1月28日、倉木麻衣さんのライブが、熊谷文化創造館さくらめいと 太陽のホールで行われる。そのことについて書いてみます。長くなりそうだったら、前半と後半に分けます。僕はそのライブの前に学習院大学で行われる国際シンポジウム「見せるアジア、見せられるアジア―近代国家と博覧会・博物館―」の聴講をしようと考えていた。学習院大学は僕の出身大学だけれども、このシンポジウムは誰でも参加できる。僕の大お気に入りの彬子女王殿下の発表もあります。
寝不足気味。市原の倉木さんのライブのときも寝不足だったが、またか。朝、地震があり、早めに家を出たが、小田急線は地震と線路内に人が立ち入ったらしく、ダイヤが乱れていた。山手線の車内表示だと、高崎線や京急線などいくつかの路線でもダイヤの乱れが起きているそう。
僕は快速急行で新宿に向っていたけれど、車内ではわざとらしいアベック。ストーカーが好きなあの悪徳宗教団体の信者か悪徳政党の支持者か。こいつらは表面的に紳士面をしながらネチネチと陰湿な悪口を言いたがる傾向がある。僕はそのような光景を何度も見ている。この悪徳宗教の信者になったり、この支持政党の支持者になるとこんな人柄になってしまうのか。僕はその宗教や政党の支持者と見られることが多く、その悪質な噂は否定してもなかなかなくならない。その噂を流す人は、特別な人にもいるようだが、普通の人に多く、普通の人の意地悪さの深刻さには苦しめられることも多い。
10:00少し前に大学に到着。10:30から18:30までということもあり、倉木麻衣さんのライブに行く都合から最後まで居られない。大学の入り口に案内が貼ってあったけれど、見ると彬子女王殿下は第三部の登場。15:20分から。たぶん時間から計算すると、発表の持ち時間は、40分くらい。彬子女王の報告を聞いて、それから熊谷の倉木さんのライブに行って間に合うか。西門から入る。
会場は中央教育研究棟12階の国際会議場というところで行われる。この建物は以前あったピラミッド型の建物の後に建てられた比較的新しい建物だが、僕がこの建物に入るのは初めてのこと。1階にサブウェイが入っている。エレベータで12階まで行く。記帳を求められる。記帳し、資料を受け取る。資料はレジメなど。会場前に「写された近代東アジア」展の展示物があり、絵葉書や朝鮮博の資料、上海の土人形などが展示されている。それを見てから、入場。出口に近いイスに座る。
中央部には長いテーブルがあり、正面のスクリーンの左右には報告・発表する方、通訳の方の名前が表示されている。彬子女王の名前もある。彬子女王だけでなく発表の方は、最初からずっと参加。進行の方の挨拶の後、第一部が始まる。最初は史紅帥という中国の方。西安のことについて話していた。僕はときどき彬子女王を見ていたけれど、やはり魅力的でとても可愛い女性だと思いました。次の発表者はこのシンポジウムの主催の東洋文化研究所の村松先生の発表。「六駿」。僕はこの第一部は眠くなりつつ聞く。レジメを見つつ、発表を聞く。ときどき少しメモを取る。
後ろの人は熱心にメモを取っている。村松先生の後、東洋文化研究所の所長の方のお話。僕は心理学科出身だし、場違いなところに来ている気もするけれど、話は関心を持ちました。他の出席者の多くは、学術にしっかりと取り組んでいるのでしょう。この分野でなくてもいいけれど、僕もこういう道を歩むべきだったような気もしてくるが、そういうことはできなかっただろうし、今尚困難なことに多く苦しんでいる。この先、どうなることやら。
第一部終了。少し休憩。彬子女王と話している人がいる。敬語で話しているんですかね。よくわからない。尊敬語とか謙譲語とか、僕はうまく使いこなせない。僕も一度1階に行き、気分転換して、また会場に戻る。前の席の人は、年配の人だけれど、英文のレジメを読んでいる。徐々に聴講の人は増えてくる。熱心な学生も聴講しているようです。
第二部がスタートする。途中で気がついたが、前の席のもう一人は、福井学長のようだ。後姿だけだけれど、そんな気がした。違うかもしれない。たぶんそれまで居られないけれど、このシンポジウムの最後には福井学長の挨拶がある。彬子女王は福井学長の教え子と聞いた。大学の教員にとって、教え子が各界で活躍していく様子を見るのは、感慨のあるものなんでしょうね。
どうもパソコンの文字変換はおかしい。使いにくい。人為的なものか。
第二部は、アンガス・ロッキャーさん。ロンドン大学SOAS日本研究所長の方。ヨーロッパにおけるアジアのイメージについて。日本の万博展示の変化。ダブル・バインド。日本語でのお話。次はクラウス・ディトリヒさん。韓国の高麗大学の准教授。お話は英語で行われ、その後通訳の方が日本語で、を繰り返す。19世紀後半の万国博における「教育」について。模倣の話など。わりと平易な英語で、ゆっくり話しているのだけれども、僕は意味が取れない。残念。僕も英語の勉強をもっとやりたいと思いました。
午後2時半頃、フジテレビの腕章をつけた人が入ってくる。第二部が終了し、休憩。次の第三部の最初が、彬子女王の報告。彬子女王の報告の途中で退室というのも、やりにくい気がする。それならと考え、彬子女王の報告前に会場を出た。彬子女王の発表を聞くのが最大の目的だっただけに残念。またそのうち彬子女王の講座を受けたりする機会があるだろうか。何だか大きなヘマをやらかした気分。彬子女王は朝最初から参加されていた。やはり好印象。魅力的な女性です。皇室の方には僕は好感は持っていますが、彬子女王は、少し恋愛感情を持った気分。すっかり大ファンになりました。
