危ぶまれたお天気も なんとか持ちこたえてくれた26日(日)
numabeは 「小田原まちあるき検定」に参加して参りました。
10時JR早川駅集合
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/93/529a372adada529b8ec17c380f41efe7.jpg)
私は「3班」。引率者は社会学の研究者、平井太郎さん。(というのは帰ってから知りましたが)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/54/30927c7b7c8361d192a8a1611dc8c1ea.jpg)
同じ班には「FM湘南」のレポーターさんも。
まず向かった小田原漁港__
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/7a/24d9c878fa94c83c6c664ab32b7019f1.jpg)
ここも今日は「うお市場まつり」で賑わっていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/64/ae8e3b942676592d311a8c3384091fb7.jpg)
__ので、私たちは場外で漁港についてレクチャーを受けました^^;
(獲れる魚が 時代とともに変わっていった話など 興味深かった / って、申し訳なくも漁港の専務さんの写真は撮り忘れました。上でお話下さってるのは平井さんです。平井さんからは この漁港が 小田原と熱海を結ぶ街道を横切って作られている事や、 ご自分が小さい頃 漁港内で網で魚をすくって獲っていた話などを伺いました)
続いて 早川口の遺構「二重戸張(ふたえとばり)」の見学_
ここは 以前一人で来た時は、どういう構造なのかわからなかった場所。
(↓知らずに来ると公園にしか見えないかも?)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/a3/e324d97c659829240b3d7ab64096512e.jpg)
二重戸張、というのは 外側に堀を配した二重の土塁_だそうです。
平井さんの案内で左の高い土塁(城内側)と右の低い土塁(城外側)の間の「空堀(からぼり)」を歩いてみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/09/8ede91efd36713e868d62ee1a5babb45.jpg)
面白い事に「行き止まり」としか見えなかった空堀が、平井さんと一緒だと「通り抜け可」となるのです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/48/0d5e6acc50104778cc0a8f0bee4786e1.jpg)
(ここは平井さんの「遊び場」だったそうです^^)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/f4/d51a4c69fa4cc924034d48177f3d5fc7.jpg)
城外側の土塁の上から外の堀側へピョンと降りる。
これぞフィールドワーク!
土塁の大きさを体で測りました^^
「地元っ子の平井さんに案内して頂けてラッキー」って思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/79/a09de5107b3a1a8a5e8131401c0cc636.jpg)
↑飛び降りた先_遺構の外側の堀の跡。ほんの数年前までコンクリートの蓋はなく 用水の水が流れる「現役の堀」だったそうです。
海辺の砲台跡地も歩きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/16/8634a9bcf13c8b9986afcacceda0f3a7.jpg)
今は公園です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/88/945713348d7470240c95b72f459edbcf.jpg)
今は西湘バイパスしか見えないけれど、江戸時代には海に向かって大砲が並んでいたのでしょうね。
時に__私はこういう「子供の絵」が大好き^^
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/8a/b356246b75ebef6916de28daa5d14c3e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/85/0849a55b0aca0d99627666e1a78553af.jpg)
大胆で愉快!
おーっと 長くなっちゃった。
ここで一旦 切りますね。
(あいかわらず適当で スミマセン) つづく__
numabeは 「小田原まちあるき検定」に参加して参りました。
10時JR早川駅集合
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/93/529a372adada529b8ec17c380f41efe7.jpg)
私は「3班」。引率者は社会学の研究者、平井太郎さん。(というのは帰ってから知りましたが)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/54/30927c7b7c8361d192a8a1611dc8c1ea.jpg)
同じ班には「FM湘南」のレポーターさんも。
まず向かった小田原漁港__
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/7a/24d9c878fa94c83c6c664ab32b7019f1.jpg)
ここも今日は「うお市場まつり」で賑わっていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/64/ae8e3b942676592d311a8c3384091fb7.jpg)
__ので、私たちは場外で漁港についてレクチャーを受けました^^;
(獲れる魚が 時代とともに変わっていった話など 興味深かった / って、申し訳なくも漁港の専務さんの写真は撮り忘れました。上でお話下さってるのは平井さんです。平井さんからは この漁港が 小田原と熱海を結ぶ街道を横切って作られている事や、 ご自分が小さい頃 漁港内で網で魚をすくって獲っていた話などを伺いました)
続いて 早川口の遺構「二重戸張(ふたえとばり)」の見学_
ここは 以前一人で来た時は、どういう構造なのかわからなかった場所。
(↓知らずに来ると公園にしか見えないかも?)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/a3/e324d97c659829240b3d7ab64096512e.jpg)
二重戸張、というのは 外側に堀を配した二重の土塁_だそうです。
平井さんの案内で左の高い土塁(城内側)と右の低い土塁(城外側)の間の「空堀(からぼり)」を歩いてみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/09/8ede91efd36713e868d62ee1a5babb45.jpg)
面白い事に「行き止まり」としか見えなかった空堀が、平井さんと一緒だと「通り抜け可」となるのです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/48/0d5e6acc50104778cc0a8f0bee4786e1.jpg)
(ここは平井さんの「遊び場」だったそうです^^)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/f4/d51a4c69fa4cc924034d48177f3d5fc7.jpg)
城外側の土塁の上から外の堀側へピョンと降りる。
これぞフィールドワーク!
