寒の戻りの3月24日は、冬に逆戻りの様相。
春よ、来い(^^♪ 「全開」の春よ!
詩人 尾崎喜八は、長野県茅野市と伊那市の境界の 杖突峠で、
「春の心地よさ」を詠んでいます。
春よ、来い(^^♪ 「全開」の春よ!
ぽかんとした安らかな気持ち
詩人 尾崎喜八は、長野県茅野市と伊那市の境界の 杖突峠で、
「春の心地よさ」を詠んでいます。
『杖突峠』
自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より
春は茫々、山上の空、
なんにも無いのがじつにいい。
書物もなければ新聞もなく、
時局談義も とやかくうるさい芸術論もない。
頭をまわせば銀の残雪を蜘蛛手に懸けた
青い八ヶ岳も蓼科ももちろん出ている。
腹這いになって首をのばせば、
画のような汀(みぎわ)に抱かれた春の諏訪湖も
ちらちらと芽木のあいだに見れば見える。
木曽駒は伊那盆地の霞のうえ、
檜や穂高の北アルプスは
リラ色の安曇の空に遠く浮かぶ。
そればみんなわかっている。
わかっているが、目をほそくして 仰向いて、
無限無窮(むげんむきゅう)の此のまっさおな大空を
じっと見ているのがじつにいい。
どこかで鳴いているあおじの歌、
頬に触れる翁草やあずまぎく、
此の世の毀誉褒貶(きよほうへん)をすっきりとぬきんでた
海抜四千尺の春の峠、
杖突峠の草原(くさはら)で腕を枕に空を見ている。
自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より
春は茫々、山上の空、
なんにも無いのがじつにいい。
書物もなければ新聞もなく、
時局談義も とやかくうるさい芸術論もない。
頭をまわせば銀の残雪を蜘蛛手に懸けた
青い八ヶ岳も蓼科ももちろん出ている。
腹這いになって首をのばせば、
画のような汀(みぎわ)に抱かれた春の諏訪湖も
ちらちらと芽木のあいだに見れば見える。
木曽駒は伊那盆地の霞のうえ、
檜や穂高の北アルプスは
リラ色の安曇の空に遠く浮かぶ。
そればみんなわかっている。
わかっているが、目をほそくして 仰向いて、
無限無窮(むげんむきゅう)の此のまっさおな大空を
じっと見ているのがじつにいい。
どこかで鳴いているあおじの歌、
頬に触れる翁草やあずまぎく、
此の世の毀誉褒貶(きよほうへん)をすっきりとぬきんでた
海抜四千尺の春の峠、
杖突峠の草原(くさはら)で腕を枕に空を見ている。
【自註】
杖突峠は中央線茅野駅から南西四キロのところにあって、高さは一二四七メートル、諏訪盆地から遠く伊那の高遠(たかとお)へ通じている杖突街道の、言わばここはその入り口である。頂上の草原からの眺望は詩にも書いたとおり実に美しく晴れやかに雄大だから、春や秋の好季節には私も近道をしたりわざわざ遠廻りをしたりして度々ここを訪れた。今では茅野から高遠通いのバスも通っている。しかしこの詩はまだそんな物の無い時に出来た。諏訪湖をとりまく幾つかの町は頸飾りの玉とかばかり下の方に連なって見えるが、それが東京などで経験する厭な事をまるで想わせないのが気に入った。たまたま聴こえるのはこの高みで歌っている小鳥の声、すぐ顔の前にはつつましやかな春の花。譏(そし)りも無ければ陥(おとしい)れも無く、不愉快な噂も陰口もここまでは伝わって来ない。
腕を枕に真青な空を見上げて柔らかな草に寝ている一時の、このぽかんとした安らかな気持を何と言おう。
杖突峠からのパノラマ写真<2014.Oct.26>(ウキペディアより)
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