貧困問題を提起するさい、「非の打ち所のない貧困者」の姿を提示して世間の関心を集めようとすると、「あるべき貧困者」の水準が上がりすぎてしまい、そのイメージに合致しない人たちが貧困者として認めらなくなってしまうのではという話を、仁平さん(@nihenori)が言っていたのを思い出す。
— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) 2016年8月20日 - 21:42
貧困問題を考える時にブレるのは、感情と制度をごっちゃにするからだと思う。生保を受けている方も、貧乏で取材を受けていた子も、その収入で何をどうやり繰りするかは本人の自由だし、そこには嗜好や生活スタイルがあって当然だ。生存権は「健康で文化的な生活」を保障している。→
— みなみ 海 (@ZasiCocoro) 2016年8月20日 - 22:54