📌
無名の死
私たちは、記録された歴史として人間世界の過去を幾らか知っている。
だが、記録されていない過去はその何千倍もあるだろう。
侵略史には惨憺たるものがある。
害虫のごとくに駆逐されてしまった民族もある。
一人一人の絶叫も、大雑把な数字の束として、
数行の記述で歴史に残るだけである。
いつの時代も自分たちの軌跡の全てを知ることができない。
記録に記された主役たちが歴史上の人物として、
記憶されるだけである。
📌
自らの独善を宣って、人を殺して殺して、自分は天寿を全うする者もいる。
書店に並んだ歴史書にどう記述されようが、
どんな社会観を提示されようと、
どの歴史も殺戮のあとに塗り替えらている。
📌
時間のかなたで、無数の人々が生き、朽ちた経過を知る方法はない。
笑いも悲嘆も楽しさも、不安や苦悩を、
ましてや無残な惨劇に遭った無辜の人々の
悔しさも知ることがない。生きて、人は消えるのである。
勇気も恥辱も、善行も卑怯も、清新も汚濁も、賢察も
愚行も渦巻いていたはずだ。
ある時代の文明に属して、ある時間だけ存在する。
その短さも知ってはいる。
📌
密林で、海で、砂漠で、見知らぬ果てで、健やかだった生き物が、
まもなく老いて、消えていく。
何億年経っても消えた個体が蘇ることはない。
等しくたった1度きりの生命だ。
新たに別の個体が遺伝子を受け継ぐ。
生物としての使命は際限なく繰り返されて行く。
ここでも、見果てぬところでも。
📌
動物は敵を怖れているが、
死を怖れてもいないし、知ってもいないだろう。
人だけが死 を語る。
死は、自分で見届けられない唯一の自分自身である。
朽ちた自分の身体を自分で始末できない。
萎れたおチンコを見られても怒ることができない。
できるものなら、死んだ自分の体を自分で洗って、
土の中に始末して自分を終わりたい。
📌
誰であれ、自分の死に様を観察できない。
わずかな灰となってしまった自分を知ることがない。
自分という肉体が地球上から完全に抹消されることが、
理解出来ない。
まだ生きている人たちの記憶にしばらくの間、
物語として残るだけである。
他人の死は、伝記、物語として思いを巡らすにとどまる
そう、自分以外の死は、感傷や、観察の対象になる
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます