ふと60年前の自分とモンペ姿の母親がよみがえる。栄養不良の腸が弱い少年だった。エビオスや時にはまむしの目玉をオブラートに包んで飲んでいた。青洟たらしながらイナゴやモロコ、タニシ、蜂の子のごちそうを採るため裸足か藁草履で田んぼや野山を駆けていたことを思い出す。虚弱であったがけっこうたくましかった。食べるということは、人が生きるための第一の活動だ。食料を丹精こめてつくるお百姓さんは偉い人たちだと子ども心に焼きついていた。何が食べられるか。何を食べてはいけないか。毒セリ、毒キノコなど、野山や小川を歩きながら教わった。ツクシやヨモギ、蕨を摘んで家へ帰ることを覚えたのも少年のころだった。
いまの子どもたちは、そんな学習はしない、できない。すべてはお金で購入するだけで、それが食べられるかどうか、確かめることもできない。大人も同じだ。食べ物の6割以上を輸入品に頼りながらそれが安全かどうかテストのしようもない。1年生入学オメデトウとはいうものの、生活の体験と離れた知識を覚えるだけの学校なら楽しくないだろうと思うのだが。
NPOの会合で、お米をつくる話がでた。小学校で、それもポリバケツで米づくりをするのだそうだ。バケツで1合ほどを収穫し、おかゆをつくるらしい。ミニ田んぼをつくり、蛭を入れたらどうや、という話も出た。近頃、食育ということがいわれる時代。それもいいだろう。食料は土地を耕し水を引き汗を流してつくるもの、ではなく買うものという人が多数になってしまった日本。農業を見捨て、自活する道を失ってどうするのか。
入学児母をはなれて列にあり 静子
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