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旅の中での絶望と唯一の出口  ケネス・ワプニック Ph.D.

2025-01-18 15:37:10 | 奇跡講座

旅の中での絶望と唯一の出口  ケネス・ワプニック Ph.D.

Hopelessness on the Journey: The only way out
Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=c2Da80fA-Fs&t=272s

質問者: あなたがディージェイに言ったことで、私の心に一つの考えが浮かびました。
それは、イエスがあなたに「気分が良くなりたくないの? 」と何であれ言うだろうと言った時でした。そして、私は自分がとても罪悪感と邪悪さを感じていて、気分が良くなる資格がないことに気づきました。本当に!

なぜなら、知的にはこのこと全体を理解しているのですが、罪悪感を感じるだけでなく、もしそれを乗り越えて、赦したら、私はここからいなくなってしまうでしょう! 

だから、何が悪いのかわかりません…その根底にある罪悪感と消えてしまうことへの恐怖のどちらが悪いのか分かりません。それは絶望的です。どうすればいいのですか?  それで私はここに来続けているのです。

Kenneth: そうですね、諦めろ、ブルックリンに戻れ、と。 でも、出口があるはずです。別の答えがあるはずですよね?  
あなたの質問の二番目から先に答えましょう。この道を歩んで赦していけば、ここからいなくなるというのは真実ではありません。あなたが抜け出すのは、あなたの怒り、あなたの罪悪感、あなたの憂鬱、あなたの悲しみ、あなたの苦しみ、あなたの痛み、あなたの絶望、あなたの落胆、その他もろもろから抜け出すのです。

あなたが同一視している自己が消え去るのは、旅のまさに最後の最後だけです。それは最後の最後になって、あなたがそれを手放す時にだけ起こります。それまでは、私たちの旅の特徴は、私たちがまだこのアイデンティティを保持していることです。なぜなら、私たちはそれにしがみついているからです。私たちがそのアイデンティティに付け足したすべてのものが浄化されていきます。 怒り、恐れ、不安、罪悪感、絶望などです。ですから、それが最初の点です。あなたは決して消えません。起こってくるのは、あなたはまだこの世界に、この体の中に、あなた自身のアイデンティティを持って、自分の家に住み、自分の車を運転し、自分の友達を持ちながら、より幸せになるでしょう。

自我のニーズが満たされるから幸せになるのではなく、罪悪感の重荷がどんどん軽くなっていくから幸せになるのです。 あなたの質問の前半部分を忘れてしまいました。それはとても濃くて強烈なので…。

ああ、質問の前半部分を思い出しました。 それはただ... 強烈さと... 濃厚さに関係しているんです。 

先ほどのワークショップで私が言ったことを覚えていますでしょうか。 罪悪感や自己嫌悪の恐ろしさや重大さを受け止めることのできる概念すら私たちは持ってません。そしてその罪悪感の一部はあなたの考えである、ということです。 あなたの質問の最初の部分で明確に表現されているのは、「私には幸せになる資格がない」ということです。

あなたがこの世界にいて、身体としてこの世界に存在していると同一化している限り、あなたは罪悪感と同一化していることになります。 罪悪感がこのすべてを動かしているからです。 そして、罪悪感がある限り、あなたは自分が幸せになる資格がないと信じなければなりません。 
つまり、外的なことが自分の思い通りにならない時、あなたの自我がすぐに現れて、「ほら、見たか? 言っただろう? お前には何もうまくいくはずがない。なぜなら…」と言い、なぜうまくいかないのか、行動的なことや性格的なことのリストを挙げるかもしれませんが、その根底にあるのは、「神はあなたを幸せにすることはないだろうから、何もうまくいかないだろう」という無意識の考えです。

そして、その根底には、「私は決して自分を幸せにさせない」という考えが共存しています。なぜなら、もし神が私を見つけて、私が神にしたことの後で幸せであると知ったら、神は本当に私を狙い撃ちにするでしょう。そして、私に対して行われた悪事のリストがどんなに長くても、神はそれには全く注意を払わないでしょう。なぜなら、神は、私が神から盗んだのに、私がとても幸せであることに怒り狂うからです。 
したがって、私は、もし神が現れたら、私が惨めであることを神に見せるでしょう。私は新車を持つに値しない、もし持ったら事故を起こすだろう。私は健康な体を持つに値しない、もし持ったら病気になるだろう。私はたくさんのお金を持つに値しない、もし持ったら失うだろう。私は私を愛してくれる人々を周りに持つに値しない、もし持ったら恐ろしいことが起こるだろう、したがって、私は皆が私から離れて、私が拒絶され、見捨てられるように仕向けるだろう。

そして、私はその中に浸るでしょう。 なぜなら、私の魔法のように狂った心の中で、私は、私がすでにそうしているから、神は私を罰する必要はないと思っているからです。… 理解していただけましたか? 

