父の治療を主治医と相談していく中で確実に見えてきたこと。
口から食べ物や水を飲みこむことが出来なくなった高齢者に
点滴はしない方が良い。
病院側は治療するのが仕事だから入院している以上何らかの方法により
命を長らえる使命がある。
近年延命のための胃ろうを選ぶ家族は減っているので、とりあえずの
期間は首の下にポートというものを設置して行う中心静脈栄養を
勧められるのが多いのではないだろうか。
普通の点滴の針では十分な栄養が入れられないので太い血管を確保して
しばらくの間はそれだけで生きていられるそうだ。
父の場合も腕の血管に針を刺すのが困難になってきたのでそれを勧められた。
一緒に説明を聞きにいった義理兄は「先生のおっしゃる通りにしてもらったら
いい」と言ったが姉と私は言葉がでなかった。
今後ベッドから起き上がり歩けるようになる可能性がゼロであるのに
栄養を入れられてベッド生活を長らえることが父にとって幸せなのか?
昔、療養型病棟で看護助手として働いていたことがある。
当時は身体介護のやり方を身に着けていくことに必死だった私は
療養型病棟でたくさんの管に繋がれている患者さんを見ても
どこか別世界の人たちのような気がしていた。
自分が高齢になってこのような状況で生かされるのは嫌だなとか
人間の生命力ってものすごく強いんだなとか
そんな風に他人事のように感じていた。
今思えば点滴を入れられることによって自然に老衰で死ねない
状況を作られていたのだと、彼らは声すら出なかったけど涙を
流す人は多かった。
きっと置かれた状況があまりにも辛かったのだ。
調べてみたら末梢の点滴だけでも、ほとんど栄養がなく水分だけでも
数週間は身体の細胞がエネルギーを作り出し生きられるそうだ。
さて、父の場合は主治医が度々私たちの意思を確認してくれたことで
「なにもしない」という方法を選んだ。
中心静脈栄養は抜かれては困るので手をくくるなどの身体拘束を行う
場合がある。末梢点滴も本人が外そうとするのでミトンなどで指の
動きを止める拘束を行っていた。
お見舞いに行っても一生懸命ミトンを外そうと腕に力を入れて目で
これを取ってくれと必死に訴えている父を見てきた。
口から物が食べられなくなると同時に声も出なくなっていた。
点滴を続けてもらうことが父にとって苦しみでしかないことに気づいた。
そこで「なにもしないでください」という結論が姉と私で固まった。
帰りの車の中で姉とはひとことも喋らなかった。
お互いに父の命綱を自分たちの言葉で切ってしまったことに
罪悪感を抱えていたからだ。
その後4日もかからず父は枯れていくように亡くなった。
痰の吸引も水分を身体に入れなくなったら痰すら出なくなった。
病院に無理を言って寝台車で父を実家に連れて帰り1週間ほど看取りを
行うつもりだったが翌朝父は静かに旅立った。
下顎呼吸をしていたので口は開いたままだったが眉間にしわもよらず
穏やかな表情で息を引き取ったのだ。
もちろん私たち姉妹は子供も独立し私は仕事を辞め時間があったから
3か月間のあいだ父の最後に寄り添うことができた。
お仕事をしていたり子育て中だったりどうしても療養型病院に預けて
いるしか出来ないご家族も多いのだろう。
コロナを言い訳にして未だに面会も制限をかけている病院も多いが
せめて頻繁に会いに行ってあげて様子をみてほしい。
SPO2が下がったからと言って酸素吸入をされるのも楽ではない。
痰の吸引も辛いものだが体が脱水症状になると痰も出なくなる。
やはり体は自然に任せてあげるのが一番ではないかと思った。
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