環境教育な日々

環境教育事務所 野の塾工房たまご代表の後藤清史のブログ

1月11日 施設管理者が抱える課題~公園のジレンマはどこから?~

2013年01月11日 | 環境教育


都市公園が抱える課題(内包する問題)は多い。
特に近隣住民や利用者との関係において発生する事案は、それぞれの思いや社会、所属する地域コミュニティーが抱える問題が交差し複雑化する傾向を見せている。
このように複雑化した課題に対応するには、公園管理者が公園を含む地域を俯瞰し、公園ルールを明確にしたうえで、個人の立場ではなく公園として対応することが大切になる。
また、公園ルールを明確にしたうえで、問題の背景や社会的な動きについて考えて(理解して)おく必要もあると思う。
事案の解決は容易いからと強硬に行い、その後にトラブルを残しては意味がない。
最近の公園運営では運営者目線という中だけの視点ではなく、公園周辺や利用者を含む視点がいま求められている。
公園を取り巻く地域(公園を軸とした地域)を含めどの様なコミュニティーを公園として形成したいのかを考えることが求められている。

しかし、多くの公園では日常管理の重要さから質の維持が求められているが、質の維持を堅持するあまり、変化しないことが常態化ているのではないかとさえ思えてしまうことがある。
結果、問題があったとしても顕在化(具現化)するまで先送りになるのではないかと。
たとえば、公園に多い禁止看板。
看板を見かけるが、積極的な対話が行われている様子は粗見ない。
対応の多くは、対処療法的な当事者への注意のみであり、極端にいえば見つけなければ対応しない。
本当にそれでいいのだろうか?
見ようとするのか、目に入るのかは同じようで全く違うのだが…。

特に、施設管理者(行政)が苦手な事案に倫理が絡むものが多い。
これらの解決には、日常のコミュニケーションと問題に対する思考の構築(考え方)が大切になる。
しかし、問題解決の基礎となるはずの日常のコミュニケーションを苦手とし、公園ルールを掛け軸のように管理し、未確認なまま運用している管理者が多いのではないか。
また、このような体制は、職員ごとに異なる対応をする要因となる。

最近のドラマから言葉を借りれば、「ならぬものは、ならぬものです」を言えない管理者が非常に多いと思っている。
そのため同じ行為であっても、ダメと言われる人と、言われない人(暗黙の許可)が存在してしまう。
結果、ノラネコへの餌やり、ゴミの投棄、植栽の盗掘、花の枝折り、エサ台の設置など個人の思惑による行為が公園ルールが認識しづらいために発生し、継続されやすくなる。
「これぐらい(このぐらい)」「きれいだったから」「どうせ、枯らすだけでしょ」「いいことしているのだら」



個人的な倫理観は本当に正しいのだろうか?
また、倫理観は個々で違うことはないのだろうか?
倫理観に換わる判断基準は何なのか。
個人の範疇でなく、公的な立場での判断とはどうあるべきか。

公園管理者の養成には、複雑化する課題に対応できるような資質の形成が求められている。
そのため、一般的な維持管理の手法だけでなく、運営面を考え論理的思考術や倫理についての学びが必要と考えている。
公園とは何なのか、これからの公園の役割とは、職員は何者なのかを考えることを通して学ぶことが重要だと思っている。
どうだろうか?

正直な話し、公園を利用する市民にも様々な事例を通じて倫理について考える機会が必要なのだと思っている。
どの様にして、そのような機会を公園管理者として作り出していくのか。
地域の中の公園になるためには、園内だけを考えていても仕方ないのかもしれない。

1月2日 明けまして、おめでとうございます

2013年01月02日 | 環境教育


新年、明けましておめでとうございます。

2011年度は、期せずして完全フリーに復帰し、多くの人に支えられ不安を振り払い、遅れを取り戻すべく走り抜けた一年でした。

2012年度は、様々な人との出会いが発展し、そこから始まった取組みが形を見せた一年となりました。

新しく迎えた2013年度は、自身の活動のベースとなる環境人材の育成をさらに進めると共に、昨年から始まった新たな取組みを育て安定と広がりを持たせていきます。
運営管理を中心とした公園管理運営や、人材育成としての環境教育について様々に発信したいと考えています。昨年以上に、つながりを発展させる一年としたいと思います。

本年もよろしくお願いします。


10月23日 公園視察への参加(公園での市民協働)

