コロナウイルスオミクロン株BA1からBA2に移行し、デルタクロンという凶悪な新種まで現れ、市中感染手前の状態であることは明白だ。年度末の3月から4月にかけ、人流数が増加し、経済は上昇トレンドに向かうがゴールデンウイークの期間における人流の密による感染拡大は払しょくできないのが現状だ。昨年同様であれば、ゴールデンウイーク後のコロナウイルス感染者数は増加し、既にまん延防止重点措置法の発効が懸念され、経済は下降トレンドに移行する。コロナウイルスと人類の闘いは、終わりなきせめぎあい、膠着状態となりつつあり、ワクチンによる予防よりは、コロナウイルス絶滅にシフトすることが必要だ。コロナウイルスは種の保存により、更なる感染力拡大の機能が備わる可能性もあり、媒体となる人間は生かさず殺さず、ウイルスの種の保存に専念するため、弱毒化し、感染数の増加のみ追及することすらありえるのだ。つまり、ウイルスは生物であり、後世に自分の分身が多く残るよう、人間という媒体が絶滅しないよう制御しながら進化し続けているのだ。
一度失われた信用は簡単には戻らない、これは「覆水盆に返らず」という。最近の不祥事の対策・傾向は、裁判にて裁定し信用が戻ると考える者が多いなか、自浄努力において復活しようとハングリー精神がある者が少なく感じるのだ。古来から日本人は、団体意識思想が根強く生きており、集団主義、集団行動、集団生活は、日本人のDNAに刻まれた習性だ。欧米諸国のような個人主義の国とは文化に違いがある日本は、鎖国という歴史背景から、村八分という言葉すら生まれたのだ。なお残りの二分は、葬儀のことであるが、葬式くらいは出してやろうとう上から目線が如何にも日本人らしく、他諸国とは文化の質が根底から違うことがわかるだろう。このたびの選挙にしても同じく、一度失われた信用は、決して戻らないのが日本であり、議員としては諦めるしかないのだ。日本には、もう一つ、往生際が悪いという言葉がある。彼には、猛省し、他分野での活躍に期待したいところだ。
推定無罪という用語があるとおり弁護士からいえば、証拠収集から実況見分、証言の整合性まで網羅しなければ、ひき逃げとは判断できない。マスコミは、面白おかしく記事にしており、視聴者からの注目さえ集めていれば、収益が得られるのであるが、名誉棄損、侮辱している傾向が強く出ていることから、マスコミ報道の自由の名の下による暴挙は、何でも許されるべきではない。原付バイクであれば総重量200kgはないことは知っており、大型トラックは、総重量10000kg以上あることから対比すれば、大型車の運転した者であれば、引き摺っても気づかないだろう。擁護する訳ではないが推定無罪であるから、騒ぎ立てることのものではないだろう。人権侵害に甚だしく、身内に甘いマスコミは、即刻、反省し自重するべきだろう。
年度末の3月から新年度の4月の間は、人流が増加し、コロナ感染が増加するといわれている。企業の人事異動の約9割は、3月から4月の決算期に集中していることが原因だ。この時期における基準の緩和とコロナウイルスBA.2の市中感染の増加は、日本に甚大な被害が被るという解析の結果から、実施するべきではないのだ。本当に政府主導の基準緩和でいいのだろうか。人間は死ねばそれで終わりであり、代わりはいないのだ。政府による賠償だけで済む話ではなく、日本国憲法に記載の日本国民の幸福追求の権利は、何処に行ったのであろうか。経済優先の安易な考えにより規制緩和するのではなく、都道府県単位の規制は、存続するべきである。もし規制緩和に失敗すれば、今度こそ自民党の与党政権は、崩壊することとなると認識して取り組む必要があるだろう。
物価指数の高騰による物の価格の上昇は世界から物資が減少している証拠であり、大規模なインフレーションの発生予兆だということだ。物資が流通しなければ、物の価値が上がり、全体の価格が上昇することは周知の事実だ。戦争が長引けば更に物資の価格は上昇し、ついには過去幾度と発生したオイルショックのような騒動が発生する可能性は否定できない。物資の価格が上昇するたび富裕層だけは金銭の獲得が順調になり、富裕層と貧困層の格差は増々広がるといえるだろう。日本の政治家は国民が貧困になろうとも生活保護があるから大丈夫だと考えているところ、貧困になるプロセスはあらゆる悲劇に見舞われ、心身ともに疲弊することが政治家には理解できないのだ。政治家と国民の思想の乖離が広がれば、国民の支持はなくなり、数年前に発生した与党・野党の政権交代が訪れることは明白だ。いづれにしても、政権が交代しようが現状の貧困は変わらない日本の将来は、悲観的過ぎるのだ。参議院選挙では、大規模な政治改革と政権交代が必要だろうということだ。