七年祭りのポスターが届きました。
起源
文安二年(1445年)、幕張の馬加城主(馬加陸奥守康胤)の奥方が、臨月になっても
何ら出産の気配がないため、康胤は心配し、
素加天王社(現・子守神社)神主 平勝胤と
三山明神社(現・二宮神社)神主 大進藤原時家の二人に安産祈祷を命じた。
両神主が祈祷したところ、「両社の神影を潔き磯辺に暫く移し奉れば安産疑いなし」との
ご神託があったので、両社は、神輿を素加(幕張馬加)の磯辺に安置し、神主が安産祈願
したところ、その夜、海中より龍灯が揚がり素加社へ飛び立ち、翌日七ツ時(午前4時)に
奥方が、無事に男子を出産された。
馬加陸奥守康胤は、家臣一同と共に喜び、両社にご加護の有難さを領内の村々に触れ
まわり、素加において安産の神事を行い、また、神徳に報いるために総社二宮神社に若殿を
伴い、家臣を引き連れて安産御礼の大祭を挙行した。
なお、丑年と未年に行うようになったのは享保12年(1727年)からである。
幕張の地名は馬加(まくわり)から幕張(まくはり)となったようです。