かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

2005年10月25日大阪城ホール-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-30 13:49:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の14回目。

2005年10月25日大阪城ホール
少し気持ちが沈みがちでした。嫌がらせの断続的効撃、麻衣さんからの信用のことなど楽観的にはなれません。気分転換を兼ねて大阪の心斎橋周辺の観光を兼ねて僕は23日から大阪に向かいました。以前、難波のカプセルホテルに2回宿泊したが、僕が大阪で宿泊するときはだいたい新大阪か梅田。今回初めて四ツ橋にあるホテルに宿泊。ブルーウェーブイン四ツ橋というところ。ここはヒルズパン工場カフェやGIZAにも近い。12:00がチェックアウトというのも特徴。

23日に大阪駅のところから四つ橋線に乗り換えようとして、迷ってしまった。梅田あたりも僕が知らないところがたくさんあって、ちょっといつもと違うところにいくとわからない場所になる。ホテルにチェックイン,3泊の予定。一休みし、外出。GIZAのある一角の通りの反対側を歩く。ハーフェズというイラン料理の店がある。入ってみたが、結構美味しい。その後立花通りを歩く。それからGIZAのビルのほうへ行く。うっかり通り過ぎ、コンビニのところから引き返す。日曜日夕方ということもあり、人気は感じられない。ヒルズパン工場の前を通る。お客がいるようだが、さっと通り過ぎる。

それから心斎橋筋まで行く。自由軒のまぶして食べるカレーを食べる。心斎橋筋を北へ向かって歩く。いろいろな飲食店があり、はじめて観るような、珍しい食べ物が多数ある。大阪は食い倒れの街というけれど、一工夫というか、技ありの食べ物がたくさんある。さすがにそんなにたくさん食べたばかりもいられない。本町まで行き、そこから四ツ橋まで行き、クリスタ長堀を歩き、また四ツ橋の戻る。なか卯で食事をし、デイリーヤマザキで買い物をしてホテルの戻る。

24日は四ツ橋でタイ料理を食べその後、心斎橋筋を南へ歩く。食べ物屋が注目。千鳥屋という所で、リンゴプリン、とら巻き、みたらしもちを買う。なんばまで行く。なんなんウォークを歩く。地下に降りてすぐの、「ぼてぢゅう」という店でねぎ焼きを食べる。その先の「鳥の巣」という店にはいる。串焼きの店。キムチ、はも皮、砂ずり、たこ酢、焼き物では、しいたけ、こんにゃく、ジャガイモ、いいだこを食べました。生ビール1杯とチューハイ3杯。飲まないつもりだったが成り行き上飲みました。関西でこういう店に入るのは初めてですが、よい感じ。お店に行く楽しみを感じる。

難波の地下を歩き回る。「まるしげ」でお菓子をたくさん買う。英国屋で、ストロベリーカフェを食べ、タイガースのユニフォームの服を着た女の人がいる店で、大阪サイダーと冷やしあめなど買いました。日本橋というところから地上に出る。明らかにつきまとう男がいる。アホ面してニコニコしていた。大阪でもあちことで誰だか分からないが、その命に何の価値もない連中から、つきまとわれてうっとうしい。

大阪の街も面白い。変わったメニューの店も多い。宗右衛門通りを通り、風俗の店のあるところを通り、ヨーロッパ通りに着く。ここを西に向かって歩き、アメリカ村を通る。若い人がいっぱいいる。にぎやかです。ガード下を通り、GIZAの反対側を通り、ホテルに戻る。少し体調がおかしく、外に出るのがめんどくさいので、買ってきたお菓子を食べる。

25日。今日は大阪城ホールのライブの日。少し電車に乗ってみようと思った。梅田まで行き、阪急で蛍が池まで行く。ここからモノレールに乗る。門真市まで行く。途中で万博記念公園を通る。太陽の塔が見える。僕が小さいときに大阪万博に行った。あの太陽の塔。

つきまといはいろいろな世代の人間が加担する。悪辣極まりない。門真市から京阪電車で、淀屋橋まで行き、そこから大阪城ホールまで歩く。大阪城ホールは以前応援していたKさんのとき一度来ている。それ以来11年ぶり。そのときは行き返りとも大阪城公園駅を利用。かなり歩いていったが、土地勘なし。かなり時間がかかって、大阪城の堀に着く。

ベンチに座って一休みしたが、またつきまとい。それにここも蚊がいる。やっと大阪城ホールに到着。歩いていると黒人の人が追い越していく。なんだか、トニーさんのように見えたけど。携帯電話で話をしている。流暢な日本語。トニーさんだったのかな。そういえば、エクスペリエンスのメンバーは今どうしているだろう。お元気でしょうか。

会場の外では露天がいっぱい。たこ焼きやいか焼き、など早速食べました。いか焼きが特に良かった。ライブの席は、スタンドのHブロックで、スタンドではステージに一番近い側。ちょうど僕が初めて倉木さんのライブに行ったのが、2002年の冬2月の横浜アリーナ2日間で、その1日目、つまり僕が初めて倉木さんのライブに行った時が、ちょうどこういう場所。なんとなくあのときを思い出しました。

当時も僕に対する不当な人権侵害的嫌がらせは多かったけれども、今はさらに一段と嫌がらせの勢いは増している。孤立するか、極悪と妥協するか、それしかファンとしての応援のあり方がないようなら、とても残念である。でも芸能人のファンや若者や、ちやほやされて思い上がっているギョーカイ人にはそれで普通なのかもしれない。

ライブは凄くよかったと思います。僕は元々大ホールのライブは好きじゃない。BKCライブは大会場だったけれど凄くよかったと思いましたが、それは例外で、大ホールはあまり好きじゃありません。ところがこの大阪城ホールのライブは凄くよかった。良いライブだったなと思いました。

ただ、ファンのほうはやはりいろいろな形で僕に対し、挑発行為や揶揄するやつがいて、うんざりだね。しつこいのなんの。この辺については大阪も東京も同じ。若い人とだろうが、年輩の人間だろうが、有名人だろうが、無名人だろうが、執拗に他人に嫌がらせをしたり、それに好意的・協力的な態度をとるのがいまどきの多くの日本人。こんな社会が変わってくれないかとつくづく思う。

