Music Freak magazine5 ,MAY 2009 VOL.173に掲載された倉木麻衣さんのバイオグラフィーを、僕のことを照らし合わせながらざっと振り返ってみようと思います。
倉木麻衣さんのデビューは1999年。日本に先駆け全米でビュー。10月16日に最初の全米シングル。1999年というと僕が工藤静香さんのライブツアーに最後に参加した年でもあります。その年の秋に倉木さんは全米デビューだったんですね。そして12月8日記念すべき日本デビュー。デビュー曲は、「Love,Day After Tomorrow」。このころはまだ僕は倉木さんのことは全然知らなかった。
2000年セカンドシングル「Stay by my side」。僕が倉木麻衣さんをはじめて知ったのは、この曲のPVがテレビで流れているのを見て。でも、当時はまだ僕は熱心な工藤ファンであり、まだ倉木さんに対する関心はなかった。ファンになるまでの間、特に倉木さんの初期のときのことは僕はよく知らないことが多い。
6thシングル「Reach for the sky」。これはNHKの連続テレビ小説「オードリー」の主題歌だそうだけれど、当時は全然知らなかった。オードリーという番組も一度も見ていない。12月倉木さんのパーソナリティ番組[Mai-K TV]。もちろん僕はまったく観ていない。最近もう長く僕は他の倉木ファンのホームページは見ていないけれど、2004年の春くらいまでは、他のファンの倉木麻衣関連のホームページを見ていた。古くからのファンの人のホームページでこの番組の事が触れられているのを見たことがある。この当時すでにファンをやっていた人がうらやましく思えたものだった。
2001年4月に倉木さんは立命館大学産業社会学部に入学。6月9thシングル「always」。コンビニに行ったとき、この曲が流れていた。誰の曲かわからなかったけれど、いい歌だなと思った。後日倉木麻衣という歌手の歌だということがわかった。僕の倉木さんに対する関心が急速に強まって行ったのはこのころ。ちなみにこのCDを先に買って聴いたため、「Stand up」はこのCDに収録されたGomi's Disc 2001Mixのほうが当時「なじみ度」が高かった。
8月にはファンクラブ限定のライブ「You&Mai Groove2001」2公演。これは僕は行かなかった。なぜ行かなかったか覚えていない。すでにファンクラブには入会していたけれど、入会して間もないころで、その関係かしら。当時こういうライブがあったことも少ししか覚えていない。
「爽健美茶Natural Breeze 2001 happy live」。これは覚えている。でもチケットの申し込み方からしてわからず、行かなかった。もちろん当時はまだ工藤静香ファンとしてのウエイトがずっと高かったころだけれど。でもこのライブ行きたかった。10月ドキュメンタリーブック「Innocent Live」。これも7年半前か。
2002年1月から「Mai Kuraki ”Loving You・・・”Tour 2002」がスタート。このライブツアーの2月26日の横浜アリーナの倉木麻衣さんのライブ、このライブが僕が初めて行った倉木麻衣さんのライブ。当時19歳の倉木麻衣さん。初々しく、とても緊張している様子の倉木さん。ちなみに僕が工藤静香さんのコンサートに初めて行ったのは、1989年11月4日の東京厚生年金会館のコンサートで、当時工藤静香さんも19歳だった。別に19歳にこだわっているわけではなく、これはただの偶然。アーティストのコンサートに行ったのはそのときが初めて。11月3日もコンサートがあったけれど、それには行かなかった。11月5日の工藤さんのコンサートは行った。2日連続で行った。倉木麻衣さんのときも翌日2月27日の横浜アリーナのライブに行った。こちらも2日連続で行った。倉木さんは(happy daysの)親友が来てくれていますといっていたことは覚えている。その親友、当初僕のことかと思っていたけれど違ったようです。
7月に、Feel it キャンペーン・ライブツアー。これは行かなかった。10月からFAIRY TALE TOUR 02-03スタート。これも最初のうちまったく行っていない。やはりこのころはまだ工藤静香ファンのウエイトがずっと高かったころ。12月にパーソナルブック[myself music]。
