闇夜を切り裂くサイレンと赤色灯。その救急車と黒いバンがすれ違ったのは、“司令部”に程近い交差点だった。「おっと、危ねぇ!ここでドジ踏んでたら、全てが“おじゃん”になっちまう」N坊が必死にバンを操る。「そこを左に曲がれば“司令部”までもうちょいだ!」F坊がナビゲートする。「やっと到着だ。随分、時間を食っちまった。着いたら大車輪でかかるぞ!」N坊が威勢よく言う。「まずは、通信回線の高速化からだ。“シリウス”がピリピリしてるぞ!」F坊が返す。時を同じくして、救急車も□病院へ滑り込んだ。
時間は少し戻って、R女史の自宅兼事務所では、女史とスタッフがすったもんだの大騒ぎを繰り広げていた。「お嬢様!痛みが引かないのでしたら、□病院へ行きましょう!」「ダメ!絶対にダメ!依頼者を放り出す様な真似が出来ると思うの?!お腹の痛みぐらいで引き下がる訳にはいかないのよ!!」と言った途端、女史は痛みでデスクに突っ伏してしまった。波打つような鈍痛は、激痛へと変わり市販の痛み止めでは、どうにもならない状況になっていた。顔色は悪くなり、冷や汗が背筋を伝う。だが、女史は頑なに病院へ行くのを拒んでいた。「こんなに酷い状況では、お仕事処ではありません!今直ぐ病院へ参りましょう!御父上に叱られてしまいます!」「父さんだって、無責任な事は許さないハズよ!明日は、DBの勤務先へ乗り込むの!事と次第に寄っては、裁判を起こさなきゃならないのよ!痛いからって休む事は、依頼者に対して非礼に当たるわ!これぐらいの事、ねじ伏せてでもやり遂げるわ!」女史はあくまでも仕事に拘った。古参のスタッフも黙ってはいない。「よろしいですか!痛みを堪えて何が出来ます?正しい判断がお出来になりますか?!お嬢様が何と申されましても、間違っていたらお止めするのが御父上からのご指示でございます!今回の一件は、一時棚上げになさり医師の診察をお受け下さい!私共が力づくでもお連れします!」彼女らは、女史の手から書類を取り上げると、デスクから無理矢理引き剥がして、ソファーへ連行した。ハンカチで手足を縛り上げると、119番をコールする。「チョット待ちなさい!こんな事は許さないわよ!」女史は叫んだが「お仕事とお命のどちらが大事かお分かりになりませんか?!御父上から“聞き分けの無い時は力づくでも引きずって行け!”と申しつかっております!今回ばかりは、ワガママは聞く耳を持ちません!黙って言う事をお聞きなさい!!」大喝を喰らった女史は、ようやく諦めた。激痛を止める手立てが無い以上、病院で何とかしてもらう以外に無い。ストレッチャーに乗せられる頃には大人しく救急隊員の言う事を聞いていた。
「すまん、ようやくの到着だ」F坊がトランクを山積みにしたカートを押して“司令部”にやって来た。「ご苦労さん。Nは?」リーダーが聞くと「今、ボストンバックと格闘してますよ。“悪魔の鉄塊”ってヤツ!」「どこへ放り込むんだ?」N坊が慎重にカートを押してきた。「向かいの部屋へ“安置”してくれ。俺達には手に負えない代物だ!」「確かに。余人が取り扱う代物じゃありませんから」N坊は平然とボストンバックを部屋へ入れた。「F坊、待ちかねたよ。早速で悪いが・・・、」“シリウス”のセリフを引き取る形で「通信の高速化だろ?OK、直ぐにかかる」F坊は手持ちのトランクを開けると、早速電波状態のチェックを始めた。「誰か、カートを片付けてやってくれ」リーダーが言うと、“車屋”と“スナイパー”が立ち上がる。N坊は“通信モジュール”をネットワークに接続して、アンテナを用意する。「方向はこっちが最適だな。アンテナを貼り付けよう」F坊が言うとN坊がアンテナを窓に張り付ける。「“シリウス”、接続状況をモニターしてくれ。こっちで微調整をかける」F坊は“通信モジュール”の調整を始めた。「速度が安定してない。もう少しズラして」“シリウス”の声でF坊は微調整に入る。「ブースターはいるか?」「いや、何とかいけそうだ。これでどうだ?」「速度が上がった。接続も安定。ここでロックしてくれ!」「了解、N坊、アンテナを上に3cm、左に2cm動かしてくれ。これで乗り換え完了だ。“シリウス”、接続状況は?」「IN、OUT共に安定!これで高速処理が可能になった。さすがだな2人共」「ついでに悪いが、コイツからメールの添付ファイルを引っ張り出してくれ。“台本”らしい」N坊がノートパソコンを差し出す。「いつ届いた?」リーダーが聞くと「環八を走ってる時に着信しました。ミスターJからです」F坊が答える。「“シリウス”、転送する前にプリントアウトしてくれ」「了解」プリンターから原稿が吐き出される。「あれ?ミセスAは?」「そう言えば居ないな?」N坊とF坊が言うと「実はな・・・」リーダーが事情を説明する。事態を理解した2人は「虫垂破裂に腹膜炎か・・・、症状にもよるが・・・」「腹腔鏡か?開腹手術に踏み切るか?判断は別れるな」「腹腔鏡なら、入院期間は短くて済む。だが、より確実に洗浄するとなると開腹手術。半月は動けない」と言い合って考え込んだ。「N坊、F坊、女史の事務所兼自宅の周辺地図だ」“シリウス”が手渡してくれた地図には、防犯カメラの配置が事細かに記載されていた。