梅田経由だ帰り、途中で「KANSAI BLT」を買う。麻衣さんがでている。四ツ橋のところの松屋で食事。ホテルに戻りました。
翌日26日、ホテルチェックアウト後、ヒルズパン工場カフェにより、いくつかパンを買い、GIZAのビルをぐるっと回りました。麻衣さんがいるのならともかく、ここは来てもしょうがない印象。大阪に来たときはついでに、1回くらい寄ってパンを買うというくらいでよいと思う。

そこから心斎橋筋に行き、自由軒のあるビルの8階のメキシコ料理の店に行く。なかなかよい。そこから御堂筋線で新大阪、新幹線で東京に向かったけれども、すごく混雑していました。一つ前のひかりはすいているようだし、新幹線も混雑具合にばらつきがあるようです。明日はもう武道館のライブ。今年のライブ後2回です。


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倉木麻衣ファンクラブサイトにダイアリー11・26

2005-11-29 13:27:00 | ブログ・ダイアリ更新

倉木麻衣ファンクラブサイトにダイアリー(11・26)が
届いています。
昨日は11月28日、あのファイナルから1ヶ月。

麻衣さんは次の会報の作成のために
頑張っているようです。
僕も麻衣さんの私的アシスタントになって、
会報の作成に参加したい。
麻衣さんと結婚したいな。

やり残したことはありませんか?
と麻衣さんが聞いている。
僕は麻衣さんとの結婚をやり残しました。
来年こそ。

イラストは、今回はキャスパーひとりです。
おnewのダウンを着ています。
ライブツアー中、良い子でお留守番をしていたので、
ご褒美で麻衣さんに買ってもらったのかな。
それともキャスパーのお誕生日にプレゼントで
もらったのかしら。
キャスパーはうれしそう。

会報がすごく楽しみです。


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日々Mai-k、LOVE!ーNo25「別府・大分行き、後半」

2005-11-28 01:23:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

この話は、日々Mai-k、LOVE!ーNo24「別府・大分行き、前半」に続きます。

11月12日、僕は母親と祖母と別れ、別府を離れ、大分に向かいました。途中高崎山のところで降り、海たまごを見ました。まず、隣の土産物屋の入っている建物の2階で食事、それから海たまごへ。ここは以前マリーンパレスという水族館だった。大きくなってリニューアルされてから初めてきたが、お客さんが多い。魚を見て回る。館内の飲食コーナーもお客がいっぱい。それからバスで大分駅前へ行く。ベーカリーでパンを購入し、ホテルに入る。

宿泊するホテルは大分オリエンタルホテル。ここは初めて宿泊、大分市内のホテルに宿泊するのは4軒目。少し部屋の外の音がするけれども、それ以外はまずまずよいホテル。他のホテルだって別に悪くはないが。4泊の予定。

僕がそもそも大分に残ることを決めたのは、大分に就職する可能性があるので、再度情報収集し、最終的に就職面を確認することが目的。ただ、別府に滞在する間に、なんとなく大分に就職しようという意欲がなくなっていた。実質用事がなくなっていたようなものだけど、せっかくだから遊び半分大分に滞在することにした。

翌日、13日、ホテルを出て駅前の噴水のところで時間をつぶす。その後カリーヤでドライカレーを食べる。アーケード街を通る。セントラルプラザで2本映画を観る。2本目はなんとお客が僕一人でした。キャメロン・ディアスの出ているやつ。インハーシューズ。一人で占領。そんなに面白くない映画というわけでもないはずだけど、最終上映だからかな。大分くらいの都市だと夜は早いのだろう。

映画館を出た後、たこ焼きやにお客がたくさん。女性客が多そう。そこには寄らず、その後ホテルの横の「阿吽」という居酒屋へ。大分で居酒屋に行くのは今回が初めて。付け合せにたまねぎが多いのが印象的。たっぷり食べましたが、5500円くらい。なかなかよい感じの店。

14日は大分駅前から大分空港に行く特急バスに乗る。ノンストップだったせいか、大分西高の前を通り、高速経由で空港へ。この辺の高速も初めて、ノンストップも初めてでした。空港から国東行きの路線バスの乗り、国東へ。そこから伊美行きのバスに乗り、国東高校前のバス停で降りる。久しぶりで母校の前に立ちました。

国東高校も近い将来、国東農工高校、双国高校と合併になり、総合高校になり、新しい学校は農工高校の場所へ。双国高校は分校になるそうです。現在地の国東高校を見るのはもしかするとこれが最後になるかもしれません。新しい学校になっても頑張ってほしいと思います。

僕にとってはそれほど良い思い出があるともいえない高校、いろいろな形で今になって悪影響を及ぼしているらしいが、実際のところ僕にはよくわからない話。

その後、田深まで歩く。バス停でおばあさんと話をする。感じのよいおばあさん。やっと今の国東のバス路線が飲み込めた。田深から大分行きのバスに乗る。途中安岐に寄るが降りない。杵築市内を歩こうかと思ったが、今回は取りやめ。別府湾の海の景色はよい。竹町で降りる。

トキハの裏のカツヨシという店により、ジャンボのかつ定食を食べたら、すごい量だった。びっくり。ホテルには早めに戻りました。

15日は、ホテルの地下でオムライスを食べる。アーケード街を歩いたり、遊歩公園の通りを歩いた後、大分駅に戻る。またアーケード街を歩いたり、ビブロに寄ったり、トキハの地下の飲食店街で買い物をして、裏の噴水のある公園で食べたり、座ったり、雑誌を読む。

樹木のブルーのライトアップがきれいでした。またアーケード街へ行き、ヴィーナスだったかな。そこのお店で軽く食事。それからシネマ5に行き、レイトショーの映画を観る。前回のことからするとお客はほとんどいないだろうと予想していたが、ところが、お客が多い。学生がたくさん。今回の大分で3作観た映画で一番お客が多い。

映画が終わったのも11時くらいかな。遠くから来ている人はかなり遅くなったのではないか。でもちゃんと映画を観ていて、なかなか印象のよい若者でした。映画の後コンビニにより、ホテルに戻りました。

結局遊んだだけで、就職に対してめぼしいことは何もないという結果でした。ほとんど情報収集はやらなかった。それまでの情報と特に代わり映えがしないものばかり。でもやはり運転免許があればずいぶん違うようです。やはり免許を取りたいとも思うが。

