かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

日々Mai-k、LOVE!ーNo27「甲子園ボウルとジャパンXボウル」

2005-12-22 07:42:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

アメフトの記事なので、「元祖かんたん」に書くところだけれども、倉木さんの母校、立命館が出てくるので、こちらのブログに書くことにしました。

12月17日東京の家を出る。最初名古屋で降りて近鉄で大阪に行こうかと思ったけれども、時間が少し遅くなりそうなので、新大阪に向かう。途中でまたつきまといの嫌がらせがある。どうやら僕が名古屋で降りると思い込んだ馬鹿者がいたようだ。最初から新大阪まで切符を買っていただろうが。

新大阪駅近くのステップイン新大阪というホテルに予約してあり、チェックイン。新大阪では4件目のホテル。設備は問題なくとてもよいが、かみそりと歯ブラシがない。僕はタバコを吸わないのに、喫煙の部屋で申し込んでしまったらしい。大分の祖母宛に手紙を書き、夕食は、新大阪駅構内で、まず太郎庵に行く。生ビール2杯とさばの味噌に、さきいかのフライ、たこのから揚げ、明太たこ焼き、おでんなど食べる。さきいかのフライが珍しい。美味しい。おでんは関東と違うかと思ったが、あまり変わらない印象。お店の人は、奥のほうが暖かいのでどうぞ、と言っていたが、僕は倉木ファンとして、しばしばハンドルネーム「おく」呼ばわりされていて、おくという言葉を聴くとそれだけで、不愉快になるが、ここはあまり気にしないことにした。

その後ブラジルという店に行き、カレースパゲティとクリームカルピスを注文。カレースパゲティというのは、僕がコンサートなどで関西に行き始めたころ、大阪あたりの軽食・喫茶の店に行くとよくカレースパゲティをメニューに見かけたもの。今はそれほどでもないけれど、以前はもっと多かった印象。あっちこちの軽食・喫茶の店でカレースパゲティをメニューで見かけ、関東ではそれほどでもなく、この辺でも関東と関西の食文化の違いを知る。でも最近は関西では以前ほどではなく、だんだんカレースパゲティのメニューが減りつつあるのか。クリームカルピスというのも初めてだった。

コンビニで求人誌などを買い込み、ホテルに戻る。あまりよく眠れない。読書など少しやる。翌日は10時過ぎにホテルを出て、JRで大阪駅、阪神で甲子園。どうやらつきまといの馬鹿どもは、僕が何しに関西まできたかわかっていないらしい。甲子園ボウルを観に来たんだよ。去年に続き2回目。昨年は立命館側の応援席に入る。ライトポール際の指定席。

甲子園に着くとまず帰りの切符を買い、駅近くの店でタイヤキを食べる。昨年も寄った。窓口でうっかり自由席のチケットを買ってしまう。立命館側指定席を買い直そうと思っていたら、あまり券を売りにきた人がいた。前売りのチケットを額面割れで。そのまま指定席に入る。チアリーダーがいるところのずっと上の席。席が窮屈。左右に人がいて、かなり窮屈。甲子園球場というのは、席が小さい。でも昨年は狭いけれど、今年ほどじゃなかった気がする。

周囲でまた僕に関してデマに基づくことを揶揄するがごとき発言がちらほら。立命館の関係者も意地悪そう。しばらくじっとしていたが、腹が立ったので、指定席を出る。立命館の関係者印象が悪い。以前ライスボウルで関学の応援席に入ったことはあるけれども、別に特に干渉された記憶はない。その後関学がらみでデマを流されたくらいだが。昨年だって立命館の関係者は印象が悪い。倉木麻衣さんのBKCライブはすごく楽しかったけれども、その後の観客誘導はなんだあれは。立命館のスタッフ、南草津駅まで歩けとか言っていたな。退場にものすごく時間がかかった。立命館の関係者というのは、部外の客に対し、ものすごく横着で、慇懃無礼。蒸し返すのもどうかとは思ったが、立命館関係者の嫌がらせは続いている。でも、僕の母校の学習院はどうだろう。スポーツ弱いし、印象が薄すぎてよくわからない。

指定席を出た時点で僕はもう立命館の応援をしないつもりでいた。ライト側自由席は空席が多い。周囲に人がいなければ意地悪されないだろうと思い、そこに行く。ただ、法政の応援席が意地悪でないかどうかは、それはわからない。とにかく周囲に人がいないと意地悪されずに観戦できるだろうという考えを優先した。法政側の応援に回ったけれども、周囲では僕が相変わらず、立命館の応援をしていると思っている人がいるらしい。あきれたやつ。馬鹿じゃないのか。

ただ、そうは言うものの実力的には、僕は立命館のほうが上だと思っていた。試合は結局、法政が勝った。立命館は流れに乗れず、思うように実力を発揮できなかった印象。法政の最後のタッチダウンが印象的。来年以降も関西では立命館が強豪として活躍するかもしれないが、あの応援席の様子では応援する気になれない。来年は、関学、京大、関大などの活躍を望みたい。

甲子園球場というのはトイレもあまりよくない。たいした球場じゃない。意地悪なファンも多いし、腹がたつと言うか、悔しいというか。今までにないほど関西という土地柄に対し、強い怒りを覚えました。梅田に阪神電車で戻る途中、福島で降りた3人組み、何かあるのかな。僕は大阪福島出身じゃないし、福島県出身でもないぞ。くそやろう。

新大阪駅構内で食事をしようと思った。カレー屋に2軒入る。どうやら大阪人は、僕に対するデマを信じているらしい。僕のことを嘘ばかりついているだの、反対のことばかり言うだの、暗示にかかりやすいだの、駄洒落・語呂合わせを当てはめたり、そういったことでのみ、僕に接してこようとする。東京にもそういう人間は多いが、大阪は嫌がらせの密度・頻度がすごく高い。すっかり大阪に対し、嫌悪感の固まりになってしまった。ホテルに戻る。

夜はしっかり眠り、朝のバイキングはなかなかおいしくてよい。19日午前10時にチェックアウトすると、近くのコンピュータの学校の前で、しばらく座りわりこみ、街を眺める。もうしばらくは大阪には来ないだろう、そう思いながら街を眺めていた。僕には地獄の街だね、大阪は。新大阪駅の郵便局による。印象悪い。まだ時間はあるので、大阪、四ツ橋あたりに行こうかと思ったけれども、また大阪市営地下鉄の連中に嫌がらせされる可能性も高いし、雪で新幹線も遅れているということで、早めに東京に帰ることにした。

帰りの乗車券は持っていたけれども、間違ってまた特急券つき乗車券を買ってしまった。乗車券が二重。後で払い戻すことに。滋賀県から愛知県くらいにかけて雪が降っていて、一部ではかなりな積雪量。JRの社員は、西日本にしても、東海にしても態度がものすごく悪い。嫌がらせばっかりじゃないか。駅や車内のアナウンス担当にきちんと教育しろ、馬鹿たれが。尼崎の事故が教訓として生きていないことが、社員の態度を見ればすぐわかる。デタラメ噂を流すなど嫌がらせばっかりやるのが、JR。いつものこと。豊橋や、品川にこだわっているのは、どういうつもりだ、ごまかすなよ、そのうちまた嫌がらせをするんだろう。

いつも「のぞみ」に乗って嫌がらせをされるので、今回「ひかり」に乗ったが、どうも前の席の3人挙動不審。殴ればよかったのか。おまけに新幹線の車内で気がついた。どうやら携帯電話をホテルに忘れてきたらしい。ここまで出すっかり意気消沈していた僕は、最初ホテルに連絡しようとしてやめた。相手は大阪。また、嘘ばかりついているだろうとか、事実と反対のことをいうだろうとか、駄洒落や語呂あわせを当てはめたり、またそんなことになるのかなあ、と考えうんざりしてホテルに連絡するのはやめた。大阪が大嫌いになっていた。

東京駅に着く、乗車券が二重なので片方払い戻そうと思ったが、またJRの社員に嫌がらせされてもたまらないので、泣き寝入り、そのまま改札をでる。上野に行き、アメ横を通る。カンパを求めている初老の女性がいる。真剣な顔。でも、こんなところでカンパを求めるくらいなら、1日働いて仕事でお金を稼いだほうが、カンパは大きくなるはず。アメ横なんて、お金持ちの通るところじゃない。他人のことをお金がないだろうと決め付けて、せせらわらう若者がいるでしょう。郵便局員もそうだけれども、そいつらからカンパを取ればいいんじゃないか。

松坂屋へ行く。書店コーナーに行く。またわざとらしいばばあ。嫌がらせが好きなのだろう。携帯電話をなくしたので、携帯電話の店に行き、新しい携帯、同じ機種のものを買う。すっかり落ち込んでいる。そこから東京ドームへ行く。考えてみると東京ドームへ来るのも1月のライスボウル以来。インパルスとシーガルズ、どちらの応援席に入るか考えた。シーガルズの応援席は何度も行っているが、実は社会人では応援席で他の客から一番意地悪されている。インパルスは篠竹監督時代の全盛期日大とインパルスの試合をテレビで観て、それ以来インパルスびいきになっていたが、西のチームだし、パールボウルを除くとまだ一度も応援席には行ったことはない。昨年はインパルスの応援をしようと神戸ウイングスタジアムに行ったが、前売りチケットを持っていくのを忘れ、当日券はシルバースターしかなく、インパルスの応援席に入り損ねた。

最初インパルスの応援席に入ろうと思ったが、前日の関西嫌がらせ後遺症があり、でもシーガルズの応援席もちらほら意地悪なやつがいて、迷ったけれども、インパルスだと浜崎さんやエイベックスがらみのデマも考えられ、警戒し、シーガルズ応援席に入る。どうやらシーガルズ優位らしいが、僕はインパルス優位と観ていた。前半やはりディフェンスの強さ、インパルスが強かったけれど、後半流れに乗りシーガルズが逆転。あのフィールドゴールがよかった。インパルスのQB高田選手も注目していたけれども、やはり大学とは違うのかな。

多少嫌がらせもあったけれども、これはインパルス側に行っても同じかな。僕は客席を反対側にまわるときがある。それは応援しているチームがワンサイドで圧勝ペースになったら、反対側に回る。前述の理由により、甲子園ボウルは試合前に席を変わったもの。ジャパンXボウルでも席を替わったけれども、これは同じサイド。2日とも応援したチームが勝ちました。僕にしては珍しいこと。チアリーダーはシーガルズがやはりしっかりしていて見ていて楽しい。。