「警備会社はどこだ?」「A社だよ」2人は地図を見ながら考えた。「どうする?“侵入”は可能か?」リーダーが頃合いを見て問う。「現地を見ないと何とも・・・」「意外に隠れる場所が少ない。“侵入”するなら、アプローチを考えないと・・・」2人共歯切れが悪かった。「まあ、今日明日の話じゃない。子細に検討してくれ。いずれにしても主は入院中だ。腰を据えてかかってくれ」「了解」2人はソファーに座り検討を始めた。「“シリウス”、女史の自宅兼事務所の建物図面、手に入らないか?」N坊が聞いた。「難しい注文だな。だが、建築事務所を片っ端から当たればあるかも知れないな。少し時間をくれ!」「ああ、分かった。図面が無いと“侵入”方法の選択肢が見当たらない。これだけ防犯カメラが張り巡らされていると、隠れようが無いんだよ」F坊がお手上げのポーズを取った。「難攻不落か?」リーダーが聞くと「落ちない所はありません。安全なルートさえ確保できれば。目下、それを探してる段階です」N坊が返す。「いずれにせよ、“侵入”は重要な意味を持つ。何とかルートを切り開いてくれ」「そのつもりです」F坊が返した。「俺達の誇りに賭けてやってみますよ」「任せた。みんな、聞いてくれ。今夜はここまでで作業を打ち切ろう。各自部屋で休んでくれ。まだ、先は長い。明日は、午前8時から再開する」リーダーが休止命令を出した。「了解、リーダーはどうするんです?部屋数が合いませんが?」「俺はここに残る。緊急連絡があった場合に備えてな。補助ベッドでも寝るのは一緒だ」「分かりました。一応、動いてるマシンもありますので、宜しくお願い致します」「襲われない様に気を付けるよ。おやすみ“シリウス”」「じゃあ、おねがいしまーす」メンバーは各自部屋へと消えて行った。リーダーはコーヒーを淹れるとソファーに座り込んだ。「女史の容態次第で今後が決まる。明日中に方針を決めないとマズイな。取り敢えずミセスAの連絡待ちだな」ともかく“司令部”は立ち上がった。具体的な作戦行動は明日決まるだろう。“持ち時間は多少伸びた。それをどう生かすか?ミスターJならどうされるだろう?”リーダーは漠然と室内を見渡して考え込んだ。思えば自身で指揮を執るのは初めてだった。“ミスターJ、指揮官はどうすればいいのですか?”彼は心の中で問うていた。
「あ゛ぎゃー・・・、ぐおうぉー・・・、痛てて、がぁー!」便座の上でDBは脂汗を滴らせて呻いていた。日に十数回、ピーピードンドンがやって来るのだ。「また、例の・・・ヤツが・・・復活するとは、どう・・・、なって・・・、い・・・るんだ?がぁー!腹が・・・」目を白黒させて息も絶え絶えに呻く姿は、モニタールームの画面でも確認出来た。「これ以上、下痢が続いては危険領域に突入するのでは?」「いや、まだ耐えるだろう。今後2日間は現状を維持する。DBの体重は?」「えーと、48kgですね」「頃合いだな。体力を消耗させれば、余計な考えも浮かぶまい」「そう願いたいものです。最近は食器の欠品も無くなり、大人しくしている様です」「だが、油断は禁物だ!大胆にして狡猾。ヤツは大人しくしている様に見せているだけかも知れない。決して心に隙を作ってはならん!」「はい」「そろそろ“釘を刺す”とするか」事業所長はマイクのスイッチを入れた。「ベッドに戻りたまえDB!」ノイズ交じりの声が地下空間に響いた。「なん・・・だと、それ・・・は・・・無理だ」DBは何とか声を絞り出した。「これは命令だ!命令には従ってもらう!」「だか・・・ら・・・下って・・・いる・・・今・・・は無理・・・だ。ぎゃおー!」「服従出来ないならば、止むを得ん!」「レーザー出力MAXヘ上昇。ターゲット自動追尾モードセット。攻撃開始マデ30秒」DBは焦った。ベッドに戻らないとレーザーに焼かれる。だが、下痢は治まる気配が無い。残り時間で出来るのは机の下へ逃げ込んで、運を天に任せる以外に無かった。DBは全力を振り絞って机の下へダイブした。次の瞬間、8本のレーザーが机を貫通して、身体スレスレに降って来た。作務衣の袖が焦げて部分的に蒸発した。「ギャーあぁー・・・」DBは恐怖に震え、床を汚した。「今のは、ギリギリを狙った警告だよ!絶対服従。これが生きる条件だ!従うかね?」「しっ・・・従・・・う。だか・・・ら待って・・・くれ・・・」床が更に汚れた。DBは夢中でベッドへ這いあがった。天井から8本の光が机と床に向かって放たれた。机は煙になり、床の汚れも焼き払われた。「それでいい。絶対服従だ!勝手な事は許さん!」「ああ、しっ・・・従う・・・殺さないでくれ!」DBは小さくなって震えていた。「隠してある紐を出せ!」DBは2本の麻紐を床に投げた。長さは15cm程あった。レーザーが1点集中で紐を煙に変えた。「逃げようなどと思うな!全てはお見通しだ!次に紐を作ったら、片腕にレーザーを打つ!了承するかね?」DBは無言で頷いた。「一応、信用しよう。だが、次は無い!それを忘れるな!」ノイズ交じりの声が消えた。DBの目には恐怖が浮かんでいた。「まだ、信用はするな!言った傍からあのザマだ!油断大敵。我々の隙をヤツは必ず待っている。必要ならレーザーで徹底的に狙って置け!」「はい!」事業所長は、憤然としてデスクに戻った。
