このレーシングカーはレナウンマツダ787Bといいます(ミニチュアですが)
1991年の第59回ルマン24時間レースで総合優勝しました。
ルマン24時間レースは、フランス・ルマン市で戦前から行われている伝統ある24時間耐久レースです。
ベントレー・アストンマーチン・フェラーリ・ポルシェ・メルセデス・ジャガーなどが優勝してきました。
日本車で総合優勝をしたのはこのレナウンマツダ787Bだけです。
世界で唯一のロータリーエンジンで17年間挑戦し続けた努力の結果と言えましょう。
鮮やかな蛍光色が人目を引くレナウンカラーが印象的です。
このレナウンマツダ787Bが今年6月に行われたルマン24時間レースに招待され、レース前にデモ走行をしました。
ルマン24時間レース主催者側からマツダにその話が来たのは4月。
東日本大震災復興をこめた招待だったそうです。
レース当日、「がんばろう日本」のステッカーを貼った787Bのデモ走行をしたドライバーは、英国人のジョニー・ハーバート氏です。
彼は91年の優勝ドライバーの一人で最終ドライバーとしてゴールを切りました。
しかし予定以上のドライブをしていたため、脱水症状を起こして表彰式には出られませんでした。
当初は1周の走行と聞かされていたそうですが、実際には3周走って古くからのルマンファンから歓声があがっていたそうです。
主催者側のサプライズだったそうです。
走行後、インタビューアーはジョニー・ハーバート氏を表彰台に招き、お立ち台中央に立たせました。
20年後の表彰台♪
これも主催者側のサプライズだったそうです。
笑顔でガッツポーズをとっていたジョニー・ハーバート氏には僕も拍手を送りたかったです。
その後、彼は「とてもうれしい。マツダのスタッフが喜んでいるのがなによりもうれしい。」とコメントしたそうです。
周囲を気遣う気持ちが素晴らしいですね。
ちなみに彼は、ルマン優勝からおよそ一ヵ月後、富士スピードウェイで開催された「全日本富士500マイルレース」に同じマツダ787Bで参戦していました。
第1コーナーで横転炎上した伊太利屋ニッサンR90Vを見て競技を中断、燃えている車両に向かいドライバーの和田孝夫選手救出を手伝いました。
ドライバー仲間を思う気持ちが素晴らしいですね。
1945年8月、原爆投下により焼け野原になった広島を復興させたい、その東洋工業(現マツダ)の方々の気持ちが世界で唯一ロータリーエンジンの製品化に結びつきました。
ロータリーエンジンを世界に認めさせたい、その気持ちがルマン優勝に結びつきました。
今回のルマン主催者側の粋な計らいが、被災された方々の復興の力の一つになって欲しいと僕は思います。
※マツダの話、ルマンの話などまだまだ書き足りないのですが、あえてここまでにさせていただきます。
もしも間違っている点や補足したい点があったら気軽にコメントをお願いします。