2003年。GIZAバレンタイン・コンサートには行かなかった。FAIRY TALE TOUR 02-03の中盤以降。このライブツアーで行ったのは、4月20日のNHKホール2日目と4月28日の東京国際フォーラムホールAの2日目。6月10日の愛知県芸術劇場、11日愛知県芸術劇場、13日アクトシティ浜松、15日千葉県文化会館の6ヶ所。このころはもうずいぶん倉木さんにのめりこみ始めていて、ファイナルの千葉県文化会館は3階席だったけれど、すごく感激したことを覚えている。
4月、倉木さんが京都のFM局で、ラジオ番組をはじめた。僕はこのラジオ番組を聴きたくて一度関西に行ったけれど、うまく受信できなかった。そのうちまた関西に行ってこのラジオ番組を聴いてみようと思っていたら番組が終わってしまった。一度も聴けなかった。関西在住の倉木ファンがうらやましかった。
10月には京都学生祭典の平安神宮ライブ。行きたかったけれど、所用で行けなかった。同じ10月には「MAI KURAKI&EXPERIENCE Special Live」。10月22日の東京国際フォーラムホールAと10月28日の大阪厚生年金会館の2回ライブに行く。このときの東京国際フォーラムホールAの席が8列目。いつもだいたいこの会場だと後ろのほうになることが多い。この会場で10列目より前はこのときだけ。10月28日は倉木さんの心に触れてすっかり夢中になってしまったライブ。僕にとっては特別なライブ。3階席の一番後ろの席で感激しながらライブを見ていた。多分このとき僕の工藤静香ファンのウエイトと倉木麻衣ファンのウエイトが逆転した。Just A Little Bit、覚えている。
この日倉木さんのバースデーで、この年初めて倉木麻衣さんのバースデーBBSに参加し書き込む。不老長者とイクラ巻き。イクラ巻きかそれに似たハンドルネームはその後別の人が使用していた。ハンドルネームを二つ使用はそのときだけ。僕は倉木麻衣バースデーBBS以外、一切の掲示板、BBS、ミクシ、他の人のホームページ、ブログのトラックバック、コメントには書き込みをしません。
僕は当時の職場でいじめ嫌がらせに泣かされていて、このころは徐々に退職する気持ちが出てきていた。辞職すればいじめ嫌がらせから逃れられるのではないかと考え始めていた。
12月倉木麻衣さんが紅白歌合戦に初出場。東寺で歌う倉木さん、寒そうでした。僕はその後観光で東寺に一度行き、倉木さんが歌っていたと思われる付近をうろつきました。僕の気持ちのウエイトの大きさが工藤さんから完全に倉木さんに移行してしまったこと、いじめ嫌がらせのことなど考え、この年2月に工藤静香ファンをやめることにし、ファンクラブを退会しました。工藤静香ファンは14年と少しの期間でした。(工藤ファンについては昨年2008年末に復帰しました。)
2004年4月から38公演の「Mai Kuraki 2004 Live Tour Wish You The Best~Grow Step by Step~」スタート。仕事をしながら休日、有給休暇、宿明などを利用してライブに行く。僕が倉木さんの一回のライブ・ツアーに全部行ったのはこの年がはじめて。ちなみに一回のライブツアーで10公演以上のライブツアーで、僕が全部行ったのは、工藤静香さんの1992年と1999年、倉木麻衣さんの2004年、2005年、2006年。(倉木さんの2008年は台湾の公演を含めたとして、工藤さんの1993年は海外公演を含めたとして。)
当時もう付きまといなどの嫌がらせがちらほらあったころ。僕がこの2004年の倉木麻衣さんのライブツアーに行ったこと、信じない人がいるようだ。そうだとすると、この年しつこく僕にいじめ嫌がらせをした人はもういなくなってしまったのだろうか。ツアースタートは、尼崎アルカイックホール。思い出します。僕は2階席最後方の端から2番目の席、でも一番端の人はいなかった。楽しいライブだったな。
次のびわ湖ホール。僕が会場に行くと、マイク・リーさんに似た人が携帯電話で話をしていた。なんだか変だなと思った。本当にマイク・リーさんならファンに囲まれていてもよさそうなのに。僕は3階席の一番後ろで踊りながらライブを楽しんでいた。その次の京都会館も2階席だった。