□病院に搬送されたR女史は、またまた¨悶着¨を起こし始めた。「点滴とクスリで治して!とにかく時間が惜しいのよ!前にもそれで治ったじゃない?!」「残念ですが、今回は手術をしなくてはなりません。既に腹膜炎を起こしてます。このままでは大変危険です。一刻も早く処置をしないと・・・」「だったら、1週間で退院させて!方法はあるはずよ!とにかく依頼者を放っては置けない!最短で治しなさい!!」ワガママがまたしても炸裂する。「R先生、無茶苦茶を言ってもらっては困ります!過去の¨ツケ¨が今、回って来ているんです。抗生物質が効かない以上、痛みは止まらない。腹膜炎も放置すれば、命に関わる。観念なさって下さい!」院長が説得を開始した。「院長、私は今、重大な事案の調査を進めているの!だから・・・」「と申されても、ダメです!医者の言う事を聞かないとは言わせませんぞ!」院長はセリフを引き取りダメを押す。「御父様からも、厳しく言われております。¨娘に何かあれば、有無を言わさず麻酔を施せ!¨と。ここは病院です。私の領域です。私達の言う事を聞かないとは言わせませんぞ!」「お嬢様!私からも申し上げます。¨郷に入れば郷に従え!それでも、言うなら遠慮なく言うがいい!¨御父様からは、その様に言いつかっております!お医者様の申される事が、聞けないならば事務所を閉じます!!それが分からぬ筈がありますまい!遺訓に叛かれる事は、断じて許しません!」頭を抑えられたR女史は観念するしか無かった。皆、亡き父の意思を継いで¨育て上げてくれた¨人ばかりなのだ。「分かりました。でも、傷はなるべく残さないで。院長、お願いします」R女史は、ようやく観念した。検査の結果、開腹手術をしなければ危ない事が判明した。「緊急オペの準備を急げ!麻酔医は誰だ?」院長はあわただしく指示を出す。「東京のT先輩に連絡を取って、引き継ぎを依頼して!後は任せるわ」R女史は古参のスタッフにそう告げるとオペ室へ向かった。破裂した虫垂を摘出して、温生食水で膿を洗浄する。わずかでも残れば問題が出るため、洗浄は繰り返し行われた。傷口の縫合には“埋没法”が用いられた。細心の注意を払ったオペは無事に終了し、R女史はICUへ移された。
翌朝、ミセスAはくたびれ切って“司令部”へ戻って来た。リーダーから部屋のカードキーを受け取ると、直ぐにベッドへ倒れ込んだ。綿の様に疲れ切った彼女は、眠りの世界へ向かって行った。同じく“スナイパー”も疲れ切って成田から戻って来た。「リーダー、ダメです。アイスランドの火山噴火の影響で、欧州からの便は軒並み欠航になってます。“ドクター”から連絡は?」「まだ何も入っていない。影響は長引きそうか?」「見当も付きません。大西洋航路と北極海航路は、運航中止ですよ。ローマかマドリードへ出れば話は別でしょうが、いずれにしても尋常な手段では戻って来れそうもありません」“スナイパー”の報告は暗澹たるモノだった。「分かった。“ドクター”への連絡は午後まで待とう。現地は大混乱だろうし、メドが立つまでは向こうも落ち着いては居られないだろう。ともかく、休んでくれ」リーダーは“スナイパー”を休ませた。午前8時になると、その他のメンバーが三々五々集結して来た。「おはよう。まず、連絡が2つある。1つは“ドクター”の帰国のメドが立たなくなっている事。もう1つはR女史のオペは無事に終わり、引継ぎ者としてT女史が選ばれたと言う事だ」「T女史と言えば、我々の“顧問弁護団”の一員じゃないですか!」“シリウス”が驚いて言うと「そうだ。だが、R女史はそんな事は知らない。後任に我々の知り合いが“指名”されたのは、幸運以外の何物でもない。この隙を最大限に生かす!N、F、“侵入”の件は一先ず後回しにして“ミキサー”で音声の合成をやってくれ。昨夜、ミスターJから“新たな台本”が届いた。音声記録は2種類を作成する様だ」リーダーは、プリントアウトした“台本”を2人に手渡した。「Y副社長用とR女史用の2種類か」「いずれにしても、まずはY副社長用を大車輪で仕上げますよ」N坊とF坊は直ぐに取り掛かった。「“シリウス”、R女史の自宅兼事務所の建物図面の件が片付いたら、T女史の事務所と“司令部”を回線で直結させてくれ。リアルタイムで情報を共有したい」「分かりました。図面は直ぐにも片付くでしょう。テレビ会議システムも含めて回線は繋いでおきます。R女史のパソコンとサーバーへのアクセスコードについては、T女史と連絡を取って確認します」「さて、“車屋”、君は外回りだ。R女史の自宅兼事務所の周辺の状況を子細にカメラに収めて来てくれ。朝、昼、夕方、夜の4段階全ての時間帯のデーター収拾だ。ステレオカメラを使っての撮影と地図の作成だ。自転車を手配して置け」「はい、集めたデーターはどうします?」「“シリウス”に渡して処理してもらえ。最終的には、コイツで“ストリートビュー”を作ってもらう」リーダーは、“シリウス”の隣のパソコンを指して言った。「了解です」「ただし、あまりハデに動き回るなよ。自然に走り抜けるコースも自分で考えて置け。20分後に出発だ」「はい」リーダーは一通り役割を割り振ると、開いているパソコンを使って、欧州の航空状況の把握に努めた。「コイツは予想外だ。影響が長期化するかも知れない。“ドクター”を帰国させる手を見つけなきゃならん」“司令部”は電子戦に突入していった。