遊んだだけでしたが、ただつきまとい、つけまわしについては、東京に比べれば人口が少ないだけ、つきまとい、つけまわしが少ないが、それでもやはり大分でもつきまとい、つけまわしはある。うっとうしい。うんざり。僕は心のやさしい思いやりのある人間なので、悪いやつに攻撃されるのだろう。

2005年、倉木さんは大分でライブをやらなかったけれども、それでいいのではないか。僕は大分が地元だけれども、自分は大分好きな面はあるけれども、麻衣さんに薦める気にはなれない。どうせライブをやるなら、別府とか、湯布院のほうが麻衣さんにはいいかも。でも、大分育ちの僕としては、あのつきまとい、つけまわし精神の大分県を見るとやはり強く薦める気になれない。

16日、ホテルをチェックアウトし、大分駅に向かう間にあるCOCO!というコンビニの前を通ったら、倉木麻衣さんの「Growing of my heart」が流れてきました。ラッキーな印象。2004年の倉木さんの大分ライブのライブ日誌を連想しました。こういうのはすごくうれしい。この曲が流れるのを聴いて「4日間大分に滞在してよかったな」という気持ちになりました。昼前特急で大分を発ちました。別府湾の景色は大好きですが、次に見るのはいつでしょうか。最低一年に一度は祖母に会いたいと思う。一年に一度は大分に行くと思う。でも大分でゆっくり観光や遊びをするのは、そちらに就職しない限り当分ないかもしれない。


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日々Mai-k、LOVE!ーNo24「別府・大分行き、前半」

2005-11-27 13:22:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

11月6日から別府に行った。これは僕の母親の考え。母親は、大分県東国東郡安岐町朝来出身。朝来小学校から、朝来中学校、杵築高校を卒業。現在は千葉県在住。僕は母親が東京在住時代に東京で生まれた。その後健康面や家庭の事情があり、大分県の祖母の元で育つ。祖母は現在同じ安岐町の海岸に近い、叔母(母親の妹)夫婦の家に住む。

母親は祖母と以前から二人で別府に来ていた。祖母は足が悪く、出歩くのが不自由で、それほど喜んでいるわけではないけれど、母親は親孝行のつもりで、別府に連れてきていた。もう10数年になるようだ。費用は祖母が自分の年金から出すこともあった。数年前から、僕も加わり、3人で別府に行くようになった。今回の費用は母親が持つ。

叔母も性格がきつく、母親も性格がきつい。どちらも一緒にいると参ってしまう。祖母には他にも二人娘がいるが、やはり性格がきつい。母親とその妹たちはそろってきつい性格。僕は祖母が朝来に家に一人でいるとき、ときどき帰省していた。1年に1~2回。祖母がある年風邪で倒れ、ひとりで田舎の家には置いておけないということで、叔母が引き取り面倒を見ている。それからは僕は帰省のとき、叔母の家に行くようになった。

ただ、叔母の夫婦は今は仕事を退職しているが、田舎の田んぼ、畑、山などの作業をしていて、とにかく多忙で、僕などが行くことを快く思わないらしい。それはこちらもわかっているが、それだとなかなか祖母に会う機会がなくなる。母親は、祖母を別府に連れ出すことで、叔母に負担をかけずに祖母に会うことを考えたようだ。年によっては祖母のほうが千葉の母親の家に来ることもあるが、もう年齢が90歳を過ぎ、千葉に来させるのは難しいと思われる。

今回は別府に祖母を連れ出し、3人で出会うことになった。宿泊したのはホテル白鷺、別府の北浜にある。晴海荘やホテル美松など近隣のホテルに以前は宿泊していたけれども、そちらもよいホテル。晴海荘やホテル美松だとすぐ前に海が見えて景色がすごくよい。左に国東半島、右に高崎山から大分市街が見渡せる。別府港から、さんふらわあという客船が出る。今年もそのあたりのホテルかと思ったが、今年はホテル白鷺だった。少し海が離れ、一部の部屋しか海が見えない。母親は祖母の足の悪さを考え、バリアフリーにこだわったようだが、どうやら他の人から、ホテル白鷺も安くていいという話を聞かされ、それで決めたようだ。

値段は僕は知らないが、入り口の階段などを見るとやはり足の悪い人には不便。別府のホテルも徐々にバリアフリーに変わりつつあるという話を聞かされたが、このあたりのホテルは、以前と変わっていなければ、入り口や温泉に行くところなどどこかでやはり階段を数段上がらねばならず、その点はどこでもあまり変わらない印象。食事はすごく豪華な食事で、とても美味しかった。

母親は1日前に叔母の家に来て、当日6日に祖母を連れてここのホテルへ。僕は6日の直接東京からホテルに直行。新幹線の利用で、小倉駅で「鶴の子」饅頭を買う。これは祖母の大好物。土産にする。別府駅からは徒歩、キリスト教の人や公明党の人が募金を集めていた。募金の日だったのだろうか。ホテルに着き、祖母と久しぶりに会う。元気そうで何よりだが、やはり足の具合は悪そう。

ホテルの温泉は、3階が男湯、4階が女湯だけれども、深夜12時で入れ替わる。僕はだいたい1日2回くらい入浴。僕は無職で先々、再就職する。祖母もいろいろ心配しているようで別府にいる間何度も説明をした。母親は相変わらず、自分本位で、自己中心的で性格が悪い。僕は母親とは仲が悪い。たとえば食事にしても自分より早ければ、早食いはよくないといい、自分より遅いとそれはそれで悪く言う。自分がテレビを見たいとき、祖母がおしゃべりするとうるさがるが、祖母がテレビを見たがるときは、お構いなく母親は平気でおしゃべりをする。他人と他人の間に祖母が入ると話がおかしくなるが、母親はさらにひどい。でも母親は、祖母のことはとやかく言うが、自分のことは気にならないらしい。まるで「おばたりあん」そのまんま。

翌日は祖母を車椅子に乗せ、母親と僕の3人で別府の観光港まで歩く。さんふらわあが入港している。しばらくの間潮風にあたる。帰りに別府の交通センターでみやげ物を見たあと、食事。たこ丼を食べる。ホテルに戻る。