ライスボウルにも行く予定。今のところ法政側の応援席に行く予定。僕はいつも原則的に学生対社会人は学生側に行くことにしている。それに今年の甲子園ボウルとジャパンXボウルを観ると、やはり社会人のほうがはるかにレベルが高そう。まともだったら、シーガルズが圧勝してもおかしくないと思う。そこを法政がどう挑むか。ライスボウルは最近6年で5回行っている。少し記憶が曖昧だけれど、前回法政が出場したときは行かなかったはず。

帰りは南北線で帰ることにした。また妙なつきまとい。どうやら僕が丸の内線で池袋に行くと思ったらしい。何で?よくわからない考えをよく当てはめられるし、そんなことでよくつきまとうね。電車のなかも変。うんざり。家に帰ってパソコンでメールを見たら、大阪のホテルから、携帯電話を忘れていたと連絡があった。すっかり大阪に悪い印象を持ってしまっていたが、少しよい印象。もう新しい携帯を買ったけれども、ご厚意には感謝いたします。ありがとうございました。

虐め嫌がらせの集中豪雨で、気分的に沈んでいます。来年の倉木さんのライブ・ツアーは、予想以上に行く回数は減るかもしれません。関西と北海道はまず行かない可能性は高い。それ以外大半も黄信号。東京近辺だけになるかもしれない。でも就職先しだいでは、まるで別のところ、2~3公演以内くらいになるかも。お金がないからだろうといわれそうだが、もちろんお金の問題じゃないから、その対策として、どこかで無意味なお金の使い方をしないといけないらしい。あほらしいけど、嫌がらせがすごいから。
状況が変わってほしい。

相変わらず僕に対して人権侵害が続くけれど罰が当たればいい。僕に対し、語呂合わせや駄洒落を当てはめたり、つきまとい、つけまわしをやったり、反対のことばかり言う、嘘ばかり言うなどと決め付けるやつは、大きな罰が当たれ。


日々Mai-k、LOVE!ーNo26「四国八十八箇所めぐり」

2005-12-18 13:28:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

12月6日から四国八十八箇所めぐりに行ってきました。
僕の祖母は大分県に住んでいます。若いころから、福岡県の篠栗にある八十八箇所めぐりには頻繁に行っていたようで、そちらでは八十八箇所めぐったようです。そちらも急峻な地形でめぐるのは大変なところですが、こちらの四国の八十八箇所は本場だけあり、広範囲で、しかも一部のお寺は山深いところになります。祖母も45番札所の岩屋寺には何度も参拝しているようです。

僕が以前からつきまといやつけまわしに苦しんでいることや、厄年であること、再就職のことなどを心配し、あちこちに御参りに行け、祈願をしてもらえと言い続けていました。母親は現在千葉県の松戸市に住んでいるが、創価学会の信者で、そのような祖母の信仰に強く批判的でした。ただ、僕は母親や義父(母親の再婚相手)の横暴で傲慢、エゴイスティック、無責任、不誠実、ただ自分をよく見せたい一身で平気で親族のことで嘘をついたり、強引に自分の考えを相手に押し付けておきながら、結果が悪ければ必ず他人を悪く言ったり、自分たちに都合の悪い事実があると、必ず捻じ曲げてデタラメな解釈をし、デマを流すというような行動を見ていて、母親や義父、そしてその二人を擁護する創価学会員たちに強く反感を持っていました。

僕から見れば、問題点はあっても多少の誠実さのある祖母のほうが好感持てます。ただ、祖母の信仰、つまりあちこちの著名寺院や街の拝み屋に行きまくるというような姿勢には、ついていけないような気がしていました。親はどんなに悪いことをしても、過ちを認めたほうが自分にとって得になる場合は、表面的に反省しますが、本心から反省することはありません。その証拠にのどもと過ぎれば何とやら・・・・・・という言葉がいつも当てはまります。

僕の親はいつも自分の利益のために嘘をつき続ける。その嘘の結果、いつも僕の親は得をしている。不誠実の塊。一方、その親のせいで僕はいつも不当に苦しめられ、親族の人間関係もおかしな部分が出てきています。祖母も不適切なことを言うことがあるが、もちろん祖母自身に問題がある場合もあるが、その一方で、祖母だけでは入手不能な情報が背後にあり、それが元で祖母が不適切なことを言う場合がある。そしてその場合利益を得るのは親。祖母のつまらない発言の背後には親がいる可能性もある。とにかく今回は祖母の僕に対する心配をなくしてもらいたい、という気持ちがあり、今回四国八十八箇所めぐりに行きました。

12月6日午後東京を出発。新幹線で岡山へ。今回は切符は四国の周遊券を利用。特急で伊予西条まで行く。携帯サイトで予約してあった西条アーバンホテルに宿泊。駅に近くてわかりやすい。西条というと西条高校が高校野球で有名だけど、四国はあちこちに高校野球の有名校があるから四国では珍しくないか。隣のローソンで買い物をしてホテルへ。よいホテルだけれども、夜中に外に猫がいて鳴いていた。猫のせいというわけでないけど、ほとんどで眠れず、朝はぐったりして出立。

翌日早めに伊予小松駅に行く。祖母に勧められていたのは、ここの60番札所横峰寺と香川県の海岸寺。駅からタクシーで行ったが、距離もあり、山間の急峻な悪路を通り、正直なところ僕はびくびくものでした。途中までダムをせき止めてできた湖が左手に見える。どこかからマイクロバスも出ていると聞いたけれども、どこからでているかわからない。タクシーの運転手もバスの話をしていたが、結局行き返りタクシーの利用に決めた。途中から林業組合の管理する有料道路になる。

横峰寺の近くに駐車場があるらしいが、凍結のためそこまでいけず、途中でタクシーを降り、歩き。タクシーには待ってもらった。しばらく山を登っていくが、お遍路さん数人に出会う。年輩の人もいて、さすがに健脚。僕は日頃の運動不足がたたり、ぐったりしかけたけど、しばらく歩くと気分よくなる。ランナーズハイのようなものか。道路はところどころ凍りかけている。
でも歩行には支障なし。

お寺につくと境内は雪。お寺は人気のない様子。隣に納経所があり、奥のほうに明かりが見える。特にお参りはしてもらわず、参拝だけで下山。山の中の閉ざされた寺なんて、なんとなくあこがれてしまう。山寺の雰囲気、世界。自販機もあり。歩いて下山中は、ほとんど雪に降られていた。細かい雪。タクシーの待ち合わせのところに行く。お遍路さんはここら当たりだけでも10人以上すれ違った。歩きは40分以上だと思う。もっと歩いたかもしれない。

タクシーの待ち合わせのところにいると、マイクロバスが止まっていた。これが例のマイクロバスかと思った。車が一台来て、若いお坊さんが立派な車に乗っていた。この辺のお坊さんはお金持ちだなと思ったが、でもこのお寺の場所を考えるとお金持ちであるなしでなく、仕事上必要なものになるのか。車がなかったらなかなか来れないところ。

タクシーで山を降りる。運転手も大変なのか。僕は免許がないけれども、もし免許を取ってもこんなところには来たくない。ふもとに行くと山の天気とは違い、晴れていた。あたたかいくらい。伊予小松近くにも札所はいくつかあったが、先々の予定にどれくらい時間がかかり、お金がかかるかよくわからないので、参拝せず、普通電車で今治へ行く。

今治では最初四カ寺参拝の予定だった。まず54番札所南光坊というのが駅から近い。歩いていくことにしたが道がわからなくなり、駅まで戻る。再度行きやっと道がわかる。途中老人ケアのわざとらしい二人組みに出会う。背後に黒幕がいるのだろう。僕はそれを見てヘルパーなどの仕事は絶対やりたくないと思った。

南光坊は街中の小さなお寺。駅から残り延命寺など三カ寺はタクシーで行くことにした。タクシーの運転手の話に寄れば、国分寺にもよって伊予桜井駅に行くコースを勧められたが、今治駅のロッカーに荷物を置いてきたし、伊予桜井駅は特急が止まらないし、先々お金と時間がどれくらいかかるか予想が出来ない面もあり、国分寺には行かず、仙遊寺に行くことにした。これなら最初から、南光坊もタクシーで行けば今治地区の六カ寺全部行けたかもしれないが、仕方ない。

今治地区は結局五カ寺参拝。54番から58番札所。ほとんどがあまり高いところでなく、仙遊寺のみが少し高いところにある。高台から、街並み、海、島々の景色はすごくよい。今治の街などを見ると「博多ちゃんぽん」という店を見かける。今回は食べなかったがどんなものだろう。「長崎ちゃんぽん」と違うのか。今治から特急で観音寺へ行く。寝不足でコーヒーや自販機のアスパラのドリンクや、オロナミンCを何本か飲む。

観音寺は、観音寺中央高校が以前春の選抜で優勝したことがある。ここもタクシーで69番札所観音寺と隣の68番札所神恵院に参拝。昨年ちょっとだけこの観音寺市に立ち寄ったが、外国人を見かけたが、今回はそうでもなかった。雑駁とした街並みがいかにも地方都市らしい。そういえば以前この観音寺の市長が、学習院OBだと聞いたが、やはりゴルフや英会話などの話をすると、「学習院出身は嘘だろう」と決め付けられているのだろうか。

ゴルフや英会話などの話をすると、「学習院出身は嘘だろう」と決め付けるというのは、元々日本郵政公社や悪徳宗教関係者がやっていたことだが、瞬く間に他人に迷惑ばかりかける政治家やマスコミ、一般市民に広まった。僕に言わせれば、ゴルフや英会話と学歴がどう結びつくのか、ばかげた話である。

観音寺駅に戻ると多度津経由で善通寺駅へ。75番札所善通寺から74番札所甲山寺、72番札所曼荼羅寺、73番札所出釈迦寺、76番札所金蔵寺に行き、その後時間があったら,多度津の海岸寺に行くことにした。タクシーで回る。善通寺はさすがにこのあたりでは大きなお寺です。出釈迦寺の駐車場から、やはり街並み、海、島々が見渡せます。瀬戸内海側でおなじみの風景ですが、なかなかよい風景。タクシーの運転手に勧められ、71番札所弥谷寺に行くことにした。ものすごい階段で、寝不足の身には応えた。一番上まで登る。もう薄暗くなっていたが時計を見るとまだ夕方5時少し過ぎ。12月で日のくれるのが早い。

