高井 作右衛門、元禄12年(1699年)日野の松尾生まれ。江戸時代の近江商人(日野商人)である。
高井家(高井 作右衛門)の現在の会社は高井株式会社だが、高井家は滋賀県蒲生郡日野町の近江商人の出身である。
初代の作右衛門は18歳の時に、近江特産の麻布を入れたかごを持ち中山道を美濃路・木曽路・上州路を経由し、上州高崎まで売り歩いていた。
帰りは高崎の産物を仕入れ、売りながら近江へ戻るという往復(のこぎり商法)の行商を行いながら、
享保14年(1729年)初代が31歳の時に、高崎市の隣の藤岡市で酒造業を始めた。
この地を選んだ理由としては行商を行う中で藤岡市の笛木町にある水沼家に出入りをするようになり、笛木町を拠点として星野 兵四郎の土地を借り、酒造を設けた店舗を開設したところから、この地が拠点となった。
元文元年(1736年)38歳の時、上州藤岡に出店し、酒の他に、質物、醤油醸造、荒物類販売などを商っている。
尚、高井と同じ同郷である日野の野田六左衛門家の初代金平は、同郡松尾山村の高井作右衛門の上野国藤岡の出店に奉公に入り、別家独立し、中山道板鼻宿(現、群馬県安中市)に酒造業を開き、出店の屋号は十一屋六左衛門と言った。