40年も前、私が学生の頃の「公務員」、不人気で成り手がなく、「給料も安い」の代名詞でありました。
経済も右肩上がりで、私の周りも皆、年間1000万円以上の(当時で、今換算すると約5倍)高額所得者でありました。
それが、この不況時代へ入ると、一変。世間は「公務員はいいねえ。仕事しない、首はない、退職金は貰える」と散々いじめられ、あげく、「公務員給与は高すぎる」の大合唱、風当たりも強く「世間並みにせよ」。
各自治体も予算ねん出のため、(誰が始めたか、以前から進められた「お手盛り、論功行賞」はそのままに)、人事院勧告に従い報酬審議会なるモノが査定、先ず目先の簡単な職員の給与のカットから始める。
世間からは職員の努力も力量も評価されず、こんな時だけ民間と比較され、もう「ぼろくそ」。やがて士気が低下し、定年前に辞めていき、やがて質もサービスも低下して、市民に「何もしてクレナイ」病が蔓延する。
お金はあっても決して不自由な事はありません。「ちょうどよい。」と云う尺度もありません。あればあっただけ欲しい、まだ足りない。しかし、あり過ぎて身を滅ぼすこともあります。
人の命も「お金」の時代。尺度が「お金」では、人と人とのつながりも、何か水臭いものになります。昔から「金の切れ目は縁の切れ目」。「ほどほどに」という基準でもあれば、イイのですが。
モノサシは、世間・他人と比較して、あの人より「貧乏・ゼイタク」、昔・以前より「貧乏・ゼイタク」。
かと言って、まったく働かないで「カネがない」と嘆いてみても、仕方ない。これが自己責任。
プロの役者・野球選手の所得は高い?それとも安い?それ以上の働き、収益を期待して経営者が判断する事。
「給与の高い安い」は実績を見て評価するもの。
新聞報道に、愛知県会議員の報酬が載っておりました。世間と比較して、(今までの名古屋市議の報酬も批判されるほどに)高いモノ?その上「費用弁償」もかなり付いていたようで。
商売人なら、100万円使って200万円、1000万円投下して2000万円、これが倍の「差益・もうけ」。
逆に損する時もある。ハナから、損する事を考えてアキナイする人は先ずいない。(いるとすれば、詐欺師)
100円の物を仕入れて、50円で売れば「売れるはず」。
どんな企業でも、損を承知で従業員を採用する事はない。あれば経営者として失格。
大根役者はパフォーマンスも茶番劇も上手。自分から進んで「給与・報酬が高すぎる」と云って削れますか、それほどまでに働きが少ないのでしょうか。
しかし、生活費や活動費は当然、支給されるべき。「無責任なボランティア」になってもらっても、シワ寄せが市民に還るようでは、社会自体が成り立たない。
それでも世間が「あなたの報酬は高い」と云うなら、それ相当の働きをしていないと評価しているのです。
私が市長であるなら、浅はかですが非難されるような高給取りの副市長は二人とも置く事はないでしょう。その代わり、責任をとれるような大きな仕事もせずに4年間、前例踏襲、大過なく過ごします。今の津島市にあぐらをかいて、人前に出れば頭を下げるだけ、下を向いてます。それだけでいいのです。給料も保障されます。今までの市長は?
何と「夢も希望もない」事でしょう。皆さん、それでいいのですか?
貰える給料以上の奮起・活躍を皆は期待しています。結果的に何倍にもなってハネ返ってきたら文句は出ません。
そのためにも「意地でも見返すだけの仕事」に精を出すのは当たり前なんです。
問題は使い方だけ。博打で損をする人も見えれば、被災地に奉仕をする人もいる。
墓場まで「お金」を持っていけません。
経済も右肩上がりで、私の周りも皆、年間1000万円以上の(当時で、今換算すると約5倍)高額所得者でありました。
それが、この不況時代へ入ると、一変。世間は「公務員はいいねえ。仕事しない、首はない、退職金は貰える」と散々いじめられ、あげく、「公務員給与は高すぎる」の大合唱、風当たりも強く「世間並みにせよ」。
各自治体も予算ねん出のため、(誰が始めたか、以前から進められた「お手盛り、論功行賞」はそのままに)、人事院勧告に従い報酬審議会なるモノが査定、先ず目先の簡単な職員の給与のカットから始める。
世間からは職員の努力も力量も評価されず、こんな時だけ民間と比較され、もう「ぼろくそ」。やがて士気が低下し、定年前に辞めていき、やがて質もサービスも低下して、市民に「何もしてクレナイ」病が蔓延する。
お金はあっても決して不自由な事はありません。「ちょうどよい。」と云う尺度もありません。あればあっただけ欲しい、まだ足りない。しかし、あり過ぎて身を滅ぼすこともあります。
人の命も「お金」の時代。尺度が「お金」では、人と人とのつながりも、何か水臭いものになります。昔から「金の切れ目は縁の切れ目」。「ほどほどに」という基準でもあれば、イイのですが。
モノサシは、世間・他人と比較して、あの人より「貧乏・ゼイタク」、昔・以前より「貧乏・ゼイタク」。
かと言って、まったく働かないで「カネがない」と嘆いてみても、仕方ない。これが自己責任。
プロの役者・野球選手の所得は高い?それとも安い?それ以上の働き、収益を期待して経営者が判断する事。
「給与の高い安い」は実績を見て評価するもの。
新聞報道に、愛知県会議員の報酬が載っておりました。世間と比較して、(今までの名古屋市議の報酬も批判されるほどに)高いモノ?その上「費用弁償」もかなり付いていたようで。
商売人なら、100万円使って200万円、1000万円投下して2000万円、これが倍の「差益・もうけ」。
逆に損する時もある。ハナから、損する事を考えてアキナイする人は先ずいない。(いるとすれば、詐欺師)
100円の物を仕入れて、50円で売れば「売れるはず」。
どんな企業でも、損を承知で従業員を採用する事はない。あれば経営者として失格。
大根役者はパフォーマンスも茶番劇も上手。自分から進んで「給与・報酬が高すぎる」と云って削れますか、それほどまでに働きが少ないのでしょうか。
しかし、生活費や活動費は当然、支給されるべき。「無責任なボランティア」になってもらっても、シワ寄せが市民に還るようでは、社会自体が成り立たない。
それでも世間が「あなたの報酬は高い」と云うなら、それ相当の働きをしていないと評価しているのです。
私が市長であるなら、浅はかですが非難されるような高給取りの副市長は二人とも置く事はないでしょう。その代わり、責任をとれるような大きな仕事もせずに4年間、前例踏襲、大過なく過ごします。今の津島市にあぐらをかいて、人前に出れば頭を下げるだけ、下を向いてます。それだけでいいのです。給料も保障されます。今までの市長は?
何と「夢も希望もない」事でしょう。皆さん、それでいいのですか?
貰える給料以上の奮起・活躍を皆は期待しています。結果的に何倍にもなってハネ返ってきたら文句は出ません。
そのためにも「意地でも見返すだけの仕事」に精を出すのは当たり前なんです。
問題は使い方だけ。博打で損をする人も見えれば、被災地に奉仕をする人もいる。
墓場まで「お金」を持っていけません。