大師堂はしまっていた。僕は目が悪く、ところどころ電灯がともるけれど、足元が不安。やっとタクシーのところまで戻りました。金蔵寺に着くともうかなり暗く、宿泊先も決まっていないので参拝は翌日にし、金蔵寺駅に行きました。電車で移動しながら宿泊先を探していたけど、携帯サイトでうまく宿泊先が見つからず、坂出駅でタウンページを見る。ビジネスホテルうたづと言うところが近そうなので電話をしたら、部屋が空いているとのこと。

宇多津駅に行き、コンビニで買い物をし、地図で場所を調べたら、駅からかなり距離がある。よくわからないタクシーで行った。こじんまりとしたよいホテル。前の日寝不足でぐっすり寝ました。翌朝、8日ホテルから宇多津駅へ。かなり距離があるような印象で、道に不安があったが、道路標識と少し行くと鉄道の高架が見えるので、それに沿っていけば大丈夫だろうと思い、歩いていく。人権尊重の町と書いてある。人権の問題で何かある町なのだろうかと考えてしまうが、東京など人権尊重とはわざわざ言わないけれども、人権侵害だらけ。人権侵害をする側に権力、大宗教、マスメディア、多数派組織などが加担すると、人権尊重は大変難しい。日本の政治、全面的に否定する必要はないが、かなり悪い。一般市民の心も汚いが。

途中で、78番札所の郷照寺というのがあるらしいのでそこに行くことにした。大きい通りから少し歩く。境内に放し飼いの白い犬がいた。参拝を済ませ大きい通りに戻る途中、一軒の家の前にその白い犬がちょこんと寝ていた。自宅に帰っていたのか。自宅が一番くつろげるのかな。ここにも新鮮市場のお店がある。僕の育った大分県の安岐町にもある。

駅から普通電車で海岸寺へ。海岸寺という駅もある。海岸時はいわゆる、八十八箇所の寺ではなく、別格本山の18番札所。参拝し、護摩木や瓦に祈願文を書く。護摩木に祈願文を書くというのはあちこちのお寺でもやった。和尚さんにお参りということは特にやってもらわなかった。納経というのがあるそうだが、その辺を含め僕は参拝のしきたりというものがよくわからない。でも、でも手洗いをして参拝すればだいたいいいのだろう。わかる範囲で真言は唱えたが、読経は全くやっていない。真言は書いてあるところが多い。

その後多度津経由で金蔵寺へ。駅から近く歩いていけばすぐわかる。駅に戻ると普通電車で多度津、そこから特急を乗り継ぎ、徳島へ。普通電車で立江というところへ行く。近くに19番札所立江寺があり、そこに参拝、そこから普通電車と特急を乗り継ぎ、日和佐へ。ここには23番札所薬王寺がある。駅から少し高い山側のほうに独特の建物が見える。仏教文化というと日本に寝付いた純日本風、和風文化のひとつというようなイメージを持ちがちであるが、四国の八十八箇所めぐりをやると、東南アジア、東アジア、南アジアなどの流れが濃く影響している様子が伺える。ある意味ちっとも和風的ではない。

ここもすごい階段。参拝し、頑張って一番上まで登る。帰りは行きと違う道を通ったら、まるで違うところに降りてしまった。厄除け祈願所があったので、そこで厄除けをお願いする。駅に戻り、特急電車で、徳島へ。携帯サイトでホテルを予約。ホテルクレメント徳島。徳島駅に直結の値段の少し高いホテル。天気が晴れているけど、ときどき小雨も降る。駅に近いホテルにした。

徳島県は今年倉木麻衣さんのライブで鳴門市に来ているが、徳島というと1991年の工藤静香さんのコンサートで徳島市民文化センターに来て以来14年半ぶり。そのときは宿泊しなかったから、徳島市の宿泊は初めて。夜は18階のスカイレストランで食事、スタッフがとても印象のよい人でした。ただこういう値段の高いところで食事をするのは初めてで、マナーがわからない。でも気にせず食べることにしました。オードブルとか、メインディッシュとかデザートとかあるやつ。一つ一つの量が少なく、こんなものでは足りないのではと心配しましたが、食べてみるとおなかいっぱいでとても美味しかった。徳島の夜景も凄くよかった。

朝はバイキングたっぷり食べました。ホテルをチェックアウトすると駅周辺を少し歩きました。14年半前徳島に来たとき、ちょうどJRの徳島駅が改修工事中で今の駅舎ははじめて見る。右手に小さなアーケードがある。これはうっすら覚えていたが、徳山か徳島かどっちだったかなと思い出せないでいたが、今回来てみて徳島だとわかった。ポッポ街というらしい。見ていて14年半前が思い出された。反対側の角のところにラーメン屋があったはず。そこでラーメンを食べ、阿波池田行きの普通電車に乗り、そこから快速ムーンライト高知に乗り、京都へ。そこから快速と普通電車を乗り継ぎ、東京まで戻り、そのまま郵便局へ行き、翌日まで仕事。別にお金がなかったわけでないけど、先々を考えて少しケチった。でもその後はしばらく極貧だった。でもお金がなかったわけではない。借金してお金はあったころ。僕も1995年くらいまで経済的に厳しく、本格的に経済状態が回復したのは、2000年以降くらい。

駅の角のところへ行くと喫茶店がある。少し先に徳島ラーメンの店がある。この店だったかなと考えたが、よくわからない。駅から離れたところのアーケード街は14年半前に行った。市民文化センターの通りで食事をした店があったが、今はどうだろう。行ってみようかと思ったが、まだ時間が8時過ぎくらいでお店が開いてないだろうと考え、そのまま徳島を去ることにした。

次に行くのは霊山寺なので、坂東という駅が近そうだけれども、停車する電車は少ない。行ったばかりで次は1時間半後。一つ手前の池谷は鳴門に行く電車もあり、ここまでは電車が多いので、そこまで行き、そこからタクシーで、1番札所の霊山寺から5番札所の地蔵寺まで行くことにした。霊山寺は僕はれいざんじと読んでいたが、りょうせんじと読むらしい。参拝客もかなりいるようです。運転手に勧められて、10番札所の切幡寺まで行くことにしました。

その後、板野の駅まで戻り、駅前の「ばんどう」という店で食事。ドライカレーを食べる。味はまあまあだけれども、味噌汁付きで汁がつくのだけれども、この汁がなかなか美味しかった。特急で志度駅に向かう。86番札所志度寺へ行く。ここの近くにあのエレキテルの平賀源内の墓があった。この後87番長尾寺で今回の四国八十八箇所めぐりを終わらせようと思った。琴電で瓦町乗換えで行く方法とJRで高松駅まで行き、そこから高松築港駅から長尾に行く方法を考えたが、琴電が少し待ち時間があり、JRはすぐ特急が来るのでJR経由にした。造田という駅も近いのかも知らないが、事前の下調べ不足。栗林公園の乗り換えはよくわからない。

高松築港駅から長尾駅に。昼間だけれど意外に乗客は多い。長尾寺は閑散としたもの。一人おばあさんがいたけれど地元の人か。すぐ駅に戻り、また高松築港駅に戻る。高松は海辺の町らしく、風が冷たく寒い。駅のそばのスーパーにより、お惣菜を買い込み、駅の立ち食いうどん屋でジャコてんうどんを食べ、快速マリンライナー50号、のぞみ28号で東京に戻りました。

三日間の四国八十八箇所めぐりでしたが、四国を去るときは名残惜しく感じたものです。結局四国にいた間参拝したお寺は、八十八箇所のお寺が29カ寺、それ以外が海岸寺など4カ寺でした。総費用は15万円でしたが、この費用は祖母が送ってくれたものです。祖母はいろいろ心配しているようだが、四国八十八箇所めぐりの最中や、帰りのこと、そして東京に戻ってからのことを考えると、相変わらず僕に嫌がらせをする人間は多く、僕に対しデマを流したり、つきまとい、つけまわしをするやつは多いようです。その意味ではわざわざ四国まで御参りに行ったこと、そして祖母のお金は全く無駄になったようなものです。祖母も信仰以前の日本人の心の汚さに気付いてほしい。

仏陀であれ、イエス・キリストであれ、マホメットであれ、八百万の神であれ、弘法大師空海であれ、日蓮であれ、今の日本の政治家や、マスコミ、一般市民の心の汚さを諌めることはもうできないのか。日本は腐りきっている。


日々Mai-k、LOVE!ーNo25「別府・大分行き、後半」

2005-11-28 01:23:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

この話は、日々Mai-k、LOVE!ーNo24「別府・大分行き、前半」に続きます。

11月12日、僕は母親と祖母と別れ、別府を離れ、大分に向かいました。途中高崎山のところで降り、海たまごを見ました。まず、隣の土産物屋の入っている建物の2階で食事、それから海たまごへ。ここは以前マリーンパレスという水族館だった。大きくなってリニューアルされてから初めてきたが、お客さんが多い。魚を見て回る。館内の飲食コーナーもお客がいっぱい。それからバスで大分駅前へ行く。ベーカリーでパンを購入し、ホテルに入る。

宿泊するホテルは大分オリエンタルホテル。ここは初めて宿泊、大分市内のホテルに宿泊するのは4軒目。少し部屋の外の音がするけれども、それ以外はまずまずよいホテル。他のホテルだって別に悪くはないが。4泊の予定。

僕がそもそも大分に残ることを決めたのは、大分に就職する可能性があるので、再度情報収集し、最終的に就職面を確認することが目的。ただ、別府に滞在する間に、なんとなく大分に就職しようという意欲がなくなっていた。実質用事がなくなっていたようなものだけど、せっかくだから遊び半分大分に滞在することにした。

翌日、13日、ホテルを出て駅前の噴水のところで時間をつぶす。その後カリーヤでドライカレーを食べる。アーケード街を通る。セントラルプラザで2本映画を観る。2本目はなんとお客が僕一人でした。キャメロン・ディアスの出ているやつ。インハーシューズ。一人で占領。そんなに面白くない映画というわけでもないはずだけど、最終上映だからかな。大分くらいの都市だと夜は早いのだろう。

