今度はひふみ神示に戻って、【三・3】という数について考えてみたいと思います。
ひふみ神示の方もケイシー・リーディング同様、含意がかなり深いので、最後は読む人の読解力と言いますか、精神レベルに依存するのですが、ケイシーリーディングとの異なりや一致点を観ながら考えてみたいと思います。
【ひふみ神示 〔上つ巻・第十三帖〕】
元の三人、その下に七人、その下に七七・四十九人、合して五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのざ、この五十九の心魂は神が守ってゐるから、世の元の神かかりて大手柄をさすから、神の申すやう何事も、身魂みがいて呉れよ、これが世の元の神の数ぞ、これだけの心魂が力合はしてよき世の礎となるのざ。 この心魂はいづれも落ちぶれてゐるから、たづねて来てもわからんから、よく気をつけて、どんなに落ちぶれてゐる臣民でも、たづねて来た人は、親切にしてかへせよ。 何事も時節が来たぞ。 六月の二十一日、ひつくのか三。
【ひふみ神示 〔富士=普字の巻・第三帖〕】
メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。 神界ではその戦の最中ぞ。 学と神力との戦と申しておろがな、どこから何んなこと出来るか、臣民には分るまいがな、一寸先も見えぬほど曇りて居りて、それで神の臣民と思うてゐるのか、畜生にも劣りてゐるぞ。 まだまだわるくなって来るから、まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民沢山あるぞ。 玉とは御魂ぞ、鏡とは内に働く御力ぞ、剣とは外に働く御力ぞ、これを三種の神宝と申すぞ。 今は玉がなくなってゐるのぞ、鏡と剣だけぞ、それで世が治まると思うてゐるが、肝腎の真中ないぞ、それでちりちりばらばらぞ。 アとヤとワの詞の元要るぞと申してあろがな、この道理分らんか、剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、それで早う身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。 上下ないぞ、上下に引繰り返すぞ、もう神待たれんところまで来てゐるぞ、身魂みがけたら、何んな所で何んなことしてゐても心配ないぞ、神界の都にはあくが攻めて来てゐるのざぞ。 八月十二日、㋹のひつくの㋹
【ひふみ神示 〔富士=普字の巻・第九帖〕】
神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。 今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。 この世は人間にまかしてゐるのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、いつも神かかりてゐる臣民ぞ、神かかりと直ぐ分る神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。 いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入ることの表は一番の天国に通ずることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。 何事も洗濯第一。 八月の十八日、㋹のひつくの㋹
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他にも色々とあるのですが、とりあえず目についたこれらの帖を採り上げて【三・3】という数について、ケイシー・リーディングや大森英桜先生の解釈される易の理論なんかとも、比較・検討しながら考えてみたいと思います。
その前に、今フト少し思い出したのですが、昨日のアップでケイシーは 『人間は本来太陽系において、最大8次元の意識をもつことが出来る』 と述べていますが、ひふみ神示にも 「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」 と述べている帖があります。 あと余談ですが、日本でも昔の人は、理解力や直感力に優れた人のことを 「八つ耳」 と言っていたようです。
他にも【7・七】という数に関しても、かなり共通するニュアンスの見解が多々あり、これら二つの全く異なる精神世界系の情報の共通性に驚かされます。
数霊の持つ神理(真理)力なのかも知れませんが、本当に真理(神理)は一つの源泉から生じてきており、神理(真理)から出ている情報は、最後の最後はソレに感応する、読む人の読解力と精神レベルによるようです。 私も今研究している様々な題材も、以前に読んだ時よりも明らかに多くの事に気が付くようになりました。
まーですが、私の場合、これらの情報は “研究” とか “勉強” とか云うような固っ苦しいモノではなく、ただ単に毎日読んでいてもアキないし、面白いし、新しい事に日々気付かされる。 だから続けているに過ぎません。
物事を “継続” させるコツのひとつは、ココにあるのかも知れませんね。 “やっていて理屈なく楽しい・アキない・日々の気付き”。 私も昔はこんなに継続型ではありませんでしたから。
ちょっと長くなったので、ここで一回区切りたいと思います。
最後に、何の才能もない人間は 『“継続” は力なりー!』 と思いたいですね。
続く…