2012年10月20日 | 日記

10月11日に、パークネットワーク研究会主催の勉強会に参加。
今回は、大阪府が泉佐野丘陵に新設する公園を訪問した。
テーマは、市民協働による運営管理。
今はまだ造成中だが数年後には公園として公開される。
5年前から市民協働での運営管理を標榜し、公園用地で核となるボランティアの養成をしてきた。
当初の思惑と5年間の用地内で活動してきたことや、公開を控えての関係者の立場の変化によるズレが起きてきている感じをうけた。
それをズレと感じるか織り込み済みととるかは、当初想定(工程予測)がどの程度されていたかによる。

施設の設置では、往々にしてテーマや将来像が先に打ち出され、おおよその工期を想定し公開年が決定されているのではないか。
その後に工期の詳細を設定し、工期の中で市民参加をはかる。
工期的な発想からの養成行程なので、そこに携わる人々や社会状況の変化などは考慮されない。
その上、考慮されない完成図が既に存在していることが多い。


ボランティア養成型の市民協働は、庭木に近い管理過程が必要と考えている。
自由奔放に育っているようだが庭(公園)に合わせなくてはならない。
その木の役割を考え、完成後の姿を想像し底に植え付ける。
水をやり、時には剪定を行い、添え木も必要に応じて設置するなど庭のコンセプト合わせて、庭全体として育ていく。
設置者は庭とは何かを真剣に考え、成長過程に合わせ全体を調整し作り上げていくのだと思う。

一見自然林に思える明治神宮の森も作り上げてきたものだ。
どのように、どの段階に、どのような手をかけていくのか。
そして、それはなぜ行うのか?

市民協働は、植木のような静的なものではないかもしれない。
ならば、同様の育てを行うのであれば、それだけの手間暇がかかるということだ。
社内的な視点でなく、コミュニティー的(共同体的)な視点による関わりが必要ではないか。
良くある勘違いは、コアボランティアの想定矛盾にある。
利用者なのか、管理者なのか?
基本となるこの部分の想定をシビアに行うことが重要なはず。
想定が曖昧なまま、期待を込めた名前がつけられている公園が多いのではないだろうか。

さらに、公園をコミュニティーとして町に例えるなら。
設置者としてどのような状態の町(公園)にしたいのか。
町の住人(公園のコア利用者)としてどのようにそこに協力していくのか。
新規住人(新規ボランティア)やゲスト(来園者)たちをどのように迎え入れていくのか。
また、その人たちにどのような町(公園)に感じてもらい、どのように過ごしてほしいのか。


「公園とは何か」という根本的な部分をしっかり押さえないまま、市民協働が優先されていないかをPDCAのサイクルに載せて検証する必要がある。
市民協働は社会参加(参画)であり、参加する市民にも相応の責任が生じることを正直に伝えているだろうか。
市民協働ありきになっていないか?
タマゴが先か、ニワトリが先か。

市民協働を行政が養成すること自体、矛盾を内包しているのかもしれない。
公園運営のコーディネーターとして、市民協働による公園運営の難しさと面白さを再確認した視察でした。
現在かかわっている公園でも、もっと市民との協働を増やすようにしよう。



10月18日 体験学習を学ぶ宿泊研修

2012年10月18日 | 環境教育



10月の土日、大阪府立の青少年自然の家を舞台に体験学習の研修会が開催された。
この研修会では、例年プロデュースと指導を担当させていただいている。
プログラム工程の大枠は例年変わらないが、研修を取り巻く社会状況は変化している。
その変化を受け止めつつ研修内容を改訂していく。
また、クライアントの要望も踏まえプログラムを調整し提供する。
今回は、コミュニケーションにウエイトをおいて研修を企画した。

研修の対象者は大学3回生以上の男女219名。昨年の1.5倍。
開所式の後に、先ずはアイスブレイク。
受講者の活性を上げるだけでなく様々なメッセージを盛り込む。
本来なら、もっと「うわー」という活気と笑いのある状態に持って行きたいところだが、指導者数対受講者数、活動時間、受講者の状態等を考え交流を重視して実施。
少しおとなし目のアイスブレイクで研修がスタートした。