映画館を出た後、たこ焼きやにお客がたくさん。女性客が多そう。そこには寄らず、その後ホテルの横の「阿吽」という居酒屋へ。大分で居酒屋に行くのは今回が初めて。付け合せにたまねぎが多いのが印象的。たっぷり食べましたが、5500円くらい。なかなかよい感じの店。

14日は大分駅前から大分空港に行く特急バスに乗る。ノンストップだったせいか、大分西高の前を通り、高速経由で空港へ。この辺の高速も初めて、ノンストップも初めてでした。空港から国東行きの路線バスの乗り、国東へ。そこから伊美行きのバスに乗り、国東高校前のバス停で降りる。久しぶりで母校の前に立ちました。

国東高校も近い将来、国東農工高校、双国高校と合併になり、総合高校になり、新しい学校は農工高校の場所へ。双国高校は分校になるそうです。現在地の国東高校を見るのはもしかするとこれが最後になるかもしれません。新しい学校になっても頑張ってほしいと思います。

僕にとってはそれほど良い思い出があるともいえない高校、いろいろな形で今になって悪影響を及ぼしているらしいが、実際のところ僕にはよくわからない話。

その後、田深まで歩く。バス停でおばあさんと話をする。感じのよいおばあさん。やっと今の国東のバス路線が飲み込めた。田深から大分行きのバスに乗る。途中安岐に寄るが降りない。杵築市内を歩こうかと思ったが、今回は取りやめ。別府湾の海の景色はよい。竹町で降りる。

トキハの裏のカツヨシという店により、ジャンボのかつ定食を食べたら、すごい量だった。びっくり。ホテルには早めに戻りました。

15日は、ホテルの地下でオムライスを食べる。アーケード街を歩いたり、遊歩公園の通りを歩いた後、大分駅に戻る。またアーケード街を歩いたり、ビブロに寄ったり、トキハの地下の飲食店街で買い物をして、裏の噴水のある公園で食べたり、座ったり、雑誌を読む。

樹木のブルーのライトアップがきれいでした。またアーケード街へ行き、ヴィーナスだったかな。そこのお店で軽く食事。それからシネマ5に行き、レイトショーの映画を観る。前回のことからするとお客はほとんどいないだろうと予想していたが、ところが、お客が多い。学生がたくさん。今回の大分で3作観た映画で一番お客が多い。

映画が終わったのも11時くらいかな。遠くから来ている人はかなり遅くなったのではないか。でもちゃんと映画を観ていて、なかなか印象のよい若者でした。映画の後コンビニにより、ホテルに戻りました。

結局遊んだだけで、就職に対してめぼしいことは何もないという結果でした。ほとんど情報収集はやらなかった。それまでの情報と特に代わり映えがしないものばかり。でもやはり運転免許があればずいぶん違うようです。やはり免許を取りたいとも思うが。

遊んだだけでしたが、ただつきまとい、つけまわしについては、東京に比べれば人口が少ないだけ、つきまとい、つけまわしが少ないが、それでもやはり大分でもつきまとい、つけまわしはある。うっとうしい。うんざり。僕は心のやさしい思いやりのある人間なので、悪いやつに攻撃されるのだろう。

2005年、倉木さんは大分でライブをやらなかったけれども、それでいいのではないか。僕は大分が地元だけれども、自分は大分好きな面はあるけれども、麻衣さんに薦める気にはなれない。どうせライブをやるなら、別府とか、湯布院のほうが麻衣さんにはいいかも。でも、大分育ちの僕としては、あのつきまとい、つけまわし精神の大分県を見るとやはり強く薦める気になれない。

16日、ホテルをチェックアウトし、大分駅に向かう間にあるCOCO!というコンビニの前を通ったら、倉木麻衣さんの「Growing of my heart」が流れてきました。ラッキーな印象。2004年の倉木さんの大分ライブのライブ日誌を連想しました。こういうのはすごくうれしい。この曲が流れるのを聴いて「4日間大分に滞在してよかったな」という気持ちになりました。昼前特急で大分を発ちました。別府湾の景色は大好きですが、次に見るのはいつでしょうか。最低一年に一度は祖母に会いたいと思う。一年に一度は大分に行くと思う。でも大分でゆっくり観光や遊びをするのは、そちらに就職しない限り当分ないかもしれない。


日々Mai-k、LOVE!ーNo24「別府・大分行き、前半」

2005-11-27 13:22:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

11月6日から別府に行った。これは僕の母親の考え。母親は、大分県東国東郡安岐町朝来出身。朝来小学校から、朝来中学校、杵築高校を卒業。現在は千葉県在住。僕は母親が東京在住時代に東京で生まれた。その後健康面や家庭の事情があり、大分県の祖母の元で育つ。祖母は現在同じ安岐町の海岸に近い、叔母(母親の妹)夫婦の家に住む。

母親は祖母と以前から二人で別府に来ていた。祖母は足が悪く、出歩くのが不自由で、それほど喜んでいるわけではないけれど、母親は親孝行のつもりで、別府に連れてきていた。もう10数年になるようだ。費用は祖母が自分の年金から出すこともあった。数年前から、僕も加わり、3人で別府に行くようになった。今回の費用は母親が持つ。

叔母も性格がきつく、母親も性格がきつい。どちらも一緒にいると参ってしまう。祖母には他にも二人娘がいるが、やはり性格がきつい。母親とその妹たちはそろってきつい性格。僕は祖母が朝来に家に一人でいるとき、ときどき帰省していた。1年に1~2回。祖母がある年風邪で倒れ、ひとりで田舎の家には置いておけないということで、叔母が引き取り面倒を見ている。それからは僕は帰省のとき、叔母の家に行くようになった。

ただ、叔母の夫婦は今は仕事を退職しているが、田舎の田んぼ、畑、山などの作業をしていて、とにかく多忙で、僕などが行くことを快く思わないらしい。それはこちらもわかっているが、それだとなかなか祖母に会う機会がなくなる。母親は、祖母を別府に連れ出すことで、叔母に負担をかけずに祖母に会うことを考えたようだ。年によっては祖母のほうが千葉の母親の家に来ることもあるが、もう年齢が90歳を過ぎ、千葉に来させるのは難しいと思われる。

今回は別府に祖母を連れ出し、3人で出会うことになった。宿泊したのはホテル白鷺、別府の北浜にある。晴海荘やホテル美松など近隣のホテルに以前は宿泊していたけれども、そちらもよいホテル。晴海荘やホテル美松だとすぐ前に海が見えて景色がすごくよい。左に国東半島、右に高崎山から大分市街が見渡せる。別府港から、さんふらわあという客船が出る。今年もそのあたりのホテルかと思ったが、今年はホテル白鷺だった。少し海が離れ、一部の部屋しか海が見えない。母親は祖母の足の悪さを考え、バリアフリーにこだわったようだが、どうやら他の人から、ホテル白鷺も安くていいという話を聞かされ、それで決めたようだ。

値段は僕は知らないが、入り口の階段などを見るとやはり足の悪い人には不便。別府のホテルも徐々にバリアフリーに変わりつつあるという話を聞かされたが、このあたりのホテルは、以前と変わっていなければ、入り口や温泉に行くところなどどこかでやはり階段を数段上がらねばならず、その点はどこでもあまり変わらない印象。食事はすごく豪華な食事で、とても美味しかった。

母親は1日前に叔母の家に来て、当日6日に祖母を連れてここのホテルへ。僕は6日の直接東京からホテルに直行。新幹線の利用で、小倉駅で「鶴の子」饅頭を買う。これは祖母の大好物。土産にする。別府駅からは徒歩、キリスト教の人や公明党の人が募金を集めていた。募金の日だったのだろうか。ホテルに着き、祖母と久しぶりに会う。元気そうで何よりだが、やはり足の具合は悪そう。

ホテルの温泉は、3階が男湯、4階が女湯だけれども、深夜12時で入れ替わる。僕はだいたい1日2回くらい入浴。僕は無職で先々、再就職する。祖母もいろいろ心配しているようで別府にいる間何度も説明をした。母親は相変わらず、自分本位で、自己中心的で性格が悪い。僕は母親とは仲が悪い。たとえば食事にしても自分より早ければ、早食いはよくないといい、自分より遅いとそれはそれで悪く言う。自分がテレビを見たいとき、祖母がおしゃべりするとうるさがるが、祖母がテレビを見たがるときは、お構いなく母親は平気でおしゃべりをする。他人と他人の間に祖母が入ると話がおかしくなるが、母親はさらにひどい。でも母親は、祖母のことはとやかく言うが、自分のことは気にならないらしい。まるで「おばたりあん」そのまんま。

翌日は祖母を車椅子に乗せ、母親と僕の3人で別府の観光港まで歩く。さんふらわあが入港している。しばらくの間潮風にあたる。帰りに別府の交通センターでみやげ物を見たあと、食事。たこ丼を食べる。ホテルに戻る。

3日目の8日。また母親と、僕、車椅子の祖母の3人で外出。楠銀天街を歩く。松原公園で一休み。その後別府駅に行く。駅のところが以前と変わっていたので見て歩く。駅で長い椅子に座っていると、小さな子供がじろじろ見に来る。おそらく親の指図だろう。凶悪な子供である。NHKの連続ドラマの関係のグッズも置いてある。駅から戻る途中郵便局により、そのあとトキハデパートの上のほうの階にある飲食店で食事をする。ざる蕎麦。ホテルに戻る。

4日目の9日は、タクシーで竜巻地獄に行く。ここも久しぶり。間欠泉で熱湯が吹き上がる。次に血の池地獄へ行く。鉄さびのような濁った赤い熱湯の地獄。そこからタクシーで海地獄へ。青い海のような熱湯の地獄。温泉玉子が有名。外のレストランで食事。ちゃんぽんを食べる。タクシーでホテルに戻る。さすがにタクシーの運転手は地元のことに詳しい。