彬子女王のレジメは目を通しましたが、他の人のレジメも後日目を通してみたい。彬子女王は現在立命館大学衣笠総合研究機構PD。立命館大学といえば、もちろん倉木麻衣さんの卒業した大学です。
大学を出て、目白に行くと、まだ午後2:50ころ。予想外に早い。池袋まで行き、一応列車ダイヤは調べていたけれど、埼京線や湘南新宿ライン宇都宮行きで、赤羽や大宮辺りまで行って乗り換えた方が早いのか、湘南新宿ラインの高崎方面に行く列車で行った方が早いのか、乗りなれないので迷う。結局15:25の高崎行きの湘南新宿ラインに乗る。前4両は籠原止まり。僕は前の方に乗っていたが、目的地が籠原なので、好都合。
17:25頃籠原につく。駅を出て、会場方面の出口から出ると、送迎バスの係員がいて、送迎バスがあるそうで、すぐに出るといっている。僕は走って行って、送迎バスに乗る。会場到着は17:35頃で、早めに目白の大学を出たこと、最寄の籠原駅から無料送迎バスがあったこともあり、順調に会場に着く。でもこの時間に着くなら、彬子女王の発表を聞いてから来ても、間に合った気がする。残念。がっかり気分。
ちなみに僕は倉木麻衣さんや工藤静香さんなどで、もう300回以上コンサートやライブに行っているけれど、開演時刻に間に合わなかったこと、終演時刻前に帰ったことは一度もない。ただ途中で客席を抜け、おしっこをして、また客席に戻ったことは通算で3回。1993年香川県民ホールの工藤静香さんのコンサートと、2004年北海道厚生年金会館と昨年2011年の大阪・柏原市民会館の倉木麻衣さんのライブ。
会場のレストランはあったがお客で一杯。会場のロビーに行くが、グッズを買うファンの行列が長い。行列の後ろの方の人は先行販売ではグッズを買えなかったのでは。熊谷は少し寒い。風もあるし。都内より、温度が低いようだ。僕は熊谷に来るのは2回目。電車で通過は結構あるけれど、ずいぶん前に埼玉博というのがあり、それを観に来たことがある。熊谷市のライブ及びこの会場に来るのは初めて。
USBをくれた人が今度は、DVD-Rをくれた。わざわざ、どうもありがとうございます。DVD-Rには、Mai-K ニコニコ 2012.1.11 と上方に書かれていて、下の方にTV 2011~2012と書いてある。どうやら今年の1月11日に倉木麻衣さんのアルバム『OVER THE RAINBOW』が発売されたときに放送されたTVの録画のようである。もちろん僕は観ていない。転居のときに、テレビは捨ててしまったから、僕の家にはテレビはない。帰ったらこのDVD-Rも観てみよう。
お昼ご飯を食べてないので、会場の隅の清掃用具など置いてあるスペースで買って置いたお菓子など食べる。入場整列に並び入場。今日の席は、2階席3列目6番。今年初の2階席です。ライブがスタート。ファンのパワフルな応援が印象的。2階席だと1階席や自分より前の2階席のファンの様子が目に入る。力いっぱいの応援といった感じ。みんな頑張っているようです。僕もまだ20歳代のころ工藤静香さんのコンサートで跳んだり跳ねたりしていたんですが、だんだんやらなくなりました。今やれば身体が鈍っているので、あちこちと足腰が痛みそう。この日は前の人が座っているので、僕は滅多にない機会だということで、ずっと座ってみていました。
アンコールのとき戦国武将のような風情のカメラマンたっちゃんが近くにいました。僕の横の親子や後ろの人は立っていました。熊谷のキャラクターのニャオザネとかいったかな(?)が登場。ライブは良かったと思います。ライブ終了。ロビーに行く。「ビーイングの薫大将」の”かおる中条”さんに似た人を見ました。でもスタッフのような格好じゃない。似ている別人が居るんでしょうか。出待ちはすごい行列。僕はもちろん並ばない。帰りの送迎バスもあるようで、そちらも乗車希望者の列。僕はそこに並びました。
乗車すると、そのあと青梅の人やその知り合いの人が乗ってきました。籠原駅に着く。21:13に上野行きがあるが、次の電車は湘南新宿ラインの新宿経由小田原行きが21:25にある。帰りは寄り道する予定もなく、僕は新宿乗換えなので、小田原行きに乗る。通路を挟んで前に青梅の人とその知り合いの人が座る。青梅の人と一緒の人はどうも印象が悪い。あの悪徳宗教の人やあの悪徳政党支持者と同じ陰湿な体質を持っているような気がした。これまでも他のファンとの交流に苦しめられたし、一応警戒。
新宿までほとんどうとうと。青梅の人と一緒の人はそのまま乗り、僕と青梅の人は新宿で降りる。青梅の人は中央線の立川方面のホームに行く。僕は小田急線ホームに行く。最寄り駅に着くと駅前のサンクスにより、から揚げ弁当とベーグル2個買い、家に帰る。帰ると時刻はやはり深夜0時頃。これだと市原のときと家に帰りつたのは同じ頃だということになる。新宿から乗った電車も同じ電車か。
市原と熊谷のライブで帰り着いたのが同じ頃。弁当など食べる。ブログのアクセスが24万アクセスを超えていたのでそのブログを書く。そのあと貰ったDVD-Rを観る。
以上、長くなりましたが、倉木さんの埼玉県熊谷のライブのことをブログを書いてみました。