3日目の8日。また母親と、僕、車椅子の祖母の3人で外出。楠銀天街を歩く。松原公園で一休み。その後別府駅に行く。駅のところが以前と変わっていたので見て歩く。駅で長い椅子に座っていると、小さな子供がじろじろ見に来る。おそらく親の指図だろう。凶悪な子供である。NHKの連続ドラマの関係のグッズも置いてある。駅から戻る途中郵便局により、そのあとトキハデパートの上のほうの階にある飲食店で食事をする。ざる蕎麦。ホテルに戻る。

4日目の9日は、タクシーで竜巻地獄に行く。ここも久しぶり。間欠泉で熱湯が吹き上がる。次に血の池地獄へ行く。鉄さびのような濁った赤い熱湯の地獄。そこからタクシーで海地獄へ。青い海のような熱湯の地獄。温泉玉子が有名。外のレストランで食事。ちゃんぽんを食べる。タクシーでホテルに戻る。さすがにタクシーの運転手は地元のことに詳しい。

5日目の10日は、祖母は出歩くのを嫌がる。母親がトキハで昼の食事を買い、祖母と母親の二人で食べる。僕は外に出て、別府駅まで歩く。駅前のビルの3階の店で、ダンゴ汁を食べる。そこから別府駅の横を通り、朝見川の横を通り、
浜脇へ行く。数年前とは様子が違う。壊れかけていた家があったけどなくなっていた。そこから海岸沿いに歩きホテルに戻る。ホテルではやはり母親は、独善的で、勝手なことばかり言う。祖母は年齢のせいか物忘れがひどく、同じことを繰り返していい、また母親は怒る。僕と母親も考えが会わないし、母親はきつい性格なのでたびたび衝突。正直なところ母親と一緒の行動にはうんざりする。

6日目の11日、この日は雨で、母親と祖母は前日と同じ行動。僕は帰る準備で荷物を自宅に2個送る。その後食事のため駅の前の通りを歩くが、雨がひどく、トキハの地下で食事。うどん定食とたこ焼き。雨がやはりひどく早めにホテルに戻る。その後もかなり雨が強く降る。

7日目の12日、この日で別府を去る。別府市内に住むいとこが祖母と母親を安岐町の叔母の家に連れて行く。母親はその後飛行機で羽田経由で千葉県松戸市の家に戻る。僕は別れた後、別府駅まで行き、また北浜まで戻る。小泉首相が別府に来ることや泉都のイベントがあるらしい。トキハ前でも催しが行われていた。僕はイベントを見たい気がしたが、とりあえずこれまでの部分とは、気分的に分けたいという考えがあり、別府を出て、大分にバスで向かいました。

別府にいる間、多少つきまといらしきものがありましたが、何でしょうか。祖母に久しぶりにあえてうれしく思いました。元気でいてほしいと思います。ただ、母親の性格は相変わらずで、今までの多くのこともあり、正直なところ親子関係を継続させるのは無理だろうと思いました。母親の性格は全然変わりません。

この話は、日々Mai-k、LOVE!ーNo25「別府・大分行き、後半」に続きます。


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Music Freak 11vol.132-倉木麻衣さんの記事

2005-11-26 13:21:00 | Music Freak Magazine

ミュージックフリーク132号。
今月の倉木麻衣さんの記事は、002ページから
003ページにかけて。003ページはインタビュー記事です。
「Growing of my heart」について。

アルバム発表後のシングルということで、
制作上意識したこと。
心の奥から感じる強さを伝えたい。

「Growing of my heart」は、アップ・テンポでドラマティックな
ナンバーになるが、こういう曲を歌いたいというリクエストが、
麻衣さんのほうにあったのか。

「Growing of my heart」を聴いたときに感じたイメージ。

歌詞の中に自然のなかにあるものが登場しているが、
こういう言葉を選んだ理由。

今回の歌詞のテーマ。

歌詞の内容から、今まで培ったものを活かし前に進む
という主人公が浮かび、倉木さんとリンクするように思えるが、
麻衣さんはその点を意識していたのか。

歌詞で特に気に入っているところ、思い入れの強い点。

「Growing of my heart」をライブで歌った印象。

「Seven Nights」は、夜をキーワードにした曲だが、
曲を聴いてから決めたのか。
最初からイメージとしてあったのか。

「Seven Nights」に出てくる夜は、どの季節?

「Seven Nights」の気に入っているところ。

倉木さんは夜が好きか。
好きだったら理想の夜の過ごし方は?

麻衣さんの「Winter*Swear」を最初に聴いた印象は?

僕は個人的にこの曲をすごくいい曲だと
思っている。

冬の歌になっているが、
作詞をする上で固まっていたのか。

「Winter*Swear」は、相手を想う素直な
気持ちが込められているようで、テーマは何か。

歌うときに心がけたことは?

「Winter*Swear」を聴いてほしいシチュエーション。

今回のツアーを振り返って想うこと。
前回のツアーと違うこと。

今回のツアーで特に印象に残っているところ。

倉木さんにとって2005年はどんな年だったか。

今年のうちにやっておきたいこと。
「音楽を伝えたい!」そうです。
スキューバダイビング!?とも書いてある。
麻衣さんはやっぱりスキューバダイビングやりたいのかな。
やらせてあげたいけど、心配。
事故のないように十分注意して。
万全の救助体制でやってほしい。
僕も連れて行って。やはり心配。
「好き湯葉鯛ピンク」とかじゃ駄目かな。

2006年はどういう年にしたいか。
全国ツアーをやるそうです。
パチパチパチ!

詳しくはぜひミュージックフリークを
買って読んでください。

ミュージックフリーク132号は、
(株)エムアールエムより絶賛発売中です。
ミュージックフリーク

026から027ページにかけても、
倉木さんの見開き広告ページが出ています。


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GIZA Music Net 倉木麻衣 NEW着メロ「Growing of my heart」

2005-11-25 11:00:00 | GIZA Music Net

GIZA Music Net 倉木麻衣 NEW着メロ
「Growing of my heart」が加わりました。

この「Growing of my heart」は、着メロとしては
さきにTVオンエアバージョンがあります。

”Growing of my heart”という曲、タイトルからして、
倉木さんの思い入れが強いのかも。
麻衣さんの決心が反映されているのかな。。

倉木さんは、2004年の大分のライブのとき
ガレリア竹町というところを歩いていて、
自分の曲が流れてきて、喜んでいたようです。
(ライブ日誌参照)。
http://kuraki.livedoor.jp/archives/837984.html

