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「鰯の頭も信心から・・」
俗な例えとはいえ、
何かに信仰を求める人の心の揺らぎを突いている。
宗教団は高潔さや権威を示さんとしてその虚飾に傾斜する。
あれこれ考察を積み、編み上げた教えとはいえ、やはり知恵の幻ではないのか。
高位の僧職ほど人々の信仰に安寧の幻想を暗示し続ける。
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人類史の大半の殺戮と差別の引き金を引いてきたのは、
他ならぬ宗教である。
宗派の諍いはどんな利害紛争より質が悪い。
妥協ということがない。
なぜに人間だけが持ちうる大らかさを拒否せしめるのか。
大自然の摂理に平伏する以上に、頭を垂れるものがあるはずはない。
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篤い信仰者は聖典を唱じることで、自問から逃げている。
人々が只管に、教えに則っとることを促す。
人間の価値を柵の中に限ってしまう。
思索は頑なになるばかりだ。
信仰はこれからも異端を探したがる。
宗教者であっても、信仰者であったとしても、
それで清心さが証明されるわけでもあるまいとおもう。
熱心な信仰者とは、ただ囚われた人のことである。
宗教は普遍的な主題を持っているように見えるが、
やはり思考の征服が到達点である。
思索を信仰の枠内に納めるように構築された偏狭な箱である。
強い信仰心は、自ずから排他と非妥協の芽を生む。