しっとりと濡れている、雨模様の朝は、すがすがしくもあり、肌寒さも感じます。
明日は、 『春分の日』 <3月20日(日>
春のお彼岸の中日。
「雪の白いつばさ」をイメージしながら、読み直してみました。(見出し写真:八ヶ岳)
『春の彼岸』 自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より
山々はまだ雪の白いつばさを浮かべて
三月の空の中ほどに懸かっているが、
早春の風はすでに 柔らかに あおあおと
水のほとりのはんのきの裸の枝と
その長い花の房とをふきめぐっている。
草木瓜(くさぼけ)の赤、たんぽぽの黄がここかしこ。
しかしおおかたはまだ枯草の丘の墓地に
蒼く苔むした古い墓石、
かずかずの新しい白木の墓標、
いつくしみと忘却とは其処に優しく息をつき、
春の哀愁はほのぼのとあたりに漂う。
煩悩(ぼんのう)の流れをあえぎ渡って、
久遠(くおん)の国の岸辺から
この世をいとおしむ俤(おもかげ)らのなつかしさ。
しかし人はまだ幻滅と塵労(じんろう)との日を営々と生きて、
ただ今日のような早春の山や光や花や風に
たまたま悲しくも清らかな
平和への誓いの歌を聴くばかりだ。
【自註】
別荘の森のむこうの丘のなぞえに、一箇所 小さい墓地 があった。甲斐駒ガ岳や鳳凰三山を正面に見る良い場所だった。
その墓地が春や秋の彼岸の日には近隣のから来た墓参の人達で静かに賑わう。
古い墓石もあれば新しい白木の墓標も立っている。
新しいのはそのほとんどが戦死者のものである。
「陸軍一等水兵だれそれの墓」だとか書いてある。
昔の死者もつい近年の戦没者もここに葬られて、春まだ浅い枯草の中、ちらほらと咲き出した花の間に同じ永遠の眠りを眠っている。
生きていた日の彼らを私は知らず、彼らもまた元より私を知らない。
しかしこうして生者と死者とが互いに近く住んでいる事こそ他生の縁というべきである。
ましてや私は敗残の都から遠く流れて彼らの郷土に身を寄せている人間である。
高原の風もようやく柔らかなこの春の彼岸の中日に、どうして素知らぬ顔でこの死者の丘の小径を歩けよう。
この詩はすなわち 彼らへの手向けの歌 だ。
よかったら、またいらして下さい。