5日目の10日は、祖母は出歩くのを嫌がる。母親がトキハで昼の食事を買い、祖母と母親の二人で食べる。僕は外に出て、別府駅まで歩く。駅前のビルの3階の店で、ダンゴ汁を食べる。そこから別府駅の横を通り、朝見川の横を通り、
浜脇へ行く。数年前とは様子が違う。壊れかけていた家があったけどなくなっていた。そこから海岸沿いに歩きホテルに戻る。ホテルではやはり母親は、独善的で、勝手なことばかり言う。祖母は年齢のせいか物忘れがひどく、同じことを繰り返していい、また母親は怒る。僕と母親も考えが会わないし、母親はきつい性格なのでたびたび衝突。正直なところ母親と一緒の行動にはうんざりする。

6日目の11日、この日は雨で、母親と祖母は前日と同じ行動。僕は帰る準備で荷物を自宅に2個送る。その後食事のため駅の前の通りを歩くが、雨がひどく、トキハの地下で食事。うどん定食とたこ焼き。雨がやはりひどく早めにホテルに戻る。その後もかなり雨が強く降る。

7日目の12日、この日で別府を去る。別府市内に住むいとこが祖母と母親を安岐町の叔母の家に連れて行く。母親はその後飛行機で羽田経由で千葉県松戸市の家に戻る。僕は別れた後、別府駅まで行き、また北浜まで戻る。小泉首相が別府に来ることや泉都のイベントがあるらしい。トキハ前でも催しが行われていた。僕はイベントを見たい気がしたが、とりあえずこれまでの部分とは、気分的に分けたいという考えがあり、別府を出て、大分にバスで向かいました。

別府にいる間、多少つきまといらしきものがありましたが、何でしょうか。祖母に久しぶりにあえてうれしく思いました。元気でいてほしいと思います。ただ、母親の性格は相変わらずで、今までの多くのこともあり、正直なところ親子関係を継続させるのは無理だろうと思いました。母親の性格は全然変わりません。

この話は、日々Mai-k、LOVE!ーNo25「別府・大分行き、後半」に続きます。


日々Mai-k、LOVE!ーNo23「北海道旅行」

2005-11-13 13:34:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

ファンクラブのイベントのとき、僕は入場しなかったけれども札幌の会場の外にいました。その前の日僕は名寄のひまわり畑を見ました。今回その名寄より北に初めて行きます。たぶん当分の間こちらには来れないと思います。朝、稚内に着きました。立ち食いそばを食べたはず。この後だったかな、少し記憶が曖昧。この日は宗谷岬とノシャップ岬に行く予定だった。宗谷岬のほうが遠く、バスの便も少ない。朝のバスの折り返しに乗れないと午後のバスになる。タクシーで宗谷岬まで行きく。運転手の人が詳しく説明してくれる。遠くに樺太が見える。

東京だとあるいは他の日本の地域だとロシアなんて遠い国だけれども、ここはすぐ近く。本州なんかと違う文化の街というイメージ。海は波が穏やか。宗谷岬の日本最北の地の碑に行き、旧海軍望楼、世界平和の鐘・子育て平和の鐘、祈りの塔、流氷の展示してあるところ、などを観て回りました。モニュメントも多い。太平洋戦争といっても僕には記憶がないが、大韓航空機撃墜事件は記憶に生々しい。観光客もたくさんいるようです。緩やかな宗谷丘陵もいい。帰りはバスで稚内へ。今度はノシャップ岬へ。こちらはバスの便が多い。お年寄りがたくさん乗っていたけれども、みんな冬の気候の厳しさを感じさせない朗らかな笑顔で、元気なようです。

ノシャップ岬のほうは、波が荒い。そばの小さな水族館へ行く。ゴマフアザラシがいたので餌をやると仲間のゴマフアザラシが、ものほしそうにじっとこちらを見る。ノシャップ食堂で蟹のラーメンを食べる。あっさりとしていてこれはこれでなかなかよい。稚内に戻り、街を歩くと商店街がロシア語表記が見られ、さすがに稚内らしい。北防波堤ドーム、フェリーターミナルを見て駅の待合室へ。足が痛くなり少し休んでホテルへ。

宿泊先は、駅の横の勝美屋、よくわからない場所のホテルだと探さないといけないし、駅が近いと翌日以降の移動も便利。時刻表の後ろのホテルの一覧を見て電話予約。和室の部屋だけど、なかなかよい。夕方から雨になった。ここら辺でもわざとらしい態度のつきまとい人間を見かける。誰だかわからないけど、嫌なやつ。食事は駅の右側のお店でほっけの定食。あいざわでお菓子を買い、ホテルに戻る。足の痛みを和らげることに専念。

朝食は和食。なかなか稚内見どころがいっぱいの魅力的な都市でしたが、オホーツク海側を南下していくことにしました。早朝にバスがあったのにそれに乗れず、9時代にバスがあったのに、バスターミナルでついうとうとしているうちに乗りそこね、11時台、音威子府行きに乗る。最初は丘陵地帯を通り、猿払あたりで海岸へ。浜頓別ターミナルで枝幸行きに乗る。オホーツク海に面した海岸の景色は素晴らしい。所々釣りをしている人がいて、景観的にはその部分は良くないかもしれないけれども、釣りの人がいないところもあり、道路、植物の帯、浜辺、海、が並ぶ景色はすごくいい。

枝幸ターミナルに着くと雄武行きのバスは少し時間があるので、前のスーパーの飲食店で食事。枝幸というと言うと昔、興浜北線という赤字ローカル線があり、廃止になったとき駅前の食堂の女性が涙ぐんでいたことを覚えている。しばらくして雄武行きのバスにのる。バスのお客は?の人もいる。景色はさすがに素晴らしい。枝幸と雄武の間は鉄道がなかった。バスは病院まで行くらしい。知らずに雄武の病院までいってしまい、雄武のバス停まで待つ。ここはターミナルというより、ただの待合所のような感じ。

この先に行くバスをそこで確認したら、紋別南高行きに乗るといいらしい。途中興部あたりで外は真っ暗になり、このあたりからの景色は見られなかった。出だしから大幅に遅れたのが失敗。紋別のバスターミナルについて宿泊先を探していたら、館内の女性が親切に観光のパンフをくれたので、それをみてに電話。そこから近いらしいオホーツクパレスホテルに宿泊。宿泊客には若干嫌がらせつきまとい族の困ったやつがいたようだけど、なかなか素晴らしいホテルでした。朝食バイキングもGOOD!

紋別は稚内と比べても少しカラーに違う街。鉄道がないということが都市の形成に影響を与えているのか。紋別は僕から見ると少し特徴がわかりにくい印象。まあちょっと見ただけだけど。そこから朝、遠軽行きのバスに乗る。中湧別で降りる。かなりの待ち時間。ここでは翌日からお祭りのような催しがあるらしいが、見ないちょっと残念。。ここは昔鉄道があったころ、鉄道が交差していたところ。バス停の近所に機関車が展示してある。初老の女性が話しかけてくる。稚内の女性とは雰囲気が違う。網走行きは最近出来たといっていた。僕は最初から網走に行くつもり。そのためにここで降りた。道の駅で買い物をし、2時間くらい待って、網走へ。

途中サロマ湖岸を通る。さすがにでかい湖。素晴らしい景色。その後も能取湖や網走湖と続く。網走のバスターミナルに着く。網走は一度電車の乗換えをしたことがあるが、街を歩くには初めて。川があり両側に町並み。川も公園風でいい。ここも稚内、紋別とはまた都市の雰囲気が違うような気がする。バスターミナルの中の食堂で食事。夜行バスの時刻を見ながらこの後の予定を立てる。網走駅まで歩く。釧路経由で帰ることにした。そば屋があったので食べたかったけど直前に食事したばかりで、食べなかった。

釧路行きの普通電車に乗る。小清水原生花園という駅でかなり人が降りた。観光客だろ。海の景色も良いが、反対側の
藻琴湖やとうふつ湖もよい。釧路近くなると真っ暗。釧路駅の横のお店で食事。なかなか美味しかった。駅のコンビニで弁当も買う。棒寿司。これも美味しかった。特急まりもで南千歳へ。かなり降りる客多数。

僕はその後函館行きの特急に乗りました。また大沼公園の景色を見ました。函館から特急、新幹線に乗り継ぎ、東京へ戻ってきました。あわただしい北海道旅行でしたが、さすがに北海道、素晴らしい景色を満喫しました。


日々Mai-k、LOVE!ーNo22「30000アクセス」

2005-10-29 15:57:35 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

この「かんたん」ブログ、日々Mai-k、LOVE!ーNo22「30000アクセス」
30000アクセス達成です。

昨年2004年12月7日スタートのこの「かんたん」ブログ、
当初は倉木麻衣応援を含め雑多なものでしたが、
その後倉木麻衣応援専門ブログとして独立し、
今日に至っております。

今年2005年6月15日10000アクセス達成。
8月26日20000アクセス達成、
そして今回30000アクセス達成です。
たぶん10月26日くらいに達成だと思います。
忘れていました、ごめん。

僕自身今ファンとして厳しい状況にいます。
また相変わらず、ぼくに対するデマや
つきまとい、嫌がらせも多い、
すっかり参っていますが、
これからも倉木麻衣を愛し、応援し、
そしてこのブログも続けていきたいと思います。

倉木麻衣応援ブログですが、独立系ブログなので、
地味な存在です。
それでも見ていてくださる方がいることをうれしく思います。
これからもこの「かんたん」ブログをよろしくお願いいたします。

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日々Mai-k、LOVE!ーNo21「大分に立ち寄り」

2005-10-24 09:32:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

もう何度もブログで説明していることであるが、
僕は東京都生まれ、大分県育ち、現住所東京都である。
現在無職で、先々再就職する。
僕が育ったところは大分県東国東郡安岐町朝来というところである。
おおいたけんひがしくにさきぐんあきまちあさくと読む。

僕の育ったところは僕の母親の実家である。
別に東がいいとか悪いとか、秋やあき、安岐、開き、
空き、開き、安芸、「あき」がつく人名、地名が
いいとか悪いとか、朝、朝日、麻、モーニング、
「あさ」のつく人名や地名がいいか悪いか、
広瀬大分県知事がいいか悪いか、ヒロがいいか悪いか、など
全く関係なく、僕の育ったところは、
大分県東国東郡安岐町朝来であり、出身高校は国東高校。
ついでに出身大学は学習院大学文学部心理学科。
デマが多くてうんざり。

