工藤静香ファン時代にI本という男がいた。新聞配達店で働いていた。あるときこのI本という男が、こんなことを言った。「コンサートにいくことは回数の問題ではない。」
このセリフ一面的には正論である。しかし僕はこの男の主張としての「コンサートにいくことは回数の問題ではない。」という意見はまったく支持しない。I本の愚劣な主張は、根性の腐った意地悪野郎には好意的に受け入れられているらしい。
僕はそんな根性の腐った意地悪野郎に好意的に見られたいとは思わないし、交流を持ちたいとも思わない。関わったとしてもろくなことはないだろう。「コンサートは回数の問題ではない。」とするなら何が問題か。その問題において、I本やその主張に好意的な連中の「コンサートに行くこと」は優れていたとでも言うのだろうか。
そう考えたい人は考えればいいだろう。僕とは立場が違う。コンサートの回数にこだわることも、「コンサートの回数の多さ」にこだわらないということも、無視する必要はないが、小さな問題である。僕は大げさに考えるのは不適切、その程度にし受け止めていない。ところが、「コンサートは回数の問題ではない。」という意見は、実際以上に大きな問題として扱われる傾向がある。
背景として考えられることはいろいろあるけれど、こういうことで他の人を侮辱・嘲笑していい気になろうとする連中に、僕は親しみはまったく感じない。
自分がコンサートにたくさん行くことには好意的だけれど、他人がコンサートにたくさん行くことには強く反発し、あれこれとやかく言いたがる人はいますね。繰り返すけれど、「コンサートに行くことは回数の問題ではない」というのは一面的には正論。しかし僕はI本の主張としての「コンサートにいくことは回数の問題ではない。」という意見はまったく支持しない。