奥村徳蔵(明治2年-昭和15年)(1869-1940年)、滋賀県愛知郡西小椋村(東近江市愛東町)出身の近江商人・材木商。
徳蔵は父奥村庄蔵の二男として生まれ、27歳の時、他家の養子となったが復縁し、30歳の時、東京の商家に丁稚奉公した。通常15歳辺りでの奉公開始だが大変遅いスタートであった。
当時の社会情勢を鑑み、将来、北海道での事業が有望と考え、丁稚奉公は2年で終えて北海道小樽に渡った。始めは呉服の行商で蓄財し、かつてから有望視していた味噌醤油の醸造業を始めた。しかし、不幸にもその年の暴風雨で醤油工場が壊滅的な被害を受け、事業の廃止を余儀なくされた。
しかし、この失敗にもくじけず、広大な森林が広がる北海道の原野に目を向け、木材伐採に不可欠なノコギリ金具の行商を始めた。北海道の各地を歩き、この間、木材に関する知識や情報などを学び、やがて木材取引業に転換し、材木商として成功した。
徳蔵は義理人情に厚く、様々な社会事業や教育育英事業に貢献した。郷里の小学校(現東近江市立愛東南小学校)の講堂新築工事に基金を出し、昭和10年(1935年)に完成した。徳蔵の貢献は今も村民の誇りとして語り継がれている。
<東近江の商人群像より>