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どんな政体であろうとトップの思考と決裁に国の行方が委ねられてしまう。
一国のトップの判断は、緊急な事態にあるほど、その見識と能力が問われる。
時として、思い込みの強い戦略や拘りが、狭隘な戦術に偏っていき、
或いは政治家の野望が露骨になって、
事態はたやすく一変する、悲惨な政治的決裁となってしまうことがある。
強権プーチンのロシア、習近平の中国一党独裁はよくそれを暗示している。
彼らのなかに個人的な冷徹な野望が、必ずや潜んでいる。独裁者たちの共通項だ。
例え、野望や策略や感情が過多で、まるで賢明な判断でなかったとしても、
トップの決済は、国家の組織力を背景に強権を発揮する。それが権力だ。
疑問や惻隠をないまぜに官僚組織もこれに追従していく。
愚かな決裁であっても、社会全体が愚かさをも政治の遂行だとして従わさせられる。
一政治家が、まさに独裁的な判断者になる。賢明な決裁であるのか否か。
我が国では、第2次世界大戦終了後、58人が我が国の首相職についた。
直接選挙で選ばれたわけでなく、
いずれも党派の相克の末に捻り出された首相たちである。
一国の首相たる能力と見識が、その政治家にどれほど備わっていたのか、
計りようがない。国民は全く関われない。預り知ることができない。
だが選ばれた人は、あたかも国民に選ばれたが如くに振る舞い始める。
振り返れば、58人のなかで国民にその仕事を知られている首相は多くない。
講話条約と吉田茂、安保条約と岸信介、池田勇人と所得倍増、
佐藤栄作と沖縄返還、列島改造と田中角栄、民営化や年金改革と中曽根康弘、
郵政民営化と小泉信一郎、政治に疎い者としてはそれぞれの功罪をおいても、
印象に残ってるのはそんなところだ。
あとは、そういえば、そんな元首相もいたなという程度だ。
国民から遊離した尺度で選出される首相たちだから、印象は薄い。
最長内閣の安倍晋三にはTPPがあるが、憲法改正も一部だけに拘るなど、腰が座っておらず、
もりかけさくらマスクなど、お粗末な公私混同や愚策ばかりが目立った。
最長内閣といっても、世界趨勢のデジタル化に緩慢で、その戦略性も具体化も推進力も
欠如していた。IT技術の充実は、すでに国家力を示すという認識を持てなかったようだ。
貧しい先見力だ。9条削除ばかりに目がいく国家防衛が笑わせる。
政界のプリンスと祭り上げられてお山の大将を気取り、首相の座に長くいたものの、
日本社会にいかなる建設的な変革をもたらしたか、その見識と能力は無残である。
国会での答弁ぶりに高慢さ丸出し。心構えを知らない横綱みたいだった。
この一派に多くの党員が参集しているということこそ、議論や異論を殺してしまった。
日本を世界から置いてきぼりにさせた安倍内閣ではないかと。
政治家たちは、意図的に何かを見ようとしていない、そうも思う。
自分の選挙力や集合力だけを優先することが、政治家たる仕事なのだろうか。
野党力が日々減衰している今日、
国民によく見える議論が、日本の政治にますます失われていくのではないかと、
大いに不安である。
岸田政権は何を成すのか、やはり党内バランスだけに終始するのだろうか。
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