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欲望に直結した事柄は、容易に浸透するし露骨に実現されてしまう、
だが、倫理観や作法の具現となると、はるかな時間がかかってしまうものだ。
国家も社会も個人もそれは同じだ。
中国の独裁政府とそれに連なる人びとが、とてもいい例だ。
強欲で、無作法の典型である。
成金は素行の悪さに飽きもせず、その傲慢さを世界中に撒き散らしている。
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欲望に直結した事柄は、容易に浸透するし露骨に実現されてしまう、
だが、倫理観や作法の具現となると、はるかな時間がかかってしまうものだ。
国家も社会も個人もそれは同じだ。
中国の独裁政府とそれに連なる人びとが、とてもいい例だ。
強欲で、無作法の典型である。
成金は素行の悪さに飽きもせず、その傲慢さを世界中に撒き散らしている。
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中国に住んでいる人も日本に住んでいる人も、
素晴らしい人や心温かい人、理解力のある人は、大勢いる。
そういうことを考えれば、
中国と日本が友好と敬意を持ち合うことは、十分に期待できる。
私はそれを期待している。
ただ、2つのことが頭から離れない。
ひとつは、犯罪的と言えるほどに行儀の悪い人がいること。
もう一つは、この事が重大なんだが、
一党独裁政治は、宗教以上に排他的な社会を必ず生みだすということ。
その主張と手法が内政的にも外国に対しても
独善的、攻撃的、統制的なこと。
しかも、中国はその為政が長期に渡っていてどの政治要員も
どっぷり独裁の効率の良さに酔っている。
このことに警戒心を持たざるを得ない。
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断捨離メガネで覗いてみれば・・・
裸の自分と裸の世間が見えてくる。
スッキリ主義に、脳をリセットできる
自分にとって大事なことがはっきりし始める
手順の設定、手際の良さが身につく
買い物上手になる
自分のスタイルが身につく
オンとオフの切り替えが得手になる
お金の使いようがうまくなる
総花的な物欲、贅沢欲が薄まる
世間の経済の無駄が見えてくる
社会に何が必要か見えてくる
緊急な対応は何か、戸惑うことがなくなる
いま何を優先すべきか、判断しやすくなる
どうすれば”実際力”になるのか、見えるようになる
未来を想起して、準備の仕方が見えてくる
簡素な原則がいかに重要か、見えてくる
基本や目的と現実のズレや歪みに気づきやすくなる
実際力を高めるシンプルな道筋が見えてくる
シンプルなことで世間が広く深く見えてくる
短絡や楽観主義と厳しい想定の違いが見えてくる
自分のことも世間のことも、
芯と飾りの違いが良く見えてくる。
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戦争は、背景を背負って始まり、凄惨な様相のまま続く。
どの地域、どの時代にあっても殺戮が発生していく。
報道されない残虐が山のようにあるに違いない。
排除の正義がどこにでも転がっているからである。
その主役たちが歴史上の人物になっていく。
人々を殺して殺して、おのれらは天寿を全うしたりする。
どんな社会が現れようと、
何十万単位の生命が踏み潰されていくことがある。
われわれの世界は実はそうなってる。
穏やかな世界を希求しながら、
排泄物のような残虐心が地球のあちこちで撒き散らされている。
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人は、いつも判断を迫られる
判断とは選択である
その基準は、損得、倫理、効果の推定であろう
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人生の決めようには、定型がない
社会に貢献したい意思の強い人がいる
何かを極めたい人がいる
何かを解き明かしたい人がいる
日々をただ楽しみたい人がいる
家族との喜びが一番という人がいる
非行から抜け出せないで、社会の影で生きる人もいる
ひたすら、富に執着する人もいる
なんの違いが有るのだろう
それぞれの人生が其々の人にある
有名であれ、無名であれ、豊かであれ、貧者であれ、知性や感性がどうあれ。
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形だけの民主主義は、愚民政治を産むだけ。
討論、ディベイト・・、論戦の中でメリット、デメリットが明確になったことがない。
議論と手続きと選択が民主主義の武器であるなら、その過程に時間がかかる。
為政者にはその時間が苦々しい。先を急ぎたい。
議論を早く収拾せんがために、強引に多数決が活用しようとする。
常套手段である。
1票でも少なければ、異論は採決の場で終わった議論として、
見事に遠ざけられてしまう。
恩恵も不利も孕んだ決定が、現実のものさし、法として活用される。
必然として、その法は必ずしも平等ではなく、軽視される層が産まれてしまう。
四方に満点の政策は、論理上ありえない。
だが近似値に近づけようとすることはできる。
だが、愚民政治はメリットだけを膨らまし、デメリットに布を被せ、滔々と宣伝する。
大方の国民は、社会的な催眠状態に陥る。
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愚民政治に陥る大きな要素に、選挙システムが有る。
議員一人一人について国民の審査が、形ばかりの選挙で終わってしまう。
一回試験に通れば、どんな質量の活動をしているのか、4年間問われない。
選出された議員は、所属した政党に従順である。
それ以外の主張に見向きもしなくなる。党内の価値から、外に出なくなる。
どんな政治理念であれ、社会運営の一方策である。
市民の何をもって幸福とするのか、
その体制を別のそれと比較して、
どれだけ市民の幸福と安全保障に妥当性を持ってるかが命題となる。
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社会運営の渦中にある全ての市民は、
蟻のように多様なフェロモンで行動してわけではない。
施行されている法の枠内、あるいは倫理のなかで各々の社会を生きている。
組織や管理された社会で、活力が生み出されたり、救済をうけたり、
強い縛りを受けたり、誘導されたりと、生活の一つ一つが枠の中にある。
すべからく個人はそれに呼応するすることが求められる。
だが様々な運営に気づかぬままに姿を現し始めるのが、少数者たちの支配である。
どんな組織にも、いつの間にか専制的な運営が根付いたりする。
それらの多くは、市民の関心が薄いなかで、政権が堕落するか、恣意的に暴走する。
懐疑的な視点を怠らず、現実の政治を見続けなければならない。
市民にとって最も危険なことは、独裁政治である。
法と倫理が独善的に変異してしまう。恐怖と暗示で人々を思考停止にしてしまう。
極めて少数の人間が、圧倒的大多数の市民を思うままに操作する。
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そう言いたがる人たちがいるけど、日本人は決して単一民族でないだろう。
だが、島国であって農耕型の社会体制が連綿と続いてきた歴史から、
同質的な傾向が非常に強いことは確かである
すべからく、善意から出発し温情で包む、
これが日本の交渉の底流にある、いわばお家芸。
合理的、論理的な展開を後回しにする手法である。
日本の外ではこの善意手法が、対峙する相手には好餌と映るだけで、
その返礼的な成果は全く期待できないと知るべきである。
そうした情緒的な折衝の風土がないからだ。
情けはひとの為ならず・・に共感は得られない。
交渉は、利点と欠点を俎上に上げる抜け目のない戦いである。
国際政治は、自己を正当化する戦略的欺瞞だらけである。
その欺瞞に説得力と演出をもたせた側が、ひとまず有利になる。
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世に善があるにせよ、歴然たる限界がある。
最大多数の最大幸福には、少数に対する不条理がくっついて離れない。
多層社会の運営の限界である。
したがって、
”良い社会”の片隅では、必然として不幸な弱者の反発のバネが矯められていく。