世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

旅はのぞき見、今日も明日ものぞき見。

2018-03-17 | 旅行ちょい話

 📌

定点観察;

60を過ぎてニュージーランド・オークランドに語学留学した。

貧弱な会話力で、よく時々の外国での仕事を済ましてきたものと、その蛮勇は自嘲ものだ。

遠く中学時代から英語を習っているではないか、単語は十分じゃないか、ああ情けない。

このたどたどしさを少しはスムーズにしたい。

歳をくっていてもそれが動機だった。

6ヶ月間の学生である。やはり僕の年代は多くない。

100人の中に数名という割合だ。でも気にならない。

私は巧まず順応力が高いのである。

気楽風のおっちゃんなので、若い人たちも違和感なく近しく、いろいろ誘ってくれる。

イタリア人、フランス人、韓国人、カナダ人、ドイツ人、みな条件が同じなので壁がない。

当初はお上りさんよろしくで、あちこちの通りやカフェを回った。

よく歩いた。

朝7時にはカフェが開いている。朝食はいつもカフェである。

キョロキョロ歩きが2ヶ月ほど過ぎた頃から、

ある広めのカフェばかり行くようになった。

いつも同じ注文をするので顔も覚えられた。

このカフェの朝は混む。

いつも壁側の中程の席で、出入り知る客の動きを観察することが面白くなっていた。

出勤前の人たちの様子が見て取れる。

顔に見覚えのある常連客が何人も何組もいた。

それぞれのパターンも変わらない。

いつも珈琲をテイクアウトして職場に向かう人、

必ず書類に眼を通す人、いつも座り方が同じカップル、いつも誰かと声高に話す人、

今朝は機嫌が悪そうな人、服装や持ち物、店員との間の取り方、

どれも普段の表情が見えて興味深い。 

移動の多い旅行にはない定点の面白さである。

 

旅先で日本語を良くするフラン人に、フランス人は外国人に冷たいと言ったら、

彼女はフランス人はフランス人にも冷たいのよと言った。

僕は目からウロコ・・の合点がいった。彼らは他者に幻想を抱かないのだと思う。

フランス人への印象に限らず、私たちは異国人の親切を暗に期待しすぎている。

「人は親切‥」は当然のことではない。

余所者が疎まれ、警戒される事は自然であって本態的な反応なのだ。

それが第一義だ。

日本人は親切だと言われ慣れていることの奢りか、訝しがる感覚が鈍化してないか。

どうも表面的な印象に幻想を持ちすぎて、誤認してしまうことが多そうだ。

人の柔らかさとか親切とは一体何だろう。

 

バングラディッシュで案内の現地人と2泊の遠出をした。

食事は町や村の食堂、トイレは見つかればどこでも入った。

広い食堂も時間によって満席に近い、一人スプーンで食べるのも目立つので、

手で挑戦するのだがいつも上手くいかない、彼らの見事な指使いには適わない。

当たり前なのだろうが、器は見事に拭われている。

食事後、彼らは使った指先をちょこっと洗うだけで済み、

僕は両手を洗うことになる。

村のトイレでは、目の前に空き缶がぶら下がっていて、大きめの缶に水がある。

紙を使うにしてもそれを捨てるところがない。

現地流にやりたいという好奇心もある。

だが、やはり水を上手く尻穴に運べない、的を外して広めに濡れてしまう。

汚れた自分のお尻に指が触れる事への抗いが邪魔になる。

このままだと缶の水がなくなってしまうゾと心配したりする。

しかし、このご当地流の尻洗いは、紙で拭うよりよほど理に適っている。

近頃は簡易なお尻シャワーの出現があって助かる。

 

 


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