エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

初めに-2

2022-03-17 21:00:00 | 日記
昭和42(1967)年が日本車のビンテージイヤーだと思っている私ですが、それは偶然に小学校入学と重なったという部分もあるでしょうし、ようやくクルマの見分けが正しくできる年齢になったからかも。

ただ、ブルーバードの510はとにかく記憶に残っています。

馬力の数字を倍にして、排気量の前側の数字よりも大きければ性能が良いクルマと思っていたので、コロナが70馬力で倍にしたら140、排気量は1,500だから150、馬力の方が小さいからダメ。好きだった1600Sでも180と160。
ブルは72馬力で142、1,300だから130。SSSに至っては200と160です。あっ、これはブルーバードの方が高性能なんだと勝手な解釈。

クルマは、馬力だけじゃなくトルク特性、車重や足回りほか全体のバランスが一番大事だなんて、小学生に分かるはずもありませんよね。
ただ、子どもなりのこの計算、リッター当たり出力が50を超えているかどうかの目安にはなるんです。もちろん、当時の本人はそんなことを分かるはずもありませんが。

とにかく新聞広告を見ては、馬力を倍にして排気量と比べて、という毎日でした。クルマの広告がない日はガッカリだったなあ。

その他の楽しみは、家のすぐ近くにあったガソリンスタンドの見学。敷地に入ると危ない(のと叱られる)ので、敷地の縁からのストーカー行為です。雨の日にも傘を差してね。
雨のスタンドで見たのは日産プレジデント。黒くてピカピカの長いボディーがツルッと濡れていて、スタンドのお兄さんがリヤのナンバーをガチャッと下に倒すと給油口。「(給油口が)コロナに似てる」と言ったら、「これ、コロナじゃないよ」って笑われました。

このプレジデント、車内を覗いたら「窓をクルクルするやつ」がなくて、不思議に思いました。何のことはなく今じゃ当たり前のパワーウィンドウだっただけ。
窓と言えばもっと不思議だったのが、クラウンなどの高級車の「大きなクルクルと小さなクルクルと二つ付いてるやつ」。この小さなのが三角窓の開閉用だということを知ったのは、かなり後のことでした。

その後、誕生日にもらったサンダーバード2号に始まり、プラモデル作りに見事ハマってしまい、トヨタ2000GTは通信箋が良かった時に祖父におねだりして、1/16の大きなのからミニカーサイズのものまで、大体全部作りました。
ただ、私が住んでいたのは斜陽のマチだったせいか、トヨタ2000GTと初代の日産シルビアの走る姿を見たことは全くなかったです。

やがて、私のプラモデル作りはクルマから先の大戦中の飛行機、戦車、艦船へと進んでしまい、「クルマ離れ」の気配が漂ってきます…

こりゃハマりますな

2022-03-16 11:23:00 | 日記
私の職場で2日間の取得を義務付けられている冬季休暇。だから今こうして自宅でブログを書いてる訳なんですが、せっかくだからと家の中を探してみたら、けっこうネタになりそうなモノがありそうなんですよ。

まだ探し出せてないのが、初めての愛車アコードサルーンの写真です。
根っからのアナログ人で画像の挿入のやり方も分からないので、メーカーHPから拝借して貼ってみました。
ちなみに、アコードは1,600ccの3ドアハッチバックだけでスタートして、翌年に4ドアセダンのサルーンを追加。そして、その次の年に1,800ccに排気量がアップされると同時に、フロントグリルが丸4灯のまま、ハッチバックとサルーンとで明確に差別化されたんです。その後のCVCC-Ⅱ化に伴うマイナーチェンジで、サルーンは角4灯になったはず。

私のは中古で買った、この写真と同じ年式の丸目のサルーン。
でもね、これは最上級グレードのEX-Lで、私のは下から二つ目のGFの5速マニュアル。エアコン=AC、パワーステアリング=PS、パワーウインドゥ=PWといったいわゆる「フル装備」の全てが非装備。カーステレオすらなし。
同じくメーカーHPによると札幌地区の新車価格(ホンダじゃ標準現金価格というらしい)は1,159千円だったとのこと。昭和52(1977)年当時、バイト先のラーメン屋で味噌ラーメンが350円だったのを覚えているから、現在に換算すると250万円くらいですね。

この写真、使用許可って必要なんでしょ?…いくら昔のオーナーであっても…😅

ということで、少しずつやり方を覚えながら細々と更新していくつもりです。

初めに

2022-03-16 09:34:00 | 日記
まずは、私のことをお話ししておきますね。なまら長くなりそうなので、何回かに分けることにしましょうか。

昭和35(1960)年、北海道の過疎地域'都市'の生まれ。
山とバイク好きの父(国の役人でした)の影響か、幼稚園に入る前からとにかくクルマが大好き。
母によると、タクシー(こっちじゃハイヤーって呼んでました)の正面を見ては、「いい顔してるねー」と言う子どもだったそうです。
そういや、310系ブルーバードの正面から見た姿を、当時同居していた母方の祖父の顔に似ていると思っていた記憶があります。

幼稚園に通うようになって車種が分かるようになり、幼稚園の車庫に赤いホンダS600があるのを見て心ときめき、排気音を聞いて感動。「大きくなったら絶対乗る」
これは、ドリームSA、CB72、CP77とホンダのバイクばかり乗り継いでいた父のDNAでしょうか。そんなバイク好きの父、私の妹が生まれたこともあり、その頃はマツダR360クーペを経てキャロルに乗っていました。

昭和42(1967)年に私は小学生になりましたが、この前後に日本車は一気に進化を遂げたんだと思います。
アローラインのコロナがお尻の下がった410ブルーバードを抜き去ったかと思うと、スーパーソニックラインで三角窓がなく四輪独立懸架の名車510が巻き返す。
クラウンよりも130系セドリックが全然スマートでカッコいいと思っていたら、白いクラウンというキャッチコピーが思い出に残るクラウンがデビュー。
サニーとカローラのデビューも私の小学校入学前年でしたね。
軽は、変な格好をして青くて臭い煙を吐くスバル360がキライでしたが、ホンダがN360を発売。もちろん父はキャロルからお乗り換え。

そして、トヨタ2000GT、マツダコスモスポーツといったクルマたちが市場にデビューしたのもその年でした。
今なお私がクルマの年式などを大体正確に記憶できているのは、自分に小学校入学という節目があったからだと思っています。

クルマ趣味が終わりに近づきました

2022-03-16 08:24:00 | 日記
あと何年、私の人生が残されているのか知らないけれど、これまでに所有してきたクルマは50台以上になります。

そんな彼、彼女たちのことをのんびりと、でも記憶のはっきりしているうちに、書いておきたいと考えました。

初めての愛車ホンダアコードから現在のフィアットパンダまで、果たして次の乗り換えまでに紹介できるのか、どうぞお楽しみに。