エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

1991(平成3)年式アウディ90クワトロ20V(5MT) H7.9〜H9.9

2023-02-25 10:36:00 | 日記
コレは、新車発表時からとても欲しいクルマでした。
そのきっかけは、昭和63(1988)年の1月か2月に支笏湖畔で開かれた80クワトロの試乗会。前年に日本へ導入されたアウディ80(B3)に待望の四駆が追加されたのです。
当時、ラリーで抜群の強さを発揮していたアウディ・クワトロ(通称:ビッグクワトロ)はヤナセにより正規輸入されていましたが、なにぶん超高価。
そのクワトロの名を冠した4ドアセダン、しかも左ハンドルのマニュアル車のみという潔い仕様が導入され、真価を確かめるために冬の北海道が試乗地として選ばれた訳です。
私もたまに頼まれては雑誌に寄稿する身でしたが、友人のモータージャーナリストから誘われてオブザーバー参加と相成りました。

試乗会2日目の早朝、千歳のホテルの駐車場で80クワトロとご対面し、支笏湖へと向かいましたが、試乗車が少ないんですよね。それは、1日目に某有名ジャーナリスト氏連中が凍結路で"自爆"したためと後に知りました。確か7台中3台とか、かなりの事故率だったはず。

履かせてあったタイヤを見ると、何と全車、西独コンチネンタル製のスタッドレスでした。しかも後年改良されてスパイク穴が開けられ末尾にEが付く前の型番だったことが、忘れられません。
西独の寒さと路面にマッチしたとしても、それが北海道で通用するとは限らず、走り出してみたら滑る滑る滑る!アスファルトが出ている路面ではしっかりした手応えだったものが、圧雪や凍結路に入った途端にツルツルでした。
この頃、私のアルファスッドにはポテンザの競技用スタッドレスを履かせていたけれど、坂道発進を含め、困ったことはほとんどなかったです。

アウディのしっかりとした造りとキチッと回るエンジン、風切り音の小さなことに感心しつつ、ハラハラドキドキの試乗を終え、ヤナセ本社幹部の方から感想を聞かれましたが、クルマそのものよりもタイヤ選びの重要性を語ったことを覚えています。
そのお礼にという訳じゃないでしょうが、次にその方が友人ジャーナリストと私に提供してくれたのがG300D。そうです、あのゲレンデヴァーゲンの最初期型。ショートボディーで5ナンバーだった気がしますが、間違っていたらごめんなさい。W123と共用の3リッター5気筒NAディーゼル、マニュアル4速でドアウィンドウが手動といった原始的な一台に感動したものでした。乗ってみたら音と振動がひどくて驚きましたがね(笑)

この辺でようやく本題の90クワトロ20Vに戻ります。
試乗会では雪道以外で上質な走りを披露したものの、もう少しパワーが欲しいと贅沢な悩みを与えてくれた80クワトロでしたが、2年ほどして2.3リッターの5気筒、しかも4バルブDOHCを載せて90クワトロ20Vが発売され、これは理想的な一台になるはずだと確信。もちろん新車など無理なので、いつかは90クワトロと狙っていたのでした。

そして5年の月日が流れ、中古車情報誌に何とか買えそうな90クワトロを発見。東京の下町の小さなクルマ屋、91年式で忘れもしない168万円でした。
女房には足グルマのマーチを買ったから、大食漢レガシィツーリングワゴンGTを処分したら何とかなるってな訳で、1年半乗ったレガシィを買取店へ。さすが大人気車種だけあって、90クワトロを買っても70万円以上のお釣りが来ました。

90クワトロは、懐に現金を忍ばせ飛行機に乗って取りに行ったんですよ。とてもフレンドリーなお店で、ルートの地図を描いてくれたり簡単なレクチャーを受けて、首都高〜外環道〜関越道と走り、新潟からはフェリーで北海道へ。

関越道ではレガシィに劣らない高速安定性と、80psも下回る170psとは信じられない加速力を示しました。それに、各ギアで思い切り引っ張った時の"ララララー"とでも表現したら良いのか、とにかく独特な5気筒サウンドが心地良かったです。4速でアクセルを全開にすると吸気系の共鳴なのか、かすかに「キーン」とターボのような音がするのが特に気に入って、必要のない加減速を繰り返してましたなぁ(笑)
チルトするサンルーフは初めてだったので高級車気分が味わえたし、quattroの文字が斜めに織り込まれた生地のスポーツシート、オレンジ色のメーター照明やコンソールの補助メーターが何とも洒落た感じで、忘れられないクルージングとなりました。

この90クワトロ、ヤナセのフロントが「当たり」と太鼓判を押してくれた割に、"フルコースの"車検で40万円も掛かるなど驚くこともありましたが、燃費はレガシィの1.5倍は軽く走ってくれ、夏場は街中でリッター9キロ、高速をけっこうなペースで飛ばしてもリッター13キロくらい。台数が少ないためかクルマ仲間にはけっこうウケの良いクルマでしたね。

操縦性を云々できるほどの記憶はないけれど、少しでもハイギアード化したくて、タイヤサイズを標準の205/50-15から195/60-15にしてみたら、シャキッとしたハンドリングがいきなりグニャっとなってガッカリしたことだけははっきりと覚えています。

夏も冬も悪天候でも安心して走れる万能車として、通勤の足にも大活躍の2年間。非常時に使用するデフロックのお世話になったことは一度だけありました。ただファミリーカーの視点で見ると、リヤシートとトランクルームは小さめだったな。

さて、こんな私でしたが仕事にも打ち込み、気付いたら30代半ばとなっていました。昇格した自分へのお祝いに、むかし夢見たアレを買っちゃおうか、なんて…