土塁の大きさを体で測りました^^
「地元っ子の平井さんに案内して頂けてラッキー」って思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/79/a09de5107b3a1a8a5e8131401c0cc636.jpg)
↑飛び降りた先_遺構の外側の堀の跡。ほんの数年前までコンクリートの蓋はなく 用水の水が流れる「現役の堀」だったそうです。
海辺の砲台跡地も歩きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/16/8634a9bcf13c8b9986afcacceda0f3a7.jpg)
今は公園です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/88/945713348d7470240c95b72f459edbcf.jpg)
今は西湘バイパスしか見えないけれど、江戸時代には海に向かって大砲が並んでいたのでしょうね。
時に__私はこういう「子供の絵」が大好き^^
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/8a/b356246b75ebef6916de28daa5d14c3e.jpg)
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大胆で愉快!
おーっと 長くなっちゃった。
ここで一旦 切りますね。
(あいかわらず適当で スミマセン) つづく__
ここは、「早川駅」
直ぐ側じゃ、「コスモス」が咲き、お魚さん達が・・
>私は「3班」。
何班あったの
>同じ班には「FM湘南」のレポーターさんも。
「Fヨコ」や、「15チャンネル」は、来てたのかなぁ~
>私たちは場外で漁港についてレクチャーを受けました^^;
あ~・・オアズケ状態
>ご自分が小さい頃 漁港内で網で魚をすくって獲っていた話などを伺いました)
網で魚を
>ここは 以前一人で来た時は、どういう構造なのかわからなかった場所。
よく、こんな所へ行ったねぇ~
>(↓知らずに来ると公園にしか見えないかも?)
公園ねぇ~
>見ているのは 左の高い土塁(城内側)と右の低い土塁(城外側)の間の空堀、です。
歩いてるのが、「空掘」って事かニャ
本来は、もっと深かったのかなぁ~
>更に「行き止まり」と思っていた空堀は「通り抜け可」でした!
土塁の上の建物は・・民家
>城外側の土塁の上から外の堀側へピョンと降りる。
着地は成功した?
>ほんの数年前までコンクリートの蓋はなく 用水の水が流れる「現役の堀」だったそうです。
蓋がなかったら、堀に着水
>今は西湘バイパスしか見えないけれど、江戸時代には海に向かって大砲が並んでいたのでしょうね。
「お台場」と同じだね
>おーっと 長くなっちゃった。
こんな子のレスも・・
班によっては「うお市場まつり」も覗かせてもらったみたいよ。(あやちゃんの頁には うお市場まつりの写真が何枚もあったからねー)
あいかわらず「自分語」でしゃべっててごめんね、ちょっと書き直してみたよ、少しは通じる文になったかしら?
土塁の周辺には民家が「普通に建っている」感じでした。 多分ここが「遺構」なんて知らずに家を建ててきたんでしょうね。/ 空堀は 作られた当初はかなり深く掘られていたらしいですね。
平井さんが子供の頃は_って平井さんはまだ若いんだけど_ 堀には蓋がなく その先の用水路と繋がっていて 男の子達はそこをじゃぶじゃぶ歩いて遊んでいたそうですよ。
土塁のあのポイントからおりると 間違いなく「着水!」だったでしょうね^^ それとも男の子達は「向こう岸へジャンプ!」してた、かな?
いずれにしても なんだか羨ましい~!
K2さんの子供時代にも まだまだそんな どろんこになって遊べる環境、残っていたのかなー?