今回、福岡、長崎の倉木麻衣さんのライブを前に
大分に立ち寄りました。
大分に来るのは今年2回目です。
親は現在、千葉県在住で、母方の親族のうち多くが、
今も大分県に住んでいます。
今回は親族や旧友のうちには寄りません。

当初、徳山からフェリーで竹田津に行く予定でしたが、
事前に極悪非道な人間に察知された様子があり、
JRで小倉回りで大分へ。

大分駅に着くと、ダンゴ汁を食べる。
どんぶり屋の2階から汚らしい笑いを
浮かべている人間の屑らしき男がいたが、
いまどきの日本ではこういう男が
社会的に高く評価されるかもしれない。

アーケードのほうに行ったら、
赤い羽根共同募金の若者の集団がいた。
わざとらしい感じで印象が良くない。
大分県人の精神は荒廃しているのか。

トキハデパートに行くと
京都展をやっていたが、ざっと見て店を出る。
リブロで雑誌を買う。

駅に戻りジャンボカツカレーを食べる。
国東行き路線バスに乗る。17:00発。
住吉浜入り口というバス停に着くと
近くに住吉浜スカイホテルがある。
そこに宿泊。もう19時くらいになっていた。

このホテル以前から知っているけど、
宿泊は始めて。
住吉浜は杵築市の守江湾に飛び出した砂嘴。
今はリゾートパークになり、有料施設になっているけれども、
僕が小さいころは無料の海水浴場だった。

僕の住んでいた安岐町あたりでは、
奈多海水浴場と住吉浜海水浴場が、
商業的施設もあり、よく利用されていた。
僕は奈多の方が利用が多く、
住吉浜は過去、幼稚園くらいに無料のとき
小学校と幼稚園全体で、一度行き、
その後今のリゾートパークになってから、
いとこなど親族と一度行っただけ。
2回しか来ていない。
幼稚園のときの記憶だと
くらげが多かった。
刺されて痛かったことを覚えている。

僕の育ったところは山の中だし、
海水浴は年に一度くらいだった。
このホテルはリゾートパークの入り口にある。

翌日は、路線バスで安岐まで行く。
僕が育った町だ。
昔、軽便という鉄道が走っていて、
安岐には駅があった。
僕が小さいころ、軽便は台風のため、
なくなっていた。
その駅舎を利用した建物が、
僕が小さいころの安岐のバスの待合所だった。
今は場所が移動し、小さくなって残っている。

近くにスーパーもある。新鮮市場。
昔はダイコーという大分交通というバス会社の
経営するスーパーがあったが、その後
ラッキーというスーパーになり、今は新鮮市場がある。
少し離れたところにマルショクがある。
弁当屋も出来ている。
両子行きのバスに乗る。

「別所」という店や「むらせ」という店があった。僕が安岐にいたころからある。
「まつむら」という床屋は僕が小学校のとき
何度か利用したことがある。

普門寺と光明寺というお寺がある。
光明寺は僕の同級生T君の家。
T君は中学の時、野球部でも一緒で、
僕たちの学年の最後の試合では投手として好投した。
京都の大学へ進学。

この辺は寂れた印象。
新道という道があるけれども、
これは僕が小さいころすでにあり、
やはり新道と呼ばれていた。
今でも新道。

下原というバス停。
ここの橋の向こうに以前
町立安岐病院があったところ。
僕の祖父は大分県の商工課長などやった後、
この病院の事務長をやっていた。
この病院で祖父は小学校4年のとき亡くなった。
この橋のところで祖父は僕が小さいころ、
交通事故にあった。
今はなんでもないところ。

中学校は工事をしている。もとの安岐高校が、
安岐中学校になっている様子だが、
詳しいことはわからない。

西武蔵の谷を通る。朝来より谷が長い。
両子に着く。両子寺に行く。
山には登らず、境内をみてすぐお寺を出る。
お寺では「許す」ことを進めていた。
そんなふうに書いてあった。

相手が攻撃を継続していても許すのか。
相手が反省していなくて、被害者側を不当に悪くいい、
それが社会的に好意的に見られていても、
それでも許すのか。
許すと相手がまた悪いことをやり始めるときでも、
それでも許すのか。
Aという深刻な理由で批判をしているのに、
Bという些細な理由で批判していると話を加害者側が
すり替え、被害者を一方的に悪者にしても、
被害者は許さないといけないのか。
被害をうけ大きな損失を受けても
許さないといけないのか。
僕がずっと自分について本当のことを言い続けても、
嘘つき呼ばわりする悪党の幸福のために
許さないといけないのか。
弱者はただ泣き寝入りしないといけないのか。

許すということを勧める宗教家やカウンセラーは多いが、
許すことによって悲劇が起きることも十分考えられる。
許すことを安易に勧めて悲劇が起きたら、それを勧めた
宗教家やカウンセラーの責任である。

本来許すためにも謝罪や償い、反省があるべきだろう。

ふもとの店がなくなっていた。
違うところに建物があるけれども移転したのか。
確認していない。
この辺は道路がいっぱい新しく出来ている。
儲ける人は儲けているのだろう。

新しい道路を朝来入り口まで歩き、
朝来の谷に入る。
僕が小学校のときまだ、高田と両子寺の間にバスがあった。
朝来入り口というバス停もあった。
近くの走水峠に何度も遠足に行った。

諸田の谷を下り、
バス停へ。
久しぶりにこの近辺を歩く。
道路わきで農作業をする人もいる。

諸田のバス停というと
以前は車庫だった。今でも小さい小屋がある。
遠足帰りにここの井戸水を飲んだことがある。
あるとき濁ってしまった。それから飲まなくなった。
今はどうだろう。

14時過ぎの諸田発のバスで安岐へ戻る。
小学校は建物も新しい。
僕が在籍したころとは違う建物。
小学校5年生のころまで
学校にプールがなく、体育の授業では、前の川で泳いでいた。

安岐町を見てもほとんど懐かしくはなかったが、
さすがにこのあたりはすごく懐かしくて、
自分の子供のころを思い出した。
他の人には関係ない。
自分の思い出は大切にしながら、
他人の思い出は踏み潰す。
これが今の日本人のやり方。

弁分。朝来トンネルのところで新しい道が出来ていた。
トンネルを通り、矢川、山浦へ。
安岐ダムのほうへは立ち寄らないバス。

バスは山浦から安岐へ向かう。
安岐に着くとタクシーの運転手が、
むすっとした顔でこちらを見ている。
僕はタクシーの運転手を知らないし、
むすっとした顔でにらまれる理由はない。
態度の悪い運転手だ。

ホテルに戻り、一休み。
このホテルはリゾートマンションをホテルに
転用したようなつくりだが、目の前に
守江湾が広がり、景色は抜群に良い。

2泊したあと、13日に午前10時台に
JR杵築駅行きのバスがあり、
それに乗る。

お昼の特急で博多に向かいました。
11月には母親と、大分県安岐町在住の
祖母と3人でまた別府に行きます。


日々Mai-k、LOVE!ーNo20「20000アクセス」

2005-08-26 14:13:43 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

本日、この「かんたん」ブログ、
20000アクセス達成です。

昨年2004年12月7日スタートのこの「かんたん」ブログ、
当初は倉木麻衣応援を含め雑多なものでしたが、
その後倉木麻衣応援専門ブログとして独立し、
今日に至っております。

今年2005年6月15日10000アクセス達成。
そして本日8月26日20000アクセス達成となりました。

僕自身今ファンとして厳しい状況にいますが、
これからも倉木麻衣を愛し、応援し、
そしてこのブログも続けていきたいと思います。

倉木麻衣応援ブログですが、独立系ブログなので、
地味な存在です。
それでも見ていてくださる方がいることをうれしく思います。
これからもこの「かんたん」ブログをよろしくお願いいたします。

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日々Mai-k、LOVE!ーNo19「ひまわり畑とAIR-G' FRIDAY TOP 40」

2005-08-22 05:47:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

8月12日は倉木麻衣さんが札幌のラジオ番組出演。
8月13日は札幌で倉木麻衣さんがファンクラブイベント、
8月14日はまた倉木麻衣さんが札幌で公開録音。

僕は北海道に行くことにした。
8月15日は名古屋で公開放送。
それにも行きたい。
お盆の時期で交通機関が混雑すると思われたが、
結局僕は北海道行きを決めた。

出発は8月11日。朝6時代の新幹線「やまびこ」で、
上野駅から乗車。乗車券は名寄まで購入。
札幌に行く前に智恵文のひまわり畑に寄ろうと思った。

昨年インターネットで調べたところ、
智恵文というところでひまわり畑があることがわかった。
以前倉木麻衣さんのファンクラブの会報で、
倉木さんを花にたとえると?という質問で一番多かったのが、
ひまわり。なぜそんな答えなのかよくわからなかったけれども、
興味を引かれた。

その後インターネットで調べると
他にも全国にいろいろとひまわり畑があることがわかった。
ただ僕はこの北海道の智恵文のひまわり畑について
倉木さんにメールでお知らせし、それについて
文章を書いたのであった。そのため
智恵文のひまわり畑にはこだわりがあった。

昨年僕はそのひまわり畑にこうと思ったが、さすがにライブに
38公演行ったあとで、退職前ということもあり、
行けなかった。

来年は就職する予定で、そうなるともうひまわり畑には
行けないだろう。今年の秋には
ライブツアーでまた札幌に行くけれど
そのときは時季を過ぎているのではないか。
智恵文のひまわり畑に行くのは今回を逃したら、
当分行けそうにない。

というわけでまず智恵文のひまわり畑に行くことにした。
本当は智恵文という駅が一番近いらしいが、
電車の停車本数が少なく予定が立てにくい。
名寄―東京都区内往復にした。

「はやて」は指定席がいっぱいなので、
「やまびこ」で盛岡まで行ったが席は空席があり、
ずっと座っていた。盛岡から八戸は、
「はやて」の指定席。

八戸から函館までは、特急がかなり混雑し、
デッキで立ちっぱなし、途中助平そうな男がかなり長く、
携帯で話をしていた。こういう列車で携帯で話をするときは、
デッキで話をするのがマナーだけれども、
列車が混雑していて、デッキにも複数の人が
立っているときに大声でくだらない内容の話を
するのはどうか。悪徳宗教団体の人間かもしれない。

