天神講とは何ぞや?

2005-02-25 | Weblog
真冬に逆戻りしたように寒くなりました
でも子供の頃はもっと寒くて、2月25日には雪の残る畑で
まだ蕾がやっとつき始めたくらいの梅の枝を切っていたものです。
何故そんな可哀想なくらいの枝を切ったかというと
今日2月25日は「天神講(テンジンコウ)」だからなんです。

この天神講、実家では雛祭り同様に毎年お馴染みの行事でした。
なのに今まで知っている人に出会ったことがありません
(もちろん知人全部に聞いてみたわけではありませんが・・・)
とても不思議に思っていましたので、この機会に
薄れていきそうな記憶を振り返り、ネットでも調べてみることにしました。
お陰で、「コウ」は「講」だろうと漠然と思っていたことも確認できました。
少し長くなりそうですが、書き出してみます

<思い出の天神講>
天神様つまり菅原道真公の掛け軸を飾ります。
天神様が牛の背に乗っている図で、この牛が相当リアルで
眼が怖かった記憶があります。
梅と松、そして天神竹と呼んでいた背の低い竹(熊笹かも?)を活けます。
ネコヤナギも活けたような気がしますが梅が枝ばかりなので
彩り用だったのかもしれません。
夕食は、その掛け軸の前で太巻といなりの田舎寿司を食べていました。
このお寿司は何か行事があると登場したので特に意味はなさそうです。
どこかへ詣でたり誰か訪ねてくることもありませんでした。

<ネット検索で見つけた事>
・2月25日は菅原道真の命日である
・天神講は、2月25日や毎月25日に行われる天満宮の行事
・1月25日という説もある
 特に福井県では1月25日に焼きガレイを食べるという記事多数
・中世の頃は芸道に従うものが信仰していたらしい
・近世になると習字の神として寺子屋で天神講が行われ、
 道真の神像を掲げて酒を供え、子供の書を天満宮に奉納したりした
・この寺子屋の発達によって各地に広まったらしい
・そのためか、ほとんど子供を対象にした行事になっている
・子供達が決められた家に集まって御飯を食べ絵や書を書くのが普通?
・御飯は五目飯?? (多分、定番のご馳走ということでしょう)
・昨年2月25日に舞鶴で、戦争の影響で中止されていた天神講が
 60数年ぶり復活という京都新聞の記事があり、
 町内の子供達が集まって、絵を描いたりお菓子をもらって、
 楽しいひと時を過ごした、とのこと
そして、これもネットで見つけたのですが、天神講で飾るという
天神様の掛け軸も販売されていました へぇ~
実家の掛け軸に描かれていた牛もナゾだったのですが
牛は菅原道真に縁が深いという説明も見つけました。

なるほど~やはり天神講は各地で行われていたんですね
天神様にちなんだ子供会といった感じだったのでしょうか?
知らない人も多い一番の理由は戦争のせい? 残念なことです。。
だけど、やはり自分の故郷は田舎だわ・・・と実感。
若い頃は田舎であるというだけで恥ずかしく感じていましたが
今は懐かしい思い出が多いことに感謝しています。
私の知る天神講は家族だけでしたが、もっとずっと昔は
子供達が集まったりしていたのかしら?
母が生きていたら聞いてみたかったことが、また増えてしまいました。。

すっかり長くなってしまいましたが、この話にはオマケがあります
今日のブログは天神講だと決めて、記憶をたどったり
構想を練ったりしながら、近所を歩いておりました。
何度か歩いたことのある道で、そこに像があるのは知っていたんですが
それが天神像であることに今日初めて気付いたのです
出来すぎたような話ですが全くの偶然なんですよ
道路のすぐ傍ら、マンションか会社の敷地と思われる場所です。
なぜそんなところにあるのかナゾです。
後ろに「翔べスペースシャトル」と彫られた像もあるし・・・不思議。。
もしかして周囲に何か案内とかあったのかもしれませんが、
写真を撮ったし怪しいヤツに見られそうで長居しませんでした


"富士見天神"と読めますね。
昔は海岸線だったと聞いた場所の
坂を登った所にありました。
多分、富士山が見える(た?)方角に
向いているのだと思います。



天神講の日に天神様に出会えてウキウキした気分でスーパーに入り
懐かしのメニュー、田舎寿司(助六寿司)を買って帰りました。
実は主人が飲み会なので単なる手抜きです
このブログに随分時間がかかってしまいましたから正解でしたね


天神様の写真を眺め実家で定番だった天神講メニューを食べ・・・願い事は
今さら学業もなんですので(パソコンでは道真さんも無理?)
ブログに役立つ文章力かも。。虫が良すぎ?(笑)