その夜、“車屋”が最終のデーターを取りに出かける頃、□病院では混乱が始まっていた。「熱が下がらないし、下痢の症状が見られるだと?うーむ、術後に発熱が続く事は稀にあるが、下痢とはな。経過記録は?」院長はナースからの報告に首を捻っていた。そこへ、別のナースが駆け込んできて「院長!大変です!R女史が呼吸困難を起こしました!」「なに!呼吸困難だと!」院長はICUへ飛び込んだ。「院長、お嬢様はどうなっているのです?!」古参のスタッフが問うが院長の耳には届いていない様だった。「じ、人工呼吸器、人工呼吸器を装着だ!急げ!」「はい!」にわかに□病院は混乱の渦に飲み込まれていった。その頃、ミセスAはようやく目覚めた。急いでシャワーを浴びると着替えて“司令部”へ顔を出した。みんな、それぞれにパソコンの操作や電話での連絡に飛び回っていた。リーダーが「おはようございます!ミセスA、R女史の退院はいつになりそうですか?」と言う。「そうね、3週間後ってとこかしら。傷口の状態次第。かなり酷い膿だったわ。あれ?“ドクター”は?」「実は、まだ帰って来れない状況なんですよ。アイスランドで火山爆発!航空機の離発着は止まったままなんです。あっ!そうだ。さっきからミセスAの携帯が鳴り続けてますよ!」「あー、ここにカードキーを取りに来て、そのまま置いて行ったのね。サイアク。着信が10件以上か。全部Qちゃんからだわ」ミセスAは、直ぐに□病院のQ総師長を呼び出した。「もしもし、Qちゃん?」「Aちゃん!大変なの!直ぐに来て!!」Q総師長の声が上ずっている。「Qちゃん落ち着いて!何があったか話して!」「R女史の容態が急変したの!呼吸困難に下痢に、膀胱炎も併発してるの!何が何だか分からない状況でボロボロになって行くのよ!!」Q総師長の説明にミセスAは悪寒を感じた。それは“ある記憶とほぼ合致していた”「Qちゃんよく聞いて!R女史の痰を調べてみて!」「痰ですって?!」「そうよ!!そして“セフェム系抗生物質”に対して耐性があるかどうか検査して!!」「セ、セフェム系・・・?耐性って一体・・・」「とにかく急いで!!1分1秒を争うわよ!!私も直ぐに向かうわ!」ミセスAは“司令部”を飛び出すと、ショルダーバックを手にフロントへ降り、タクシーを□病院へ飛ばした。□病院ではR女史の痰を大至急検査した。検査を担当した医師の顔から血の気が失せた。検査結果を見た院長も凍り付いた。「な、何と言う事だ!MRSA・・・、院内感染だ・・・」ミセスAの勘は当たってしまった。「至急、Z病院へ連絡しろ!無菌室に隔離だ!」それしか手は無かった。
「MRSA感染症・・・か、コイツにやられると、まず高熱と下痢を起こしてコレラと似た症状になる。やがて敗血症や膀胱炎・・・更に深部感染が進むと臓器全てが菌に侵されて、多臓器不全で死に至る場合もあり得る」ようやく繋がった国際電話から“ドクター”の声が“司令部”に響いた。「何か手はないんですか?!」リーダーが言うと「今は、無理じゃ・・・」“ドクター”の声に力はない。「今ってどういう事です?」「事の起こりは、抗生物質が開発された1940年代まで遡るんじゃ。1940年代に抗生物質の元祖“ペニシリン”が開発され、それまで不治の病とされておった、結核やペスト等が治療可能になり、医学は飛躍的に進歩した。じゃが、やがて“ペニシリン”に対して“耐性”を持った菌が現れる。つまり、“ペニシリン”の使用によって菌が変質して“ペニシリン”が効かなくなったんじゃ。人類は、この耐性菌に対して直ぐに“メチシリン”と言う新しい抗生物質を開発した。人類は、その後もクスリを進歩させ、新たに“セフェム系抗生物質”で耐性菌を撃滅しようと躍起になった。じゃが、菌も変質を続けて、とうとう“メチシリン”や“セフェム系抗生物質”さえ効かない菌が現れた。そして今、わしらが使っている第三世代の“セフェム系抗生物質”に対して、強い耐性を持つ菌が現れた。それが“メチシリン耐性黄色ブドウ球菌、MRSA”じゃ。つまり、ヤツらは現代医学を越えてしまったんじゃ」「では、R女史を回復させる手は・・・」「日本には手が無い。患者の体力に賭けるしかない。じゃが、わしが帰国すれば手はある!“グリコペプチド系抗生物質”。欧米で開発された新薬じゃ。今回、パリで注射用の個体を手に入れてある。コイツを使えば、道は開けるかも知れん!」「“ドクター”、今どこに居るんです?」「ローマだ。これからイスタンブール空港へ向かう。成田に着けるのは、早くて24時間後になるじゃろう」「じゃあ、これ以上容態が悪化したら・・・」「“最悪の事態”も有り得る。出来る限り急ぐつもりじゃが、飛行機が飛ばなくては帰る道はない!」「なんてこった!海外までは我々も手が出ない・・・」助けたい!だが、助ける切り札は遥か彼方にある!「女史の体力が持つか?“ドクター”が間に合うか?そんな事ってあるのか?」“司令部”は重い空気に包まれた。
時間は少し戻って、R女史の自宅兼事務所では、女史とスタッフがすったもんだの大騒ぎを繰り広げていた。「お嬢様!痛みが引かないのでしたら、□病院へ行きましょう!」「ダメ!絶対にダメ!依頼者を放り出す様な真似が出来ると思うの?!お腹の痛みぐらいで引き下がる訳にはいかないのよ!!」と言った途端、女史は痛みでデスクに突っ伏してしまった。波打つような鈍痛は、激痛へと変わり市販の痛み止めでは、どうにもならない状況になっていた。顔色は悪くなり、冷や汗が背筋を伝う。だが、女史は頑なに病院へ行くのを拒んでいた。「こんなに酷い状況では、お仕事処ではありません!今直ぐ病院へ参りましょう!御父上に叱られてしまいます!」「父さんだって、無責任な事は許さないハズよ!明日は、DBの勤務先へ乗り込むの!事と次第に寄っては、裁判を起こさなきゃならないのよ!痛いからって休む事は、依頼者に対して非礼に当たるわ!これぐらいの事、ねじ伏せてでもやり遂げるわ!」女史はあくまでも仕事に拘った。古参のスタッフも黙ってはいない。「よろしいですか!痛みを堪えて何が出来ます?正しい判断がお出来になりますか?!お嬢様が何と申されましても、間違っていたらお止めするのが御父上からのご指示でございます!今回の一件は、一時棚上げになさり医師の診察をお受け下さい!私共が力づくでもお連れします!」彼女らは、女史の手から書類を取り上げると、デスクから無理矢理引き剥がして、ソファーへ連行した。ハンカチで手足を縛り上げると、119番をコールする。「チョット待ちなさい!こんな事は許さないわよ!」女史は叫んだが「お仕事とお命のどちらが大事かお分かりになりませんか?!御父上から“聞き分けの無い時は力づくでも引きずって行け!”と申しつかっております!今回ばかりは、ワガママは聞く耳を持ちません!黙って言う事をお聞きなさい!!」大喝を喰らった女史は、ようやく諦めた。激痛を止める手立てが無い以上、病院で何とかしてもらう以外に無い。ストレッチャーに乗せられる頃には大人しく救急隊員の言う事を聞いていた。
「すまん、ようやくの到着だ」F坊がトランクを山積みにしたカートを押して“司令部”にやって来た。「ご苦労さん。Nは?」リーダーが聞くと「今、ボストンバックと格闘してますよ。“悪魔の鉄塊”ってヤツ!」「どこへ放り込むんだ?」N坊が慎重にカートを押してきた。「向かいの部屋へ“安置”してくれ。俺達には手に負えない代物だ!」「確かに。余人が取り扱う代物じゃありませんから」N坊は平然とボストンバックを部屋へ入れた。「F坊、待ちかねたよ。早速で悪いが・・・、」“シリウス”のセリフを引き取る形で「通信の高速化だろ?OK、直ぐにかかる」F坊は手持ちのトランクを開けると、早速電波状態のチェックを始めた。「誰か、カートを片付けてやってくれ」リーダーが言うと、“車屋”と“スナイパー”が立ち上がる。N坊は“通信モジュール”をネットワークに接続して、アンテナを用意する。「方向はこっちが最適だな。アンテナを貼り付けよう」F坊が言うとN坊がアンテナを窓に張り付ける。「“シリウス”、接続状況をモニターしてくれ。こっちで微調整をかける」F坊は“通信モジュール”の調整を始めた。「速度が安定してない。もう少しズラして」“シリウス”の声でF坊は微調整に入る。「ブースターはいるか?」「いや、何とかいけそうだ。これでどうだ?」「速度が上がった。接続も安定。ここでロックしてくれ!」「了解、N坊、アンテナを上に3cm、左に2cm動かしてくれ。これで乗り換え完了だ。“シリウス”、接続状況は?」「IN、OUT共に安定!これで高速処理が可能になった。さすがだな2人共」「ついでに悪いが、コイツからメールの添付ファイルを引っ張り出してくれ。“台本”らしい」N坊がノートパソコンを差し出す。「いつ届いた?」リーダーが聞くと「環八を走ってる時に着信しました。ミスターJからです」F坊が答える。「“シリウス”、転送する前にプリントアウトしてくれ」「了解」プリンターから原稿が吐き出される。「あれ?ミセスAは?」「そう言えば居ないな?」N坊とF坊が言うと「実はな・・・」リーダーが事情を説明する。事態を理解した2人は「虫垂破裂に腹膜炎か・・・、症状にもよるが・・・」「腹腔鏡か?開腹手術に踏み切るか?判断は別れるな」「腹腔鏡なら、入院期間は短くて済む。だが、より確実に洗浄するとなると開腹手術。半月は動けない」と言い合って考え込んだ。「N坊、F坊、女史の事務所兼自宅の周辺地図だ」“シリウス”が手渡してくれた地図には、防犯カメラの配置が事細かに記載されていた。「警備会社はどこだ?」「A社だよ」2人は地図を見ながら考えた。「どうする?“侵入”は可能か?」リーダーが頃合いを見て問う。「現地を見ないと何とも・・・」「意外に隠れる場所が少ない。“侵入”するなら、アプローチを考えないと・・・」2人共歯切れが悪かった。