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【東近江・寺社総巡り】第245回・運命水神社(東近江市下一色町)

2019年12月1日(日)午前、下一色町の「運命水神社」を訪れた。田畑の中にぽつんとある。

由緒によると、この神社は東近江市北菩提寺町にある大きな「押立神社」の境外摂社である。神社前に由緒書き板が設置してあるが字が薄れ読み取ることが出来なかった。

後で知ったのだがこの神社は蒲生郡西押立村一色(東近江市)出身の「松居泰次郎・房次郎」兄弟により昭和13年(1938年)に再建・寄進されていた。

松居兄弟は昭和9(1934年)年に下一色町の「宝珠寺」も再建している。また、昭和18年(1943年)に「西押立国民学校」(後、湖東第二小学校)も建設寄贈している。


【滋賀・近江の先人第 85回】生涯貫き通した倫理商法を以てメリヤス露天商から身を起こした・松居泰次良(東近江市)

https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/acb67d25610b93756f3d386e67df36f5

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運命水神社
所在地 東近江市下一色町(旧愛知郡湖東町)

祭神 伊邪那美命、火産霊神
由緒 創建不詳。しかし、次の来歴がある。
天正元年(978年)に、神異あり。 一ー 天餓に掻き雲り、押立庄下一色の神官文屋康兼氏邸内の樹林中に大音響ありて、地陥没し、霊水湧きて池を為す。その周囲七十余尺、深さ九尺の池は、水浅けれど干時も涸れず。よって、運命水と名付くなり。ーー
ーーこの地の傍らに権殿(祠)を設け、押立山上二神を一旦遷座し、半年後に赤波根野に遷宮押立神社となる。斯る縁故によりこの地の無神体の権殿を神社として建立し、押立神社より二御神体の分身を受くる。かくて、運命水神社は、大正9年県社から押立神社の境界摂社たり。常に崇敬霊験を得たり。よて、子孫代々これを崇敬すーー
再建 昭和12年(1937年)、蒲生郡西押立村一色(東近江市)出身の「松居泰次郎・房次郎」兄弟により再建・寄進された。宮大工木村太兵衛施工。鳥居は別な寄進者を予定されていたが竣工式に間に合わず、理由は不明だがその後も建立されなかった
その他 押立神社の境外摂社

<松居泰次良物語(近江隠士商人伝)より一部引用>

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