僕は先日大分県に行っていて、
11月16日に東京に戻りました。
当日大分を出るとき、チェックアウトしたホテルか
大分駅までの間にあるコンビニの前を
通りかかったときに、ちょうど
「Growing of my heart」が流れてきて、
ラッキーだなと思いました。
まだ僕はライブでは聴いていたけど、
CDでこの曲を聴く前だったけれども、
なかなかよい曲だなと思いました。
うれしく感じました。


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倉木麻衣new着声「ファイト!」-GIZA Music Net―

2005-11-24 13:04:00 | GIZA Music Net

GIZA Music Netの
倉木麻衣new着声に
「ファイト!」が加わりました。

久しぶりの着声更新です。
麻衣さんの応援の声がうれしい。
でも、声が少しおとなしいです。
疲れているような。

麻衣さんこそファイト!
やはり僕が麻衣さんと結婚して
バック・アップしてあげたい。


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2005年10月16日鳴門市文化会館-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-23 13:14:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の13回目。

2005年10月16日鳴門市文化会館
長崎は朝6時台の特急で博多駅に向かい、そこから新幹線で岡山まで。駅のホームでうどんを食べる。広島にしても、岡山にしても、中国地方のうどんは美味しいと思います。もちろん、僕は中国地方の出身ではありません。瀬戸大橋線で高松まで行き、時間に余裕があるので、外のスーパ-でお惣菜とお弁当を買う。昨年高松に寄ったとき、お惣菜がとても美味しかったのでまた食べたけど、僕の記憶ほどではなかった。しかし、全国を回ると、地方のスーパーのお惣菜コーナーを見ると、微妙に品揃えが違うのが面白い。その地方の特色がお惣菜に現れている。

JRの社員には意地悪な人もいるがここら辺りの職員はとても親切でよい。高松から特急で池ノ谷へ。この駅に着いたとき雨が降っていた。ここから普通電車で鳴門駅へ。途中の横を川の流れる景色はとてもよい。乗客もそこそこいて決してど田舎ではない。鳴門というところははじめてくるところ。駅に着いて駅前の地図でホテルを探すが見つからない。電話番号簿で大体の住所を知る。斉田という地名のようだ。

駅で帰りの切符を取った。高速鳴門から大阪駅までのバス。タクシーでホテルに向かう。ホテル名を言っても運転手はわからず、運転免許を取るのに利用するホテルだとか、なんか言っていたけれども印象の悪い運転手。駅から割りと近いところにホテルはあった。ホテルヴィルベルというところ。ここは2泊。なかで一休み。

夕方何か食べに行こうと思ったが、雨が降っているし、初めてのところで土地勘がなく、前にコンビニがあったのでそこで買い物をしてホテルの戻る。翌日昼過ぎ食事をしてそのまま会場へ行こうと思った。どうも鳴門という都市がよくわからない。ど田舎ではないけれども、大都市というほど大きな商業地が見当たらない。どこか違うところにあるのか。でも都市は川を挟んで整備されている印象。

ただ、外の飲食店などが少ない様子。鳴門の人は外食をあまりしないのか。駅近くのスーパーも規模が小さく、駅前の通りもそれほどにぎやかでない。にぎやかなところはどこだろう。でも甲子園で活躍した高校もあるところだし、とらえどころのないよくわからい都市。言葉が関西なまり風イントネーションがとても感じがよい。

駅近くにお好み焼き屋があった。以前テレビで徳島南部のお好み焼きが紹介されていた。僕はうまく焼けないけどとりあえず何とか焼いて食べましたが、美味しかった。ちゃんと焼けばもっと美味しくなるのかもしれない。その後駅の反対に回り、会場に行く途中のうなぎ屋さんで、うなぎを食べました。ここの前は商店街になっているけれどそれほどにぎやかな印象がない。

川沿いのベンチに座っていたら、蚊が飛んでくる。蚊が多い。会場近くのベンチに座っていました。入場のとき前を並んでいた女性は、倉木さんの真似をして腹だしルックでした。似合わない人は似合わない。さ列21番。11列目かな。今回のライブ・ツアーで一番前の席。

ライブはまずまずよかったと思います。ただ、やはり僕自身倉木さんに信用されるまではまだはるかに遠い印象で、多くの日本人は、理由はどうあれ、理由はあろうがなかろうが、僕を悪者にするのを楽しんでいます。麻衣さんもそんな立場にいるのではないか。そんなことを言うと政治家やマスコミや一般市民は喜ぶかもしれないが、倉木さんはそれでも僕の心の支えになっている。それに比べると政治家やマスコミや一般市民は僕に対し、デマを流し、悪者にして喜んでいるだけ。

今はまだ駄目かもしれないが、麻衣さんに信じてもらえるようになりたい。きっとそんな日が来てほしい。そう思いながら現時点での厳しさに直面してしまう。

なんとなく今回も沈んだ気持ちで、途中コンビニによりホテルへ戻りました。

翌日は、高速鳴門というところが分からないので早めにホテルを出て、うろうろしながら探していたら、やっと見つかった。今まで長距離のバスを利用するとき、いつも始発から乗っていて、こういうところを利用するのは初めてでした。ダンサーのコスプレをやっているらしき人がいて、うんざり。こういうやつが良くまとわり着くんだ。

バスに乗り、鳴門海峡の景色を眺め、淡路島を始めて通り神戸経由、なんば経由で大阪駅へ。途中で犬を連れた女性が見えて、キャスパーちゃんは元気かなと考えました。ヒルズパン工場カフェにもよりたかったけれども、気持ちが沈んでしまっているのでそのまま新大阪に行き、新幹線で東京に戻りました。

来年の倉木麻衣のライブ行くかどうか。もちろん経済的には問題ないけれども、世間の悪質な嫌がらせのなかで、麻衣さんの信用を得られないままライブに行き続けるのは、精神的にかなりきつい。孤立無援の厳しさ、そうかといって極悪非道と妥協する気もない。この先自分の倉木麻衣ファンとしてのあり方、そして自分自身のあり方が問われ、それに対し自問自答を繰り返す状態が続く。

生きる価値のない日本人は今後も僕に対しデタラメな噂を流し続けるだろう。そいつらに天罰が落ちてほしい。
少し今までより退いた形で倉木ファンを続けるしかない。まだまだ自問自答は続く。