函館で乗り換え札幌行きの特急。
ガラガラではないが座れた。
途中の大沼公園あたりの景色は僕はすごく好きです。
何度見てもいいと思う。
大沼という名前でそんなことを言っているわけではない。
他の人は大沼公園の景色が汚いと思っているのか。
名前に関係なく僕は大沼公園の景色は好きです。

札幌で稚内行きの特急に乗り換える。
この列車も座れたが、途中から母子二人組みが乗り込み、
僕の隣には娘が座る。小さな娘である。
仲のよい母子でほほえましく見えるが、
挙動不審。つきまといの人権侵害主義者か。

母親は子供にしばしば注意する。
騒ぐと周りの人に迷惑だから。
娘はそんなに騒いでいないし、周囲も迷惑していないだろう。
逆に周囲に迷惑だからなどとしつこく言えば
そのほうが周囲にとって迷惑。
困った母親だね。
会話の内容もいつも僕に意地悪する人と関連性が高い。
わざと聞かせようとしているのだろう。
僕に対する虐め嫌がらせはワンパターン。

母子は士別で降りるといっていた。
もう一つ北海道には標津というところが
あることは知っているが、これも嫌がらせネタか。

僕は嘘をついていない。
調べればわかるのに、
僕を嘘つき呼ばわりしているやつがいる。
調べもしないで僕のことを
嘘つき呼ばわりしているのだ。
ならば僕も調べもせず他人のことを
うそつき呼ばわりしようか。
また政治家やマスコミ、サービス業者、郵便局員の
真似をしていると言われるかも知れない。

僕は名寄に到着。
北海道は旭川や網走は列車で通ったことがあるが、
その土地自体に行くのは今回の名寄が最北。
太陽のまちと書いてある。
だだっ広い街という印象。

宿泊先を決めていなかったので駅の案内を
見ながらホテルに電話。最初にあるホテルに電話すると
ツインしかないということ。駅の案内によると駅から5分のところに
ホテル海晃というところがあり、4人の部屋なら
空いているということでそこに泊まることにした。
少しわかりにくい場所でした。もっと近くに
別のホテルもありましたが、ホテルの方には
わざわざ出迎えに出ていただきました。

冷房がなく扇風機のみ。
最初は暑かったし、その日名寄は30度を越えていたそうだが、
風呂に入る夜遅くなると扇風機だけでも涼しくなるのは
北海道だからか。
内陸だし冬寒く夏暑いだろう。

夜足がつり、右足1回、左足3回連続でかなり足が痛みました。
寝不足と長旅の影響でしょうか。
翌日に影響しないか心配でした。

朝の食事も美味しくいただきました。
朝は早めに出立。ホテルの人に親切にバスの便を
教えていただきました。出るときライターを
いただきましたが、僕はタバコは吸いません。
朝早めだと1時間に1便くらい。電車よりも行きやすい。

バスの運転手さんにどこで降りたらよいか聞いたら、
詳しく教えていただき、無料自転車のことも
教えていただきました。

JAなよろ智恵文というところの前に無料自転車が
ありました。ただ空気がきちんとは入っていないものも多く、
僕が乗ったのは空気こそ入っているが
チェーンがおかしいものでした。自転車がこのままだと
慣れない人には勧められません。
ノートに記入して借ります。
方向がわからなくてJAの人に聞いたら、
教えてくれました。

僕は勘違いしてJA前の道路を直進しましたが、
そちらでもいけます。右折したほうがわかりやすいけれど、
どちらも看板やのぼりが立っているのでわかるでしょう。

北海道というところは、ごみを捨てるところが
地上から高いところにあります。
冬の北海道なんて僕は想像を絶しますが、
雪などすごいのかな。
北海道に来る途中の青森、そして北海道も神社などの
宗教施設が車窓から見えますが、雪国仕様というか、
寒冷地仕様です。

地元の人と宗教のかかわりというものも
本州西部・九州などとは違うのでしょうか。

智恵文川という川がありました。
アイヌ語で魚に関する名前のようです。
地元の人が川で魚を取ることもあるのかしら。
どんな魚がいるのだろう。
この川はやはり天塩川の水系の川なのかな。
地図で調べないと天塩川水系の支流も多そうで
どう流れているのか見当がつかない。

自転車はチェーンがおかしく上り勾配にかかると
うまくこげず、押していく。
つつじ公園があり、丸いトイレを利用したが、
薪用のまきが積み上げられていたけど、
よくわからない公園。

しばらくしてやっとひまわり畑に着く。
満開という感じはないけれど、
ところどころ集中して咲いているところもある。
鮮やかなひまわりの黄色が印象的でした。
前日特急の中でも食べたけれどまた
ひまわりアイスを食べ、お土産を買う。

朝なんだけれども日差しがきつく暑い。
北海道でも夏は暑い。
ただ風はさわやかな風がずっと吹いていました。
それでも暑い。
ひまわり畑から、JAなよろ智恵文のところへ戻る。
ノートに記入する。
足は意外にも大丈夫。
少し運動になったせいか、
逆に足の状態がよくなったようです。

直前にバスが行ったばかりで約1時間待ち。
暑くてペットボトルのお茶500ml3本立て続けに飲む。
わいせつの塊のような男が来て、アンバサを買い
地面においていた。これから最低1ヶ月は、
アンバサを買わないようにしよう。

バスでまた名寄に戻る。
途中窓から家が見える。煙突のようなものがるけれど、
暖房用のものか。よくわからない。

名寄駅に戻ると駅の立ち食いそばを食べる。
こういう地方のローカルな駅で立ち食いそばやうどんを
食べるのは僕のひそやかな楽しみの一つです。

名寄からは、普通電車で、旭川。
そこで駅弁を買いましたが、駅弁を売る人の
態度が少し変でした。人間性がないのかもしれません。

一本あとの特急で札幌へ。
札幌に来るのは、
工藤ファン時代に3回、
倉木麻衣ファンになってから一度昨年2004年に
2日連続公演に来ています。

駅で宿泊先を紹介してもらいました。
第2ワシントンホテルというところ。
2泊の予定。
なかなかよいホテル。
早速ラジオで倉木麻衣さんの番組を聴きました。

AIR-G'「AIR-G' FRIDAY TOP 40」(17:00~18:55)
龍太さんがDJでした。
麻衣さんの声昨年までと少し違うような。
おばちゃんぽい感じ。

そのあとはホテルの中のレストランで
美味しい食事をいただきました。
ぐっすり眠りました。

この話は、「倉木麻衣ファンクラブイベント,札幌」に
続きます。


日々Mai-k、LOVE!ーNo18「九州行き、また日にちの間違い」

2005-07-22 14:54:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

日々Mai-k、LOVE!ーNo16「今週の予定」では、
17日に九州へ行くことにしていた。

16日の深夜1時くらいに明日17日は九州に行くんだな、
などと考えそのまま眠ってしまった。
朝8時過ぎに起きて、もう明日になったつもりになっていた僕は、
荷物を用意し、東京駅へ向かう。

当初の予定では、小倉に一泊しようと考えていた。
小倉についたらチェックイン、そのあと大分にちょっと寄り、
17日のうちに小倉のホテルに戻るという予定でした。

いつも僕は携帯サイトを利用してホテルの予約を取るのですが、
新幹線が新山口を過ぎたあたりで、携帯サイトで
予約を取ろうとしたら、どうも様子がおかしい。
何がおかしいのだろうかと、よく見たら、
そうでした。まだ16日でした。

17日に東京を出る予定だったのに、
16日に東京を出てしまった。
急遽予定を変更し、大分へ行き、
そこで1泊することにしました。

小倉からの特急はすごく混雑していました。
大分に着くとすぐホテルへ。
携帯サイトで予約したホテルで、
ビジネスホテルほがらかという所。
安くてしかもトキハとパルコの近く、
よいホテルでした。

「ほがらか」というと僕の中学、高校のときの
同級生T君を思い出しました。
安岐中学、国東高校の僕の同級生です。

そのあと外出。
トキハに行きました。
大分のブランドデパート。
僕が小学校のころトキハに連れて
行ってもらえるとすごくうれしかった。

高校生のとき行ったのが最後だと思う。
トキハの別府店には何度か行ったが、
大分店は前を通っただけで久しぶり。

中に入ると子供のころ、
ものすごく馬鹿でかく見えたものが、
今では普通に見える。

大分駅の食堂で食事、
アーケード街を通り、映画を観に行くことにしました。
昨年、倉木さんのライブのとき、立ち寄ったところ、
シネマ5というところ、に行こうと思ったけれど、
場所が正確にはわからない。
だいたいのところはわかるんだけれど、
忘れた。

仕方なく携帯サイトで映画館の地図を出し、
調べていたが、わからず、違う映画館の前にたどり着く。
しばらくうろうろしたあと、結局わからず断念。

公園でしばらく休み、
トキハの中を回り、パルコの地下のリブロにより、
雑誌や本を購入。通りの向かいがわに
めしや丼の店が出来ていたのでそこで親子丼を食べる。

ホテルに戻り、パソコンを出したが、
インターネットが不調。
再設定をやらないといけない状態になっている。
CD-ROMとか持ってきていないし、
それにしてもホテルだといつも通信状態よくない。
今後は考慮に入れよう。
アットフリードだからかな?

雑誌に目を通す。
睡眠。

翌日10時ごろチェックアウト。
ホテルを出て携帯電話がないのに気がついた。
ホテルに連絡したけれど、
携帯は見つからず。

前日映画館を探していた時は携帯電話はあった。
ビブロでは使わなかったような気がする。
めしや丼にも行ったが、携帯電話はないということ。

どこでなくしたかさっぱりわからない。
がっかり。

予定がないのでとりあえず大分空港まで行き、
そこで食事。

別府湾の景色は好きですね。
大分空港の手前側の町が、
安岐町。僕の育った町です。

相変わらずの印象。
今度は叔母や祖母の家、
自分の育った家、には寄らなかった。
僕が大分に来ることを叔母は
すごく嫌っているらしい。

僕の育った家は、
朝来地区にある。
時々叔父や叔母が農作業のために立ち寄る程度で、
日頃は無住。

大分空港ではダンゴ汁を食べる。
最初は中津へ行くバスに乗ろうと考えていたが、
路線がなくなっていた。
国東に行く路線バスに乗る。

道路わきにアパートが建っていて、
昔とずいぶん違う感じ。
僕はバスでこの道路を通って国東高校に通学した。

大分には平均1年に1回は来ているけれども
国東に来るのは久しぶり。バスの路線は、
国東中学前を通らなくなったのは以前来たときもそうだけど、
田深の前や国東港を通るのは前からだったかな。

国東バスターミナルの裏の建物。ずっと以前はダイコーという
スーパーだった。その後ラッキーというスーパーになった。
ここの前にらくれんという会社の自販機があり、
僕はこのらくれんのドリンクがすごく好きでよく飲んでいた。

鶴川の商店街も寂れている印象。
僕はこのあと伊美、竹田津方向に行く予定だった。
ただ、休日ということでバスの本数も少なく、
竹田津行きはあったけれど
それに乗って、竹田津まで行っても、
高田方面に行くか、フェリーで徳山方向に行くか、
ということになるが、いずれにしても時間がかなり遅くなりそう。
携帯電話もなくして、不安。

杵築方向に戻ることにした、路線バスで杵築バスターミナルへ。
寿屋のあと、ヒサツネとU.Sinportというお店になっている。
杵築バスターミナルに着くとちょうど
杵築駅行きのバスが出るところなのでそれに乗る。

昔と違いあちこちに新しい道路が出来ている。
杵築高校の横も通りました。
この高校は僕の中学校の同級生もかなり行っている。

杵築から特急で博多へ。
この特急もかなり混雑。
結局博多までずっと立ちっぱなし。

博多の駅の案内所により、
ホテルを紹介してもらう。
東洋ホテルというところ。

なかなかよいホテルでしたが、
エアコンが僕好みでないのは残念。

食事は外に出て、
「どんちゃん」というものを食べる。鹿児島料理なのかな。
量が少ないのが、物足りない。

いよいよ明日は倉木麻衣さんの
福岡のイベント。
麻衣さんのスケジュールがわからない。
麻衣さんは元気かな。

この話は後日公表予定の
「倉木麻衣ファンクラブイベント,福岡」に続きます。


日々Mai-k、LOVE!ーNo17「ほんのちょっと他のファンのホームページを観ちゃいました。」

2005-07-22 06:54:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

7月15日のことですが、僕は久しぶりに他のファンのホームページを観てしまいました。
昨年の2004年のツアー前に他のファンのホームページを見て以来です。
正確には、倉木ファンのホームページではないのですが。

僕は今無職なので、求人関係のホームページを見ていました。フロムエーとか、ガテンとか、アンとか、そういうのを見ていたら、ビーイングというのがあり、求人情報なのですが、それを見ようとして、音楽業界のビーイングの関係のホームページを見てしまいました。

僕からすると濃い内容ですね。ふ~ん、そうなのか、というしかない。チラッと見てしまいました。5年位前の文章なのかな。
まあ、いいけど。僕にはきちんと対応できません。

深く反省して、これからはなるべく見ないようにしよう。
倉木ファンのホームページは相変わらず見ていません。

倉木ファンのブログは、以前トラックバックやコメントを受けていたときは、トラックバックやコメントを受けたときのみ、その人のブログを見ていましたが、今はまったく見なくなりました。

見たときはまたこのブログに書きます。

参考までに僕は倉木麻衣バースデーBBSには参加しました。しかし、それ以外の一切のBBS,チャットには参加していません。

有名なホームページにヒットカウンターというものがあります。僕も昨年2004年3月以前は見ていましたが、今は見ていません。理由は今まで僕のブログなどで触れたとおりです。
まず、ヒットカウンターのBBS参加者に僕に対するプライベートの侵害に加担している人がいると思われる。偶然にしては、あまりにも符号点が多すぎるということ。
次に僕自身ヒットカウンターの参加者でもないのに勝手にヒットカウンターやヒットカウンターの参加者と関連づけて、面白おかしくデマを流す人がいたこと。
ヒットカウンターの内容に疑問を感じる面があること、などです。

特にヒットカウンターの参加者に小倉あきという人がいて,僕を小倉あき呼ばわりしたり、同類呼ばわりする人がいて、いまだに影響があるようです。僕は三枝夕夏さんのファンではないのに、勝手に僕のことを三枝夕夏さんのファン呼ばわりする大馬鹿野郎がいて本当に迷惑していました。

他のホームページでも似たようなことがあり、他の倉木麻衣ファンのホームページなんて僕は全然見ないのに他のホームページを真似しているんだろうとか、BBSなんぞ参加してもいないのにハンドルネームだけで、僕だと決め付けたりというようなデマが本当に多くて悪質で酷いものだった。

僕は当分他のファンのホームページやブログは見ません。見たときはブログに書きます。

他のファンは僕と同じような被害に遭わないのかな。僕は元々以前からデタラメな噂をたくさん流される傾向にはあるが。噂も規模が大きく、執拗になると被害甚大ですね。日常生活に影響が大きいよ。

倉木麻衣さんが大好き。


日々Mai-k、LOVE!ーNo16「今週の予定」

2005-07-17 13:11:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

僕は17日に九州へ向かいます。
大分にちょっと寄った後、たぶん17日のうちに
福岡入りします。

18日は倉木麻衣さんのイベントが福岡で開かれます。
麻衣さんは当日福岡入りするのでしょうか。
一応僕は18日の午前10時半頃から、
午後2時くらいまで博多駅のホームで、
お出迎えをしようと思います。

うまく行くでしょうか。
今度失敗したら、イベントツアーの
追っかけはもうやりません。

イベントの最中は、また会場周辺をうろつきます。

麻衣さんは当日関西に戻るのかしら。
1公演しかないし、時間からすると
当日関西に戻ってもおかしくないが、
せっかく福岡まで来たんだからゆっくりしてほしいな。

翌日戻るのか。
翌日もゆっくりして翌々日くらいの戻るのか。
僕はスケジュールがわからない。

ヤマをはって当たればすごくいいけれど
はずれたときの時間的、経済的、精神的ロスは大きい。
「つて」もないし。

僕は19日と20日は、中島美嘉さんのライブで
大阪です。
たぶん倉木さん以外では最後のライブ鑑賞、楽しみます。
また、大阪でうまいものを食って、
ヒルズパン工場にも行こう。

四葉のクローバーに匹敵する、
四ツ橋のクロワッサンを食べたい。

麻衣さんはどこにいるのかな。
会いたいな。

23日はいよいよ東京のイベントです。


日々Mai-k、LOVE!ーNo15「FM携帯番組」

2005-07-16 11:28:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

すでに倉木麻衣ファンの皆さんはご承知の通り、
TOKYO FMの携帯サイトでオリジナル番組!! がありました。 
 
 
TOKYO FMの携帯サイト「MUSIC VILLAGE」にて、
6月4日(土)~7月8日(金)の期間限定 で、
倉木さんのオリジナル番組が放送されたのですが、
僕の携帯、この番組聴けませんでした。

僕は携帯詳しくないけれども、
なぜなんだろう。「MUSIC VILLAGE」の
登録まではうまくいったんだけれども
そのあと指定の番号に電話すると駄目。

結局倉木さんの番組聴けませんでした。
期間も終わってしまったし。
残念。

僕はまだ他のファンのホームページとか
観ることを解禁にしていない。
他のファンのホームページやブログは全然見ていない。

この辺が独立系ブログのつらいところ。

もっと倉木さんについて詳しくなりたいな。
残念。

でもきっと僕だってそのうちいいことあるさ。
そう信じたいよ。


日々Mai-k、LOVE!ーNo14「引越し2」

2005-06-23 11:12:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

ようやく新居のアパートへの荷物の
運び込みが終了し、転入手続きが昨日終わりました。
まだ住所変更しなければいけないものがたくさんあり、
また旧居のアパートの代金清算さんが未了のものが少しあり、
とりあえず今週中は引越しの後始末に終われそうです。

今度のアパートはトイレ共同、フロなし、エアコンなしで、
不便な面はありますが、無職という面があり、
仕方ないです。来年には再就職して
それにあわせて引越しし、そのときは
もう少し条件のよいアパートに移りたいと思います。

長くて1年の辛抱というつもりです。
予定は変更の場合があるけれども、
よい結果になってほしい。

しかし、エアコンがないのはたまらない。
僕は暑いのがものすごく苦手。
ぐったりしてしまう。
何か対策を考えよう。

来年再就職したら今ほど時間は自由にならないだろう。
本当はスキルアップのために勉強をしたいのだが、
相変わらず、僕はいろいろな形で嫌がらせが多い。
過去の例からしても、つきまといも多いし、
どこかの学校に通うのもまだしばらくは無理そうだ。

今年の夏は倉木麻衣さんのイベントや大阪旅行など、
秋には倉木麻衣さんの待望のライブ・ツアー、
家にいないことも多いかもしれない。

以前に比べて条件的に厳しいアパートに住むことになったが、
何とか乗り切れるかな。
頑張るぞ。麻衣さん大好き。

でも本当に暑いなこの部屋は。


日々Mai-k、LOVE!ーNo13「他のファンのホームページとブログ」

2005-06-22 16:58:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

僕はもう長い間、他の倉木麻衣ファンの
ホームページやブログを見ていない。

理由は以前僕のブログに書いたと思うけれど、
そのままです。今も同じ。

ところで僕は近いうちに他のファンの
ホームページやブログを見ることを
再開しようと考えている。

そのように思ったのは、FM yokohama で
THE BREEZE 6月1日放送で
倉木麻衣アーティスト特集!!が放送されたらしい。

僕は当日愛知県に行っていたので、
聴いていない。内容も知らない。
残念だと思う。

しかもその情報も後日知った。
たぶんこの番組を聴いた倉木ファンも多いだろう。
僕もその番組の内容を知りたい気がする。

やはり先々他のファンのホームページやブログを
見ることを解禁しようという気がある。

一応7月中をめどに
どのホームページやブログをどの程度、見るか、
考えて決めて行きたい。
このブログでも紹介していくつもりです。

過去にそのブログやホームページとの関連を揶揄されたり、
デマ情報を流されたブログや
ホームページは避けるつもりです。

決まったらこのブログでもまた詳しく説明していきます。