部分的にだけれど、どの会場も覚えている。神戸は立見席だったけれどすごくよかった。長野では倉木さんは善光寺に行ったんですよね。僕も行ったけれどちょっと時間がずれたいたようです。福井以降それまでカプセルホテル・サウナ宿泊が多かった僕がホテル宿泊が多くなった。一日目は2階席だった横浜。倉木さんのライブに今まで行った中で唯一途中で席を離れた北海道。ミコラソンでしたねあの時歌っていたのは。倉木さんが転んでしまった秋田。単独100公演の仙台。三階席の松戸、ライブ後のファンの行動が?。ファイナルの東京国際フォーラムホールAのあと自宅に帰り、倉木さんのブログを見て、初めて出待ちイベントがあったことを知る。ちょっとショックだった。
この年の8月末。いじめ嫌がらせに苦しみ、とうとう退職。これでいじめ嫌がらせから開放されるかと期待を持った。
10月Rits倉木麻衣メモリアルライブ2004。退場に時間がかかりすぎたように思うけれど、その点を除くと、僕はこのライブはとてもよかったと思う。倉木さんが緊張しているのが伝わってくるようだった。花火もあった。最後に倉木さんが手を振ってくれたのもうれしかった。
2005年3月、倉木さんは立命館大学を卒業。7月僕は都内から千葉幕張に転居していたがまた都内に再転居した。倉木麻衣さんのライブは9月から。スタートは奈良。チケットが手にはいらず、オークション利用。入手したのはファンクラブのチケットで「ニ」列。てっきり2列目だと思い喜んでいたらカタカナの「ニ」列で、4階席だった。長崎から鳴門の移動には時間がかかりました。鳴門のあと高速バスで淡路島を渡り大阪経由で帰りました。大阪市内でバスの窓から犬を散歩させる女性が見え、倉木さんとキャスパーさんを連想しました。大阪城ホールのライブのとき、トニー・コートウェルさんに似ている人を見かけた。歩きながら携帯電話で何か話していた。日本武道館でファイナル。
2006年4月コスモ・アースコンシャス・アクト・アースデー・コンサート。僕も行きました。倉木さんは積極的にエコに取り組んでいるようです。6月僕の育ての親ともいえる祖母が亡くなる。ほぼ孤立無援状態成立か。付きまといつけ回しなどの嫌がらせは続く。
8月から「Mai Kuraki LIVE TOUR 2006 DIAMOND WAVE」。スタートは波切ホール。駅のところにいたおばあさん、お元気でしょうか。ここも3階席で立ち見。見下ろすような角度。次の三木市文化会館。一階席しかない会場。関西地区での屋内の倉木さんのライブでは、初めての一階席。これまでまったく単独行動の僕に、川口のトラックの運転手が話しかけてきたのは佐賀でした。これ以降若干他のファンの交友ができた。ただ僕に対する他のファンの態度、僕に関するデマ、それに伴う対応などから、僕は他のファンがあまり好きでないし、すごく迷惑に感じているファンもいる。他のファンとの交友には僕はきわめて消極的。
僕は大分県育ちだけれども、大分でも意地悪な付きまといがちらほら。宇和市もよかったですね。広島松山の移動ときは台風が来ていたとか。僕も行っていたけれど、まるで気づかなかった。9月28日の輪島市文化会館は、僕が倉木麻衣さんのライブにいった中で、唯一の最前列ど真ん中。大感激です。輪島市の方ありがとうございました。射水もよかったけれど、帰りに目の前で交通事故がありました。糸魚川は倉木さんが釣りをしました。雨が降りました。ファイナルはさいたまスーパーアリーナでした。
11月に大分に行く。もしかしたら大分で再就職の可能性を考えたから。でもいろいろ考えて止めた。そのとき以来一度も大分に行っていない。東京に戻ると居住に不満があったので神奈川県に転居。12月末カウントダウンライブ。僕はファンクラブでチケットを申し込み落選、一般発売でもチケットを入手できず、オークションの利用。2階席の後方でライブを観ていた。
2007年倉木さんは活発なアジア活動。10月から倉木さんの出身校立命館をはじめ三大学でキャンパスライブ。12月に3公演の「LIVE TOUR 2007~BE WITH U~」。大晦日はカウントダウンライブ。
2008年以降は省略。前にブログに書いたことの繰り返しが多いけれど、倉木さんのバイオグラフィを見て、懐かしく思い出されたことを中心に書いてみました。僕はいじめ嫌がらせに苦しめられているけれど、でも倉木さんのライブに行ったことはやはり楽しい部分もたくさんあって、よかったと思う。倉木さんのファンになれて本当によかったと思う。
このバイオグラフィは、ファンクラブイベントは出ていないものが多いですね。2007年の京都のフリーライブも抜けているし、ほかにも抜けているものがあるかもしれない。僕がファンになる以前のこと抜けていたら、僕もよくわからない。でもこのバイオグラフィー、結構詳しいのでうれしいