になってしまった、ということだろう。

また、「紀子さまは「感激しました」などと語ったという。」というのも、同じような要因があるのだろうか。

何だか小学生の感想のようなコメントなのだが、紀子妃殿下を主語として、できるだけ客観的に書こうとするとこうなるのだろう。


これに対し、産経新聞はなかなか上手である。

令和6年6月30日19:30、産経新聞より配信の「紀子さま、がん患者のチャリティーコンサートにご臨席」と題する記事である。

この中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
紀子さまはがん患者や医療従事者などで構成された約150人の合唱団の歌声に耳を傾け、盛んに拍手を送られていた。
-----引用終了-----

紀子妃殿下を主語としつつ、拍手のことも違和感なく書けている。
「数分間」という客観的情報を無理に書いていないので、観察記のようにならないですんでいるということだろう。

そして、小学生の感想のようなコメントは敢えて省くことにより、全体として違和感のない記事になっている。


皇室についての報道記事というのは、なかなか難しいものだなと思っていたところ、また新たな記事を見かけることとなった。

令和6年7月1日1:54、FNNプライムオンラインより配信の「紀子さま「感動しました」がん患者らの「第九」チャリティーコンサート鑑賞され笑顔で拍手」と題する記事である。

この中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
コンサートでは、練習を重ねたがん患者や家族など約150人が、ベートーベンの交響曲第9番「歓喜の歌」の合唱を披露し、紀子さまは笑顔で拍手を送られました。
これに先立って、がんを患ったフリーアナウンサーの笠井信輔さんと医師が対談し、紀子さまは熱心に耳を傾けられました。
終演後、紀子さまは関係者に「感動しました」と話されたということです。
-----引用終了-----

またまた淡泊な観察記。

朝日新聞の記事では「感激しました」となっていたが、この記事では「感動しました」になっている。

ただ、いずれにしても、小学生の感想のようである。

仮に、本当にこのとおりのご発言であったとしても、それならそれで、関係者を激励されたとか、労われたといった説明を付け足せば、それなりに違和感のない記事になったと思うのだが、「紀子さまは関係者に「感動しました」と話された」というのでは、あまりにありのまますぎる。

以上のようなことは、筆者が指摘するまでもなく、記者はプロなのであるから、当然に自覚しているであろう。

どうも、敢えてやっているとしか思えない。

何か制約があるのだろうか。

それとも、意欲がなくて淡泊な記事になってしまっているのだろうか。

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