還暦コンブのひとりごと

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父親の看取り

2024-10-29 00:12:20 | 日々思うこと

今月20日早朝、父が亡くなった。

来月で90になるが筋肉質でしわもなく私たち姉妹は

まだまだ数年は元気に暮らしてくれると信じていた。

 

今年の2月に母を見送った時も3年弱施設にお世話になってたから

週2は必ず通っていた父も、一緒には住んでいなかったから

まだ気持ち的には大丈夫だろう・・・

なんて勝手に思い込もうとしていた。

 

でも病気になるまでの父は結構前向きで、同期会に参加したり

孫たちと食事に行ったり母の仏壇にせっせとお花を買ってきては

供え、車であちこち出かけたり近くのスーパー銭湯に通ったり

ひとり暮らしを楽しんでいるようにも見えた。

 

ところが妻を亡くすということはそんな簡単に乗り越えられる

ものじゃなかったんだと病気になってから知った。

 

だいたいの男性は妻を亡くして半年~1年くらいで後を追うと

お坊さんも苦笑いしていた。

それまで元気だった人も体調を崩して入院がちになったり

鬱になったり、認知症になってしまったりという例は私もずっと

見てきていたはずなのに、なんで父だけ例外にしてしまったのか。

 

なぜか私も姉も父が弱っていくことを受け止められなかった。

かかりつけ医に毎日点滴に通っていた時も、「お父さんももういいお年

だから余命1か月くらいかもしれない」と言われた時も心の中で憤慨した。

まさか~こんな自立してるのにありえない、すぐに元気になるよねって。

 

年に1回くらい肺に水がたまり炎症を起こして入院していたが

入院中もLINEのやり取りを楽しみ、元気に退院してきたから

今回もそのパターンだろうと・・・

 

でも、今回はそうじゃなかった。

最初の入院で点滴漬けでベッドに安静にさせられてから転がるように

足の筋力が低下した。それと同時に感情の起伏も激しくなり

怒っているか泣いているかになってしまった。

かかりつけ医にも入院中の主治医にも原因が分からなかった謎の炎症

数値ばかりが異常に高いけど白血球は正常という謎の病。

父はもともと身体が丈夫で体力もあったから持ちこたえていたけれど

普通の高齢者なら即入院になるような炎症をずっと抱え、元気に過ごして

いるように見えていただけだった。

家に行くといつも寝ていたのは実はしんどかったからなのかもしれない。

 

父自身もなんとなくしんどいのは歳のせいだと思っていたんだろう。

いつからか歩くスピードが遅くなっていた。

息が切れるわけじゃないから「もっと歩かないと足弱るよ!」なんて

声掛けして、本当に知らないというのは罪なことだ。

 

2度目の入院をする前あたりに父と姉と私で過ごした夜があった。

父が1度だけ「ふたりともここで一緒に暮らそう」と言った。

よほど心細かったのか、姉と顔を見合わせ返答に困った。

例えば癌の末期で緩和ケアを受けているとか、期間限定とかなら

夫に了解をもらいそれこそ1か月同居は全然アリだった。

だけどまだまだそんな時期ではないと思い込んでいたから

昼間毎日通うよでお茶を濁した。

仕事を辞めていて一番良かったのがこれが出来たことだ。

 

それから短い間に色んな困難なことがあり、姉と二人心を痛めながら

振り返るとその1か月後には逝ってしまった。

たった3か月の介護生活だった。

 

親孝行できたと捉えて良いのだろうか。

あまりにも置かれた状況が辛すぎて父は妄想の世界と現実を

行き来しながら最後は妄想の世界から帰ってこなかった。

それが救いであると言えばある。

 

世間から見れば十分大往生なんだろうな。。

 

 

 

 

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