午後からは班単位の活動がメインとなる。
ウォークラリーに野外炊飯、そして夜間プログラム。
毎年、クライアントの支援員が参加するのだが、彼らにもチャレンジ(研修)となる様に設定している。
日頃と違う支援のあり方を模索する2日間がそこにある。
正直なところ我々を支援(サポート)する意識を、もう少し持ってもらえるとありがたいのだが、打ち合わせもなく当日来られてはいたしかたない。


1日目のクライマックスは、1日の体験を振り返るシェアタイム。
炎に導かれた受講者が、班ごとに分かれ体験を共有する。
自分のことを語り、他の人のことを聞くのは少しの勇気とそれを支える気力がいる。
所々で起こる他愛もない会話とそれに伴う笑い。
本当に話したい内容は、そんなことなのだろうか?
時間の経過とともに少しづつ扉が開いていく。


2日目は講義と対話による思考の整理と練り込み、そして2日間の振り返り。
講義内容は昨日の体験を振り返りつつ展開。
対話による思考の整理と練り込みは、ワールドカフェの形式を利用した。

   

怒涛のような2日間を振り返って、毎回反省するのは十分な生活時間を設定してあげられていないこと。
研修内容だけでなく、時間設定も受講者にとって良い見本となるように出来ればと思う。
この点は、なかなか改善できていない。
その他の課題として、班が20個あり全体の様子を把握できなかったこと、ワールドカフェや振り返りなどの活動の際に個々の発言に注意を向けることが難しかったことが指導側としてあげられる。プログラムの変更よりも、どのような研修(学び)を提供したいのかをもう一度考える必要があるのかもしれない。

今年も施設ポテンシャルの高さに助けられ、また多くの仲間に支えられて無事研修指導を終えることができました。
ご協力いただいた皆様、有難うございました。

ところで、どのような施設や指導者を選ぶかということも、実は研修実施者にとって重要だということは伝わったのだろうか?

9月3日 子どもエコツアー同行

2012年09月03日 | 環境教育

8月24日(金)~8月26日(日)の2泊3日で開催された子どもエコツアーにアドバイザーとして同行した。
このツアーは子どもエコキャンプを開催したい官の思いに、学が応えて開催された。
また、学が日頃から培っていた訪問先(地元:民)とのパイプが有効に機能し、単なる体験プログラムの域を超えた地元交流プログラムとなっていた。

第一日目は、川遊び体験とウエルカムBBQ、キャンプファイヤーと明日参加する祭りの踊りの練習
第二日目は、間伐体験と竹トンボ作り、地元の祭りに参加
第二日目は、古道ハイキング

それぞれの場面で地元の方々の協力があり、バックアップがあった。
子どもたちは、その援助のもとのびのびとプログラムに参加し、少々ハードな日程だったが笑顔で最後まで体験を楽しんだ。

官・学・民のそれぞれの思いが重なりあって開催された今回のツアー。
3者だけでなく、子どもたちや学生リーダーたちにとってもチャレンジであった。
このチャレンジは、天候にも恵まれ成功で終えることができた。

このツアーの最大の特徴は、「練りこまれていない」こと。
学生リーダーの役割、現地プログラム、現地対応などなど。
練りこまれていないため確固たる枠がない、各自が与えられた柔らかい枠の中で自由に発想し対応いていた。
地元のホスピタリティーあふれる対応や各学生の子供たちとの接し方、〇〇時間と言われる時間の管理など主催者の臨機対応も今回のツアーを形作る大切な要因であったに違いない。
感覚的には、夏の郷がえりのイメージが合う。
そこに行き、滞在することが主目的であり、体験は田舎(郷)を構成するピースでしかない。
何かをした記憶でなく、そこに行った記憶が五感を通じて残る。
自然体験やチャレンジ体験だけでなく、緩やかに地場と繋がる設定もありかもしれない。


今回のエコツアーの様子を写真でお伝えします。

市庁舎前に集合。待ちに待った川遊び。三日間お世話になります。
      

料理担当制の調理体験。太鼓の生演奏。生演奏で踊りの習得。
    

間伐の体験。どう?おじさん。踊りの輪が広がる。
    

川原での花火観賞。古道ハイキング。ここ歩くよ。
    

お腹すいた~。解散後のミーティング  
  


「練りこまれていないようだが、練りこまれている。」
この、いい塩梅の練りこみ加減を探すためにも、先ずはツアーを振り返ることが大切。
開催が継続されるようになって、初めて成功したと言えるのだから。