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2005年10月14日長崎ブリックホール-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-22 13:09:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の12回目。

2005年10月14日長崎ブリックホール
福岡のライブの夜、時刻表を見ていてあることに気付いた。長崎のライブの後、長崎で一泊する予定でホテルの予約も取っている。ところが長崎でゆっくりしているとその翌日の鳴門のホテルのチェックインの予定時刻に間に合わない。チェックインの予定時刻を変更というのはあまりやりたくない。長崎のホテルをキャンセルして福岡にライブ当日に移動したほうが翌日以降の移動がやりやすい、でもキャンセルもなるべくやりたくない。そうなると長崎のホテルの宿泊した翌日、かなり早く長崎を出ないといけない。そのことに気付き、予定の立て方のまずさを思い知った。

博多駅から普通電車に乗り、佐賀県の鳥栖駅に向かう。うどんを食べ、駅弁を買う。ここはシュウマイが名物なのかもしれないけれど、表記が焼麦、シャウマイと書いてあったような。僕は小さいころ祖母といとこと3人で大宰府に行き、久留米経由で日田のほうに向かう途中、この鳥栖駅で駅弁を買い、すごく美味しかった記憶がある。ホームの売店で当時の記憶をたどりながら、どの駅弁か探したけれど、よくわからなかった。

鳥栖から長崎行きの普通電車に乗る。佐賀を過ぎるとだんだん海が見えて、景色が良い。電車の中でいいとしした大人なのにそわそわとして落ち着きがなく、電車の前に行ったり、後ろに行ったり、座席の方向を大きな音をさせてばたばた変更させたりそんなことを繰り返している馬鹿者がいた。まあいまどきの日本人らしい。政治家か、マスコミ関係者か、一般市民ではないか。

浦上駅に着く。長崎市に来るのは3回目。浦上は2回目。倉木さんのライブで昨年浦上に一度来ている。昨年来たとき駅のところに猫がいたけれど今度は見かけなかった。宿泊先はウェルシティ長崎。駅からも会場の長崎ブリックホールからも近い。駅のパン屋でパンを買い食べる。雨が降り始める。

会場は少し早めに着く。1階R列50番。昨年僕は長崎の倉木さんのライブ凄くよいと思った。しかしそのことをブログで書いていたら、一部の人間から反発を受け、長崎出身だろうというようなデタラメな噂を流されてしまった。そんなデマを流したり、揶揄した極悪人は今も平気な顔をして生きているだろう。それが今の日本。

僕はその意味もあり注意してみていたけれども、ライブは凄くよかったと思う。会場のせいかなあ。僕の席のせいかなあ。理由はよく解らないけれども、福岡より長崎のほうが昨年にしても今年にしても僕の印象はいい。他の人はどう感じているんだろうか。

ライブが終わるとコンビニによってウェルシティ長崎へもどる。ここの宿泊先もとてもよいです。麻衣さんはどこに宿泊したのかな。麻衣さんは長崎がお気に入りのようだけど。カステラが好きなようだし。麻衣さんの移動スケジュールがわからないけど、この後鳴門まで麻衣さんはどう行くのだろう。福岡からは飛行機があるようだけど、それで行くのかな。

僕は予定通りの行動にするため、翌日早く長崎を出ることにしました。


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2005年10月13日福岡サンパレス-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-21 13:03:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の11回目。

2005年10月13日福岡サンパレス
少し新潟から間隔があきました。その間は、東京の自宅に数日いた後、僕の育った大分県に立ち寄りました。その様子はこのブログの10月24日の記事、「日々Mai-k、LOVE!ーNo21「大分に立ち寄り」」に書いてあります。この記事はその続き。

杵築駅から特急電車に乗った。駅のところで若い男がいてBKCライブのマルーンカラーにMEMORIALと書いてあるシャツを着ていた。僕の育ったところに近いこんなところにも倉木麻衣ファンはいるのか。びっくり。当然福岡のライブに行くつもりなのだろう。僕の田舎の若者の雰囲気も僕が高校生だった23年前ころとは、ずいぶん違うのだろう。

僕が高校生のころ、僕の育った安岐町はもちろん杵築市にしても、コンビニや外食産業なんてなかった。スーパーもこんな感じではなかった。ずいぶん変わってしまったな。この感覚はわからない人にはわからない。特急に乗り、博多駅に到着。ホームでラーメンを食べる。まずまずの味だが、おにぎりは美味しい。

ホテルは博多第一ホテル。駅に近く、そばにめしや丼の店がある。なかなかよいホテル。しばらくのんびりして、福岡サンパレスに向かう。駅のすぐ来た辺りで、どうも様子がおかしい。警察官がいる。信号と関係なく歩行する人もいる。なんだろうと思い、しばらくいくと日の丸の旗を持つ集団や背広になんだかよくわからないバッジを胸につけたおっさんがいる。雰囲気からすると皇族の誰かがいたのだろうか。

周囲の話し声からすると皇太子のような印象。そばのホテルに入っていったようだが、僕は全然見えなかった。僕は出身大学が学習院大学ということから、しばしば皇族がらみで嫌がらせをされるので、警戒している。馬鹿馬鹿しい。僕は皇太子とは少し年齢差があるので、見たことはほとんどない。僕が学習院に在学していたときは、皇太子は、当時まだもちろん浩宮殿下のころだけれども、イギリスの大学に留学中であった。秋篠宮は僕と1歳違い。学内で何度も見かけた。途中でイギリスに留学したが。紀子妃殿下は僕と同じ心理学科の2年後輩になる。僕のブログで何度も説明しているし、調べればすぐわかるよ。

相変わらず、アホ政治家やアホマスコミや、アホ一般市民は僕を嘘つき呼ばわりして喜んでいる。なかには語呂合わせや駄洒落で一喜一憂しているアホ間抜けがいる。子供がやってもばかげているが、大人がやるのはくだらなすぎる。日本はひどい国。

ちなみに僕が大分県の安岐中学校に在学していたころ、浩宮殿下が安岐町にやって来た。三浦梅園旧宅を訪れたもの。
三浦梅園は江戸時代の思想家で、日本史の教科書にチラッと登場しているはず。そのとき中学校の生徒全員が道路に出て日の丸の旗を振って歓迎したのだ。そのとき僕はどうしていたか。今だからいうが、隠れていた。詳しいことは説明しない。別に疚しいことがあったわけではなく、抜け駆けしようとして失敗し、結果的に隠れたという状態になっただけ。間抜けな話。