「まあ、今日明日の話じゃない。子細に検討してくれ。いずれにしても主は入院中だ。腰を据えてかかってくれ」「了解」2人はソファーに座り検討を始めた。「“シリウス”、女史の自宅兼事務所の建物図面、手に入らないか?」N坊が聞いた。「難しい注文だな。だが、建築事務所を片っ端から当たればあるかも知れないな。少し時間をくれ!」「ああ、分かった。図面が無いと“侵入”方法の選択肢が見当たらない。これだけ防犯カメラが張り巡らされていると、隠れようが無いんだよ」F坊がお手上げのポーズを取った。「難攻不落か?」リーダーが聞くと「落ちない所はありません。安全なルートさえ確保できれば。目下、それを探してる段階です」N坊が返す。「いずれにせよ、“侵入”は重要な意味を持つ。何とかルートを切り開いてくれ」「そのつもりです」F坊が返した。「俺達の誇りに賭けてやってみますよ」「任せた。みんな、聞いてくれ。今夜はここまでで作業を打ち切ろう。各自部屋で休んでくれ。まだ、先は長い。明日は、午前8時から再開する」リーダーが休止命令を出した。「了解、リーダーはどうするんです?部屋数が合いませんが?」「俺はここに残る。緊急連絡があった場合に備えてな。補助ベッドでも寝るのは一緒だ」「分かりました。一応、動いてるマシンもありますので、宜しくお願い致します」「襲われない様に気を付けるよ。おやすみ“シリウス”」「じゃあ、おねがいしまーす」メンバーは各自部屋へと消えて行った。リーダーはコーヒーを淹れるとソファーに座り込んだ。「女史の容態次第で今後が決まる。明日中に方針を決めないとマズイな。取り敢えずミセスAの連絡待ちだな」ともかく“司令部”は立ち上がった。具体的な作戦行動は明日決まるだろう。“持ち時間は多少伸びた。それをどう生かすか?ミスターJならどうされるだろう?”リーダーは漠然と室内を見渡して考え込んだ。思えば自身で指揮を執るのは初めてだった。“ミスターJ、指揮官はどうすればいいのですか?”彼は心の中で問うていた。
「あ゛ぎゃー・・・、ぐおうぉー・・・、痛てて、がぁー!」便座の上でDBは脂汗を滴らせて呻いていた。日に十数回、ピーピードンドンがやって来るのだ。「また、例の・・・ヤツが・・・復活するとは、どう・・・、なって・・・、い・・・るんだ?がぁー!腹が・・・」目を白黒させて息も絶え絶えに呻く姿は、モニタールームの画面でも確認出来た。「これ以上、下痢が続いては危険領域に突入するのでは?」「いや、まだ耐えるだろう。今後2日間は現状を維持する。DBの体重は?」「えーと、48kgですね」「頃合いだな。体力を消耗させれば、余計な考えも浮かぶまい」「そう願いたいものです。最近は食器の欠品も無くなり、大人しくしている様です」「だが、油断は禁物だ!大胆にして狡猾。ヤツは大人しくしている様に見せているだけかも知れない。決して心に隙を作ってはならん!」「はい」「そろそろ“釘を刺す”とするか」事業所長はマイクのスイッチを入れた。「ベッドに戻りたまえDB!」ノイズ交じりの声が地下空間に響いた。「なん・・・だと、それ・・・は・・・無理だ」DBは何とか声を絞り出した。「これは命令だ!命令には従ってもらう!」「だか・・・ら・・・下って・・・いる・・・今・・・は無理・・・だ。ぎゃおー!」「服従出来ないならば、止むを得ん!」「レーザー出力MAXヘ上昇。ターゲット自動追尾モードセット。攻撃開始マデ30秒」DBは焦った。ベッドに戻らないとレーザーに焼かれる。だが、下痢は治まる気配が無い。残り時間で出来るのは机の下へ逃げ込んで、運を天に任せる以外に無かった。DBは全力を振り絞って机の下へダイブした。次の瞬間、8本のレーザーが机を貫通して、身体スレスレに降って来た。作務衣の袖が焦げて部分的に蒸発した。「ギャーあぁー・・・」DBは恐怖に震え、床を汚した。「今のは、ギリギリを狙った警告だよ!絶対服従。これが生きる条件だ!従うかね?」「しっ・・・従・・・う。だか・・・ら待って・・・くれ・・・」床が更に汚れた。DBは夢中でベッドへ這いあがった。天井から8本の光が机と床に向かって放たれた。机は煙になり、床の汚れも焼き払われた。「それでいい。絶対服従だ!勝手な事は許さん!」「ああ、しっ・・・従う・・・殺さないでくれ!」DBは小さくなって震えていた。「隠してある紐を出せ!」DBは2本の麻紐を床に投げた。長さは15cm程あった。レーザーが1点集中で紐を煙に変えた。「逃げようなどと思うな!全てはお見通しだ!次に紐を作ったら、片腕にレーザーを打つ!了承するかね?」DBは無言で頷いた。「一応、信用しよう。だが、次は無い!それを忘れるな!」ノイズ交じりの声が消えた。DBの目には恐怖が浮かんでいた。「まだ、信用はするな!言った傍からあのザマだ!油断大敵。我々の隙をヤツは必ず待っている。必要ならレーザーで徹底的に狙って置け!」「はい!」事業所長は、憤然としてデスクに戻った。
