①HINOMARU発表
— 津田大介 (@tsuda) 2018年6月14日 - 15:00
②「特定の思想はまったくない」とツイート
③謝罪
④ライブで演奏後「自分の生まれた国を好きで何が悪い!」と叫ぶ
こうなると謝罪の必要なかったし「特定の思想はまったくない」なんて言い訳もいらなかったのでは。… twitter.com/i/web/status/1…
RADWIMPSの「HINOMARU」の件、思われてるよりすごく繊細で複雑な問題だと思う。
— ishtarist@馬の眼🐴 (@ishtarist) 2018年6月14日 - 12:20
結論から言えば、ライブ会場前での抗議は「筋がよろしくないな」と思うけど、だからといって、単なる「表現の自由」だというのは、「単なる愛国」に留まらない問題の深刻さを捉えきれてないように思う。
改めて歌詞を読み直したんだけど。
— ishtarist@馬の眼🐴 (@ishtarist) 2018年6月14日 - 12:28
「たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ」
この箇所は明らかにマズイと思う。この箇所のおかげで、歌詞全体として特攻隊を思い出させる。
国のために犠牲として身を捧げることを称揚するカルトじみた歌だよ。単なるナショナリズムではない。
あらかじめ言っておくと、僕の祖父は特攻隊の飛行指導をしていたし、祖父自身も特攻の生き残りでもある。そういう意味で、僕の生は、特攻と深い縁がある。
— ishtarist@馬の眼🐴 (@ishtarist) 2018年6月14日 - 12:33
だからこそ、僕にも言う資格があると思う。
特攻隊は国家による国民の殺人だったと。その意味で、尊敬する祖父はその加担者でもあった。
元の文脈から離れるけど、特攻隊について、戦後政府は、国民に謝罪するべきだった。否、国民が政府に全面的な謝罪を要求するべきだったと思う。
— ishtarist@馬の眼🐴 (@ishtarist) 2018年6月14日 - 12:36
国体なる訳のわからないもののために、国家がどれだけの人を犠牲にしてきたのか。もちろん、国民だけでなく、旧国民と侵略地域の被害者に対しても。
特攻隊は、従軍慰安婦制度と並んで、決して美化してはいけない出来事だ。
— ishtarist@馬の眼🐴 (@ishtarist) 2018年6月14日 - 12:42
(従軍慰安婦制度を美化したのが朴裕河)
国家の狂気が、あるいは狂気の国家が自国民を爆弾に仕立てあげた。その事実を透明に直視し、二度と同じ過ちを繰り返させないことだけが、犠牲を無駄にしない唯一の方法だ。
もちろん、国民が殺人兵器に仕立てあげられたのは、特攻隊員だけではない。大日本帝国軍に従軍したほとんどの人が、国家の犠牲者であった。それと同時に、その犠牲によって、何千万人ものアジアの人々が殺された。
— ishtarist@馬の眼🐴 (@ishtarist) 2018年6月14日 - 12:50
その歴史的事実の積み重ねと、その忘却と隠蔽の上に、あの歌がある。
僕の考えではこれは逆で、「愛国すると自動的に排外になるから、愛国などと考えること自体を戒めるべき」と思っている。「綺麗な愛国」なんてものは、ない。人々は愛するべきだが、「国」などを愛するとロクな結末にならないのだと、人類はすでに学… twitter.com/i/web/status/1…
— ワイド師匠 (@feedback515) 2018年6月13日 - 15:32
別の表現をしてみる。
— ワイド師匠 (@feedback515) 2018年6月14日 - 13:24
国粋主義は、害悪だ。国粋主義が、排外や迫害、戦争を起こす。愛国主義を害悪とまでは言わないが、愛国主義と国粋主義は地続きであり、そこに境界線はなく、それはグラデーションのようなもの。愛国心の高揚はすなわち国粋主… twitter.com/i/web/status/1…
教育や教養の基になった「リベラルアーツ」は、人間が自由になる為の学問であり、道具。そのリベラルアーツを構成する「自由七科」には論理学や数学と並んで音楽も含まれている。つまり、音楽は権威や抑圧、因習から人間を解放し、自由になる為のもので、愛国心とは対極にあると誰か教えてやってくれ。
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) 2018年6月14日 - 14:17
自分が生まれ育った風土や文化、周囲の人々に抱く自然発生的な愛着は「愛郷心(patriotism)」で、自分が属する国家や国旗に抱く畏敬の念の「愛国心(nationalism)」とは似て非なるものだという事も、誰か教えてやってくれ。
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) 2018年6月14日 - 16:05
後、そもそも音楽としても魅力がなく、ダサい事も…