妙な騒ぎを通り過ぎ、福岡サンパレスへ向かう。会場に入る。またわざとらしいやつがいる。メルパルクとかいっていたやつ、偶然だろうか。気にしすぎかもしれないが、この手の嫌がらせ、揶揄、挑発行為がすごく多く、またかと思ってしまう。ここの席はKファン時代にしても、昨年の倉木さんにしてもすべて1階席、今回初めて2階席。どういう席だろうと思っていたら、いわゆる2階席に両端の前にせり出した部分の席だった。僕はもうアーティストのコンサートに200回以上行っている。
数えるとこの日で211回目。こういう席は初めて。

前からこういう席で見てみたいと思っていたけれども、今回念願がかなった。席は、なかなかよかった。ライブもまずまず良かった。たまにはこういう席もいいな。ライブが終わるとフローティングペンを買い、ガチャがチャをやる。外に出ると常連らしいファンが多数いる。

僕は少し足が痛くなってるのでとっととホテルへ戻ろうと思った。途中騒ぎのあったホテルの前を通ると後ろから歓声が上がったが、馬鹿でしょうか。めしや丼によりホテルへ。時刻表を観ながら翌日以降の予定を考える。


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2005年10月4日新潟県民会館-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-20 13:45:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の10回目。

2005年10月4日新潟県民会館
富山からは普通電車に乗る。親不知周辺の海岸の景色を見たかった。景色は素晴らしく良くてお気に入り。電車にはやはり困った客がいる。滑川と行川の話をしている人、わざとかな。僕は千葉の行川には一度観光に行っただけでよく知らないところ。どういう目的かよくわからない若い客。うっとうしい限り。日本人の心って腐っている。

直江津に着く。ホームの駅弁売りのおじいさんは、「長野に行く人」と言いながら駅弁を売っている。僕は長野には行かないので駅弁は買わない。仕方なく改札前のおばあさんのところで駅弁を買う。おばあさんは僕のことを「金沢にいくんじゃないのか」というようなことを訊いてくる。今僕は富山からの電車で直江津に来たばかり、何で金沢だったり、長野だったりなんだろう。直江津から新潟方面に行く人はいないのか。

金沢というと普通電車のどういう目的かよくわからない客が車掌と金沢に戻るという話をしていた。それが変なふうに伝わっているのだろうか。それもうっとうしい限り。このまま普通電車で行っても柏崎で追い抜かれるだけだし、新潟到着が遅くなりそうなので、直江津からは特急で新潟に向かいました。

新潟と富山は1日空くけれど麻衣さんはどうしているんだろう。麻衣さんはたぶんもう新潟に行っているだろう。楽しんでくれているといいなと思っていました。僕の宿泊先は、新潟駅から右のほうへ行くと近くにあるホテル。シングルイン新潟第1。
僕は勘違いしていたけどここは昨年倉木さんのライブで宿泊したところ。部屋の外の音が少しやかましいけれどそれ以外は良いホテルです。

しばらくして食事のため、外出。駅の近くでまたつきまといらしい、人間の屑がいた。嫌な気分。わざとらしい立ち方。自分で不自然だと思わんのか、アホめ。以前14年前Kファン時代福井のファンと金沢のファンと3人で飲んだ店に行こうと思ったけれども、見つからない。うろうろした挙句、結局、笑笑に入った。この手の居酒屋に行くのもずいぶん久しぶり。結局6000円以上飲み食いして出たけど、この金額だとあまりこの手の居酒屋は余り利用できない。毎日利用すると1ヶ月で20万円以上は必死。でも久しぶりでこの手の店で美味しく飲食。

新潟でライブというと1991年にKさんのコンサートが新潟県民会館、1996年くらいかな。新潟フェイズでライブ。昨年2004年倉木さんで2日連続ライブ。他にKファン時代柏崎で2日連続、弥彦で1日コンサートをやっている。ここの万代川の景色はすごくいいと思う。お気に入り。

翌日は雨がひどい。麻衣さんのライブ意外に雨が多いような。以前、テルテル坊主を作っている麻衣さんのイラストがあったけど、あれ可愛らしかったな。キャスパーもお手伝い。

ホテルを出て食事。また挙動不審のじじいが。うんざり。こういうのブログに書いているのは氷山の一角。僕は川沿いでのんびりしようと思ったけれども雨がひどい。デパートの食品コーナーで買い物。川沿いの屋根のあるベンチに長く座っていたが、よくわからないおばあさん3人組が、自転車で来てそこに自転車を止めどこかに行ってしまった。僕は仕方なくそこを離れ、別の屋根のあるベンチのあるところにいた。

対岸の会場近くのベンチに移っていると高校生がたくさん通る。ここは通学路なのかもしれない。女子高校生も通るので、
まだ早いけど雨もひどいので少し早めに会場に到着。もうかなりお客さんが来ていた。うっとうしい若いファンに挑発行為を受ける。だから他のファンは大嫌い。

席は1階20列46番。一番端。ライブはまずまず良かったと思うけれども、僕はやはり麻衣さんに自分を信じてもらうのは難しいのではないかという気持ちが支配的になり、他のファンの集中的嫌がらせ、そしてこれがいつまで続くのかわからない、事実関係を無視し、他人の言い分を一方的に鵜呑みにし、デフォルメし、僕を悪者にしてせせら哂ういかがわしい日本人たち。いつまで続くのか。麻衣さんも僕にデマを流す人間を好意的に見ているようだ。それでも他の人間はもっとひどいから、僕は麻衣さんを信じてまつしかない。けれどもいつまで続くのかこの不当な嫌がらせは。かなり悲観的な気持ちになり、僕はまた気持ちが沈んでしまった。

落ち込んで、少しやけくそ気味というか、自暴自棄的な気持ちになりながら、雨の川沿いを歩いて、帰りました。駅のところのROYAL HOSTで食事。また挙動不審男。もううんざり。隣で本を読む男。本を読んだってかまわないが、わざとやっているようにしか見えないが。姿勢が自然な本を読む姿勢とは違う。こういうのよくあるんだ。またか。とっととホテルに戻りました。

