ここから、かなり秘教的な領域突っ込んで書いて行きたいと思います。
その前に少し私の直感に引っかかったのが、ケイシー・リーディングやひふみ神示がこの世の根源的悪と述べている【我(Self)】ですが、それを超えた沢山の人のために役立つ【我(欲)】のことを【大我】と述べています。 ひふみ神示には 『禁欲は神の御旨ではないぞ。 慾を浄化せよ。 慾は動くその途中の過程に於いて様々なモノを産み出す』 というようなニュアンスが述べてあります。
【ひふみ神示 〔黒鉄の巻・第三十四帖〕】
祈りは弥栄であり、限りない生活であるぞ。 生命のイキであるぞ。 祈りから総てのもの生まれるぞ。 誠の喜びの祈りからはゝが生命し、かげの祈りからは○が生命するぞ。 人祈れば神祈り、人為せば神なる道理ぢや。 禁慾は神の御旨でないぞ。 慾を浄化して、生めよ。 産めよ。 今の人民、慾の聖化を忘れて御座るぞ。 慾は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ。 慾を導けよ。 自分だけならば五尺の身体、五十年の生命であるが、霊を知り、宇宙の意志を知り、神にとけ入ったならば、無限大の身体、無限の生命となるぞ。 マコトの嬉し嬉のよろこびとなるのであるぞ。(旧九月八日)
つまり、変化・進化の重要性を述べています。
“悪” も留まらねば ”悪” ではないが、留まる、動かない “善” は ”悪” と化す、というニュアンスで、前に進み続けることの重要性を述べています。 その意味で考えると、国家レベルの省庁や警察、地方公務員などの役所的仕事が悪の巣窟と化したのも頷けます。
ま、それはどうでもいーとして、この問題を数秘学で考えてみたいと思います。
“我” という画数は、姓名学では7画の中吉数です。 「我が強い」 という諺どおり、自分のやり方や考えに固執する傾向があります。 そのポジティヴな面として、音楽や芸能、アートといったより強い個性が無くては生き残っていけない世界では、その人の持つ個性の強い作品を生み出すこともあります。
で、この ”我” に “大” という3画の大吉数が加わると、『大(3画)+我(7画)=大我(10画)』 ということで、10画の崩壊数である大凶数になります。 考え方にもよりますが、大我・・・つまりソコの位置からなかなか動こうとせず、より強い我慾となると崩壊(0・ゼロ)してしまいますが、コレを浄化して前に進むならカバラ数秘学により 「10=1+0=1」 というコトで新たな “1(始まり)” を生み出すのです。
更に興味深い事に “男(7画)” と ”女(3画)” を足しても “10画” の終わりと始まりを暗示する画数になります。 ついでに、”民主”党も10画です。
この言葉を聞くと本能的に忌避される方もいらっしゃるかも知れませんが、”神” という宗教的な言葉も、興味深い事に同じく十画の崩壊数です。 なぜ?この世を根源的に創造した存在を意味する数が大凶数なの?と。
旧約聖書にも出てきますが、”言葉” である “神” はこう宣言しています。 「私はアルファでありオメガである」 と。 つまり、始まりであり終わりでもあるし、またその終わりは新たな始まりを産む(有無) と。
ついでに調べてみますと、この10画には他にも興味深い漢字が並んでいます。
【十画】:疾、病、気、流、留、育、花、芽、酒、真
上記の組み合わせから、”疾病” は20画の分裂崩壊数ですし、“病気”も同じく20画です。 そして、“芽” から出来た “花“ もまた崩壊でもあり、新たな終わりの始まりでもある。
“流” れるも ”留” まるも、始まりであり終わりの途中の過程であるし、現代病である花粉症や癌といった “病” も決して ”悪” ではなく、私たち人間に ”何か” しらの進んでいる方向性の “間違い” を教えるための現象に過ぎない。 地震や干魃、大洪水といった天災は大きな “病” であり、事故や病気なんかは個人レベルの ”病” である。
マクロビオテイックの創始者である桜沢如一先生もこう問うています。
『癌とは私たち人類にとって果たして悪なのか?』
と。
話の流れついでに、英語で神を暗示する ”God” をカバラ数で顕しますと、“8” の ”忍耐” を暗示する土星(Saturn)になります。
ケイシー・リーディングは、この太陽系にある学び舎である “地球(Earth)” を表現するのに ”三次元” であると述べています。 宗教的な表現ですと、“父と子と精霊” ですが、より科学的に表現するなら ”時間と空間と忍耐” でもあると。
そして、リーディングの中で ”忍耐” をこう表現しています。
『もう一度、忍耐を学がよい。 持続性のある積極的な忍耐をである――単なる受動的な忍耐ではない。 忍耐とは、ただ単にじっと耐え忍ぶことではない……。 愛、目的、信仰、希望、慈善……そういったモノに取り組みつつ、忍耐の法則に従うのである」(R1968-5)
上記は占星学で使われる土星のシンボル・マークですが、ケイシー・リーディングの占星学解説によりますと、このマークは地上に堕ちた沢山の魂たちが、日々彷徨いながらも一歩一歩、キリストの示された十字架に向かう図をあらわしているようです。
そして、Saturn(クロノス)は、言霊学によりサタン(Satan)に通じ、サタン、またの名を堕天使ルシファー(Luficer)、天上で最も美しく、神に反逆して地上に堕とされた第一天使。 この反逆は失楽園のAdam(アダム)にも通じ、イエス・キリストの十字架磔によって完了される。 その本質は創造神アミリウス(Amilius)の意図的堕落の転生のひとつ。
ナゼそうされたのか?
それはアトランティス時代末期、無秩序な創造を繰り返してして自らの創り出したモノに入り込んで昏睡状態に陥り、ドコへ向かえばよいかもわからず彷徨っている魂たちを救うため、自らその肉体の誘惑を体験し、もと居た場所に戻るための道を指し示すために肉体に入られた。
その事を暗示するように、ケイシー・リーディングによりますと Adam には ”赤い地球” という意味があり、この名前をカバラ数秘学で分析しますと、【Adam=1+4+1+4=10(Ten)】 になり、“10” はさらに “1+0=1” で、太陽(Sun)に帰結し、さらに ”1” は “肉体(earth)” に通じます。
日本の姓名学もそうですが、全ての ”名前” というモノには深い意味があり、一部の直感力・霊感に優れた人間が観るなら、ソコの秘教的な様々なコトを読み解くコトが可能となる。 故にそれを読み解くことが可能な人間は自ずと責任も生じ、心の修練が必要となる。
読み取った情報の総てをそのまま相手に伝えて良いワケではない。 依頼者を観て、その場で直感から、伝えて良いことと悪いコトを見極めなくてはならない。
私も最初の頃、様々なコトが解って面白半分に扱っていた姓名学を、ある時、知人の沖縄の神人さんが現れ厳しく戒められました。 一人の人間の生死レベルの運命すら変える可能性がある、恐ろしい研究課題であることの認識の必要性。
そこを教えられ、その後それに類するような経験を沢山踏まされました。 警備員や倉庫での肉体労働もそうでした。
しかし、この旅に終わりはない。 そこを常に意識して残りの人生を生きるのと、何もわからず、知らず、日々過すのとでは天地の開きが出てきます。
ソコを伝える一助となればと考え次のアップで、私たちが向かう先を多少顕教的に表現した情報を採り上げてみたいと思います。
続く・・・
注:写真は、今年の新年に行った横浜からの流れのOMNIBUSです。 CONTAX T-2 With Fuji100