質問者: わかりました。

Kenneth: 素晴らしい…。 これはテープに録画されているので、手に入れることができます。

自分の思考システムから抜け出す唯一の方法は、自分の思考システム全体を入れる箱をイメージすることです。 今お話しした思考システム全体です。誰もが「これは完全な思考システムであり、その思考システムの中では私が今表現し、いつも感じていることはすべて有効だ。」と感じています。

しかし、私が箱に入れたこの思考体系全体は、別の思考体系に対する防御であり、それが私が恐れている思考体系です。そして、少なくとも今、それを始めたら、今、このすべての罪悪感、このすべての惨めさ、そして私が幸せになるに値しないというこのすべての思考を解放する方法、文脈を持つことができます。なぜなら、今私は、このこと全体が、私がさらに恐れている何かに対する防御であるということを理解し始めることができるからです。

そして、たとえそれに気づいていなくても、または知的には気づいていても、感じていないことがあっても、少なくとも自分の狂気には文字通り方法があり、この思考システムは狂っていることに気づくことができます。

この思考体系は狂っています。それは惨めで、機能せず、それでも我々はそれをやり続けています。しかし、もし私が、自我の思考体系全体が別の思考体系に対する防御であり、それが別の思考体系に対する防御であるとしたら、そこには別の思考体系が存在しなければならないと考え始めることができるなら、それは少なくとも我々に希望の始まり、または希望の兆しを与えてくれます。

それがこの状況から抜け出す唯一の方法です。システムの中では助けを得ることができません。ですから、イエスが自我の思考体系は完璧だと言うのは、そういう意味なのです。世界、つまり自我の思考体系の箱の中では、希望はありません。それは完璧です。それを壊すことはできません。

それは罪悪感と悪から始まり、罪悪感と悪で終わります。そして、その道に沿って、惨めさと痛みと苦しみと死があるのです。しかし、その思考体系は神を証明するものではありません。なぜなら、神の愛を反映する思考体系もそこにあるからです。

このコースの目的は、まず第一に、自我の思考体系の巨大さと恐ろしさに気づくこと、次に、それが私たちの正しい思考体系に対する防御であることを理解することだと言えるでしょう。

そして、私たちの心の中には、悪、暗闇、罪という考えがあるように、愛と光も存在します。 少なくとも今、これらの感情に圧倒されそうになったとき、私はこう言うことができるでしょう。それは知的な経験として始まるかもしれませんが、やがて一般化していくでしょう。
「しかし、これは防御だ。私は自分自身を失うことをもっと恐れているのだ。」
「怒りや被害意識がなければ、自分がどんな人間になるのかを知ることの方が怖いのだ。」

誰もがそのセリフを知っていますが、テキストの終わり近くの「自己概念対自己」の終わりにそれを読み上げましょう。 「以下の声明以上に世界が聞くのを恐れているものはない 。 私は私であるものを知らない。だから私が何をしているのか、どこにいるのか、あるいはこの世界や自分自身をどのように見たら良いのかも知らない。」*

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*訳注: T.31.Ⅴ.17
あなたが学びたいと望まない限り、世界はあなたを表すいかなる形象をもあなたに教えることはできない。 いつの日か形象の数々すべて消え去り、あなたは自分がいかなるものであるかを知らないとわかる時がやってくる。封印を解かれて開かれたこの心へと真理が妨げられることも束縛されることもなく、戻ってくる。  自己の概念が脇に置かれたところでは、真理がありのままに開示される。 すべての概念が疑われ、疑問視され、いずれも光に耐えるような前提に基づいてはいないと認識されるとき、真理は罪悪感から自由で、正常な自らの聖域に自由に入って行くことが出来る。 以下の声明以上に世界が聞くのを恐れているものはない 。 

私は私であるものを知らない。だから私が何をしているのか、どこにいるのか、あるいはこの世界や自分自身をどのように見たら良いのかも知らない。 

だがこの真実の中で救済が生まれるのである。 そして本来のあなたであるものがあなたにそれ自身について教えてくれるだろう。 
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私が怒っているとき、私が落ち込んでいるとき、私が病気であるとき、私が被害者であるとき、私が虐待され、屈辱を受け、見捨てられ、拒絶され、裏切られているとき、私は自分が誰であるかを知っています。私は外にいるすべての悪の無実の犠牲者なのです。

私は自分が誰であるかを知っています。すべてが私には明白です。私を惨めにしますが、私は自分が誰であるかを知っています。だからこそ、世界がそれ以上聞くことを恐れている言葉はないのです。

それでも、私たちがその言葉を口にすることができると、イエスは続けます。「しかし、この学びの中に救いが生まれる」。つまり、私はこの被害者、この無実の犠牲者、憎しみと悪の夢の中の人物ではないと学ぶということです。「そして、あなたが何であるか」—大文字の「W*」で始まる—あなたの真の自己—「あなたが何であるかは、あなた自身にそれについて語るでしょう」。

言い換えれば、私はこの自己が、この間違った考えの箱を邪魔にならないようにすることで、私に語りかけるための場所を作るのです。

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*訳注:
「W」はWhat you are. のW
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そして、この間違った考えの箱を取り除くのを助けるのは、それを見ることです。
しかし、それは、私が少し前に言っていたように、箱の中身という観点から見るだけでなく、神の愛があり、その光が輝く正しい考えの箱を隠す目的がその間違った箱にあると見る必要があります。

 



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