7月16日(火)午前、初めて土器町の「 天満神宮」を訪れた。この神社も布引丘陵の麓にあり場所が分かり難る。
この地域は土器の地区名、天智天皇時代に土器の製造をしていた時代背景からも歴史的に百済高麗の帰化人が住んでいたと思われる。
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天満神社
所在地 東近江市土器町972(旧八日市市)
■祭神
菅原道真公
■由緒
古くは天神宮、天満宮と称し、明治初年に天満神社と改称した。社伝には惟喬親王の王子業覧王が高牟須比尊を勧請したと云う。鎮座地は徃古土器製作の地であった処から得た名称であり、天智天皇御代、土器製造を掌り納めたと伝えられ、慶長七年検地の時より二町五反歩は租税免除地であった。明治9年村社に列す。
■本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造 間口四尺八寸 奥行四尺二寸
〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行三間
所在地 東近江市土器町972(旧八日市市)
■祭神
菅原道真公
■由緒
古くは天神宮、天満宮と称し、明治初年に天満神社と改称した。社伝には惟喬親王の王子業覧王が高牟須比尊を勧請したと云う。鎮座地は徃古土器製作の地であった処から得た名称であり、天智天皇御代、土器製造を掌り納めたと伝えられ、慶長七年検地の時より二町五反歩は租税免除地であった。明治9年村社に列す。
■本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造 間口四尺八寸 奥行四尺二寸
〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行三間