□病院に搬送されたR女史は、またまた¨悶着¨を起こし始めた。「点滴とクスリで治して!とにかく時間が惜しいのよ!前にもそれで治ったじゃない?!」「残念ですが、今回は手術をしなくてはなりません。既に腹膜炎を起こしてます。このままでは大変危険です。一刻も早く処置をしないと・・・」「だったら、1週間で退院させて!方法はあるはずよ!とにかく依頼者を放っては置けない!最短で治しなさい!!」ワガママがまたしても炸裂する。「R先生、無茶苦茶を言ってもらっては困ります!過去の¨ツケ¨が今、回って来ているんです。抗生物質が効かない以上、痛みは止まらない。腹膜炎も放置すれば、命に関わる。観念なさって下さい!」院長が説得を開始した。「院長、私は今、重大な事案の調査を進めているの!だから・・・」「と申されても、ダメです!医者の言う事を聞かないとは言わせませんぞ!」院長はセリフを引き取りダメを押す。「御父様からも、厳しく言われております。¨娘に何かあれば、有無を言わさず麻酔を施せ!¨と。ここは病院です。私の領域です。私達の言う事を聞かないとは言わせませんぞ!」「お嬢様!私からも申し上げます。¨郷に入れば郷に従え!それでも、言うなら遠慮なく言うがいい!¨御父様からは、その様に言いつかっております!お医者様の申される事が、聞けないならば事務所を閉じます!!それが分からぬ筈がありますまい!遺訓に叛かれる事は、断じて許しません!」頭を抑えられたR女史は観念するしか無かった。皆、亡き父の意思を継いで¨育て上げてくれた¨人ばかりなのだ。「分かりました。でも、傷はなるべく残さないで。院長、お願いします」R女史は、ようやく観念した。検査の結果、開腹手術をしなければ危ない事が判明した。「緊急オペの準備を急げ!麻酔医は誰だ?」院長はあわただしく指示を出す。「東京のT先輩に連絡を取って、引き継ぎを依頼して!後は任せるわ」R女史は古参のスタッフにそう告げるとオペ室へ向かった。破裂した虫垂を摘出して、温生食水で膿を洗浄する。わずかでも残れば問題が出るため、洗浄は繰り返し行われた。傷口の縫合には“埋没法”が用いられた。細心の注意を払ったオペは無事に終了し、R女史はICUへ移された。
翌朝、ミセスAはくたびれ切って“司令部”へ戻って来た。リーダーから部屋のカードキーを受け取ると、直ぐにベッドへ倒れ込んだ。綿の様に疲れ切った彼女は、眠りの世界へ向かって行った。同じく“スナイパー”も疲れ切って成田から戻って来た。「リーダー、ダメです。アイスランドの火山噴火の影響で、欧州からの便は軒並み欠航になってます。“ドクター”から連絡は?」「まだ何も入っていない。影響は長引きそうか?」「見当も付きません。大西洋航路と北極海航路は、運航中止ですよ。ローマかマドリードへ出れば話は別でしょうが、いずれにしても尋常な手段では戻って来れそうもありません」“スナイパー”の報告は暗澹たるモノだった。「分かった。“ドクター”への連絡は午後まで待とう。現地は大混乱だろうし、メドが立つまでは向こうも落ち着いては居られないだろう。ともかく、休んでくれ」リーダーは“スナイパー”を休ませた。午前8時になると、その他のメンバーが三々五々集結して来た。「おはよう。まず、連絡が2つある。1つは“ドクター”の帰国のメドが立たなくなっている事。もう1つはR女史のオペは無事に終わり、引継ぎ者としてT女史が選ばれたと言う事だ」「T女史と言えば、我々の“顧問弁護団”の一員じゃないですか!」“シリウス”が驚いて言うと「そうだ。だが、R女史はそんな事は知らない。後任に我々の知り合いが“指名”されたのは、幸運以外の何物でもない。この隙を最大限に生かす!N、F、“侵入”の件は一先ず後回しにして“ミキサー”で音声の合成をやってくれ。昨夜、ミスターJから“新たな台本”が届いた。音声記録は2種類を作成する様だ」リーダーは、プリントアウトした“台本”を2人に手渡した。「Y副社長用とR女史用の2種類か」「いずれにしても、まずはY副社長用を大車輪で仕上げますよ」N坊とF坊は直ぐに取り掛かった。「“シリウス”、R女史の自宅兼事務所の建物図面の件が片付いたら、T女史の事務所と“司令部”を回線で直結させてくれ。リアルタイムで情報を共有したい」「分かりました。図面は直ぐにも片付くでしょう。テレビ会議システムも含めて回線は繋いでおきます。R女史のパソコンとサーバーへのアクセスコードについては、T女史と連絡を取って確認します」「さて、“車屋”、君は外回りだ。R女史の自宅兼事務所の周辺の状況を子細にカメラに収めて来てくれ。朝、昼、夕方、夜の4段階全ての時間帯のデーター収拾だ。ステレオカメラを使っての撮影と地図の作成だ。自転車を手配して置け」「はい、集めたデーターはどうします?」「“シリウス”に渡して処理してもらえ。最終的には、コイツで“ストリートビュー”を作ってもらう」リーダーは、“シリウス”の隣のパソコンを指して言った。「了解です」「ただし、あまりハデに動き回るなよ。自然に走り抜けるコースも自分で考えて置け。20分後に出発だ」「はい」リーダーは一通り役割を割り振ると、開いているパソコンを使って、欧州の航空状況の把握に努めた。「コイツは予想外だ。影響が長期化するかも知れない。“ドクター”を帰国させる手を見つけなきゃならん」“司令部”は電子戦に突入していった。