このつきまといの連続・集中ではたまらない。予定をいろいろ考えていたけれども、取りやめ早めに新幹線で東京に戻りました。


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GIZA Music Net 倉木麻衣 NEW着メロ「Winter*Swear」 

2005-11-19 08:01:00 | GIZA Music Net

GIZA Music Net 倉木麻衣 NEW着メロ
「Winter*Swear」が加わりました。

この「Winter*Swear」は、着メロとしては
まずまずの印象。

11月9日発売のニューシングル
”Growing of my heart”のカップリング曲。

この曲聴いてみるとすごくいい曲です。
ぜひCDで聴いてほしいです。


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CD「Growing of my heart」

2005-11-18 09:27:00 | CD

聴いた日 
2005年11月18日

CD「Growing of my heart」

アーティスト
倉木麻衣

倉木麻衣さんの今年第4弾シングル
「Growing of my heart」。

11月9日発売でしたが、やっと昨日買い、
先ほど聴きました。
倉木さんの曲は、ライブで聴くより、
CDで聴くほうがよい印象の曲と、
CDで聴くより、ライブで聴くほうがよい印象の曲がある。
「Growing of my heart」はすでにライブで
ずっと歌っていたけれども、
それほどよい印象ではなかったが、CDのほうがよい印象。

まず連続して4回聴いた印象。まずまずよい印象。
カップリングの「Seven Nights」。
今まで聴いた限りではまあまあ程度の印象。

もう一曲の「Winter*Swear」。
これはいい。
今年の倉木麻衣の曲の中では一番のお気に入り。
歌詞の意味もわかりやすく、いい印象。
この曲もっと工夫すれば、
歴代の名曲にも成れたのではないかという曲。
雪が降ったらまた聴いてみよう。

今年のCDシングル4枚では、
一番よい作品と思うけど、そう思うと、
「Love,needing」がその意味で
もっと注目すべきなのか。

ジャケットはとてもよい。
かっこよいMai-K。
こういうの好きだけど、
下腹は見せなくてもいいと思う。

   


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2005年10月2日富山オーバードホール-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-17 23:50:00 | 2007年までのライブの思い出

「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の9回目。

10月2日富山オーバードホール
富山オーバードホールのライブは昨年につぎ2回目。以前応援していたKさんのコンサートで2回富山市には来ているので通算4回目。僕は本来、上越新幹線経由で富山に行こうと考えていたのだけれども、前日に倉木さんのパネル展が京都で開かれることから、京都に行き、それから湖西線経由で富山に到着。

富山で宿泊したのは、7~8年ぶりだと思う。以前宿泊したのは駅から右のほうへ行ったところのビルにあるサウナ。たぶん2回宿泊している。今回宿泊したのは富山コンフォートホテル。近くに行くとすぐわかるけれど、少し離れるとわかりにくい。でも良いホテルでした。今回は2泊。

ライブ当日は昼過ぎまでホテルにいて、それから駅の2階の飲食店街で食事をして、駅の北側の地下で時間をつぶす。富山は地下の通路で歌の練習をする人が多い。地下の椅子に座っていたら、うっとうしいやつが、じろじろこちらを見ている。誰だよ、お前は。こういうやつの多いいこと。

会場にはすでにたくさんお客が来ていた。わざとらしい行動をするあほなファンもいたが、黒幕もいるのだろう。愚劣な。発想が幼稚。席は3階C列の1番。実質2階席の一番端。ライブはまずまずよかったと思います。ライブが終わると途中のコンビニによりホテルへ。

翌日普通電車で富山を発ちました。


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2005年9月29日仙台サンプラザ-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-16 01:31:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の8回目。

9月29日仙台サンプラザ
仙台は、僕がファンクラブのイベントで来た。他のファンクラブのイベント会場にも行ったが、入場したのはここだけ。そのときから1ヶ月ちょっと。まず駅のところのカレー屋に立ち寄り。アーケード街を見て回り、それからホテルへ。ホテルはホテル昭和といって、アーケード街に面していて、昨年の倉木さんのライブでも一泊したところ。

ホテルで一休みした。仙台というと以前応援していたKという歌手で数回、Mという歌手で1回コンサートに来ている。倉木さんでも昨年の2日間のライブに参加。何度も来ている所。Kファン時代に駅周辺で一夜を明かしたことがある。僕が野宿するのは回数的にはすごく少ないけど、それでも数回ある。初めて野宿したのがここ。春から初夏にかけてのころだったけれども、雨の降った後でものすごく寒かった。今から14年半くらい前で、当時は貧乏だった。

その後仙台ではカプセルホテルに宿泊するか、当日東京に戻っていた。ホテルに宿泊するようになったのは昨年の倉木さんのライブから。時間が近づき、今回初めてあおば通駅を利用。そこから榴ヶ岡駅まで二駅。Mさんのファン時代、やはり仙台サンプラザだったが、当時は榴ヶ岡駅はまだ地上の駅だったが、昨年仙台に来たとき地下の駅になっていて驚いた。

今回は会場間際に到着。1階M列13という席。ライブはまずまずだったと思う。ただ、Mさんのファン時代ここの仙台サンプラザの会場というか席が、ものすごく窮屈できつい印象があった。昨年倉木さんの2日間のライブではそんな印象はなかった。すごくライブは楽しかった。Mさんのライブが変なのかと思っていたが、今年の倉木さんのライブの席は少し、やはり窮屈できつい。隣の人が手を振ったりすると、自分は手を振ったりしにくい。手がぶつかる。

結局今年の倉木さんのライブも途中から気持ちが沈んでしまったこともあり、立つと応援しにくいということもあり、座ってライブを観ていた。席によって窮屈さを感じるところとそうでないところがあるようです。

ガチャがチャをやり、仙台駅のところの中華料理屋で食事。中嘉屋という中華料理の店だけど、なかなか美味しかった。それからホテルに戻りました。「なかよしや」と読むのかしら。

倉木さんのライブ日誌を見るとアーケード街のことが触れてあり、なんだかうれしくなったけれども、僕が行ったところとは違うアーケードかな。麻衣さんとデートしたい。つきまといなどを警戒し、早めに東京に戻りました。こういうところが残念なところ。つきまとうやつは気楽だけれども、つきまとわれるやつは大変だ。

みんな悪質な人権侵害をやっていても、平気。これが今の日本社会。


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