その夜、“車屋”が最終のデーターを取りに出かける頃、□病院では混乱が始まっていた。「熱が下がらないし、下痢の症状が見られるだと?うーむ、術後に発熱が続く事は稀にあるが、下痢とはな。経過記録は?」院長はナースからの報告に首を捻っていた。そこへ、別のナースが駆け込んできて「院長!大変です!R女史が呼吸困難を起こしました!」「なに!呼吸困難だと!」院長はICUへ飛び込んだ。「院長、お嬢様はどうなっているのです?!」古参のスタッフが問うが院長の耳には届いていない様だった。「じ、人工呼吸器、人工呼吸器を装着だ!急げ!」「はい!」にわかに□病院は混乱の渦に飲み込まれていった。その頃、ミセスAはようやく目覚めた。急いでシャワーを浴びると着替えて“司令部”へ顔を出した。みんな、それぞれにパソコンの操作や電話での連絡に飛び回っていた。リーダーが「おはようございます!ミセスA、R女史の退院はいつになりそうですか?」と言う。「そうね、3週間後ってとこかしら。傷口の状態次第。かなり酷い膿だったわ。あれ?“ドクター”は?」「実は、まだ帰って来れない状況なんですよ。アイスランドで火山爆発!航空機の離発着は止まったままなんです。あっ!そうだ。さっきからミセスAの携帯が鳴り続けてますよ!」「あー、ここにカードキーを取りに来て、そのまま置いて行ったのね。サイアク。着信が10件以上か。全部Qちゃんからだわ」ミセスAは、直ぐに□病院のQ総師長を呼び出した。「もしもし、Qちゃん?」「Aちゃん!大変なの!直ぐに来て!!」Q総師長の声が上ずっている。「Qちゃん落ち着いて!何があったか話して!」「R女史の容態が急変したの!呼吸困難に下痢に、膀胱炎も併発してるの!何が何だか分からない状況でボロボロになって行くのよ!!」Q総師長の説明にミセスAは悪寒を感じた。それは“ある記憶とほぼ合致していた”「Qちゃんよく聞いて!R女史の痰を調べてみて!」「痰ですって?!」「そうよ!!そして“セフェム系抗生物質”に対して耐性があるかどうか検査して!!」「セ、セフェム系・・・?耐性って一体・・・」「とにかく急いで!!1分1秒を争うわよ!!私も直ぐに向かうわ!」ミセスAは“司令部”を飛び出すと、ショルダーバックを手にフロントへ降り、タクシーを□病院へ飛ばした。□病院ではR女史の痰を大至急検査した。検査を担当した医師の顔から血の気が失せた。検査結果を見た院長も凍り付いた。「な、何と言う事だ!MRSA・・・、院内感染だ・・・」ミセスAの勘は当たってしまった。「至急、Z病院へ連絡しろ!無菌室に隔離だ!」それしか手は無かった。
「MRSA感染症・・・か、コイツにやられると、まず高熱と下痢を起こしてコレラと似た症状になる。やがて敗血症や膀胱炎・・・更に深部感染が進むと臓器全てが菌に侵されて、多臓器不全で死に至る場合もあり得る」ようやく繋がった国際電話から“ドクター”の声が“司令部”に響いた。「何か手はないんですか?!」リーダーが言うと「今は、無理じゃ・・・」“ドクター”の声に力はない。「今ってどういう事です?」「事の起こりは、抗生物質が開発された1940年代まで遡るんじゃ。1940年代に抗生物質の元祖“ペニシリン”が開発され、それまで不治の病とされておった、結核やペスト等が治療可能になり、医学は飛躍的に進歩した。じゃが、やがて“ペニシリン”に対して“耐性”を持った菌が現れる。つまり、“ペニシリン”の使用によって菌が変質して“ペニシリン”が効かなくなったんじゃ。人類は、この耐性菌に対して直ぐに“メチシリン”と言う新しい抗生物質を開発した。人類は、その後もクスリを進歩させ、新たに“セフェム系抗生物質”で耐性菌を撃滅しようと躍起になった。じゃが、菌も変質を続けて、とうとう“メチシリン”や“セフェム系抗生物質”さえ効かない菌が現れた。そして今、わしらが使っている第三世代の“セフェム系抗生物質”に対して、強い耐性を持つ菌が現れた。それが“メチシリン耐性黄色ブドウ球菌、MRSA”じゃ。つまり、ヤツらは現代医学を越えてしまったんじゃ」「では、R女史を回復させる手は・・・」「日本には手が無い。患者の体力に賭けるしかない。じゃが、わしが帰国すれば手はある!“グリコペプチド系抗生物質”。欧米で開発された新薬じゃ。今回、パリで注射用の個体を手に入れてある。コイツを使えば、道は開けるかも知れん!」「“ドクター”、今どこに居るんです?」「ローマだ。これからイスタンブール空港へ向かう。成田に着けるのは、早くて24時間後になるじゃろう」「じゃあ、これ以上容態が悪化したら・・・」「“最悪の事態”も有り得る。出来る限り急ぐつもりじゃが、飛行機が飛ばなくては帰る道はない!」「なんてこった!海外までは我々も手が出ない・・・」助けたい!だが、助ける切り札は遥か彼方にある!「女史の体力が持つか?“ドクター”が間に合うか?そんな事ってあるのか?」“司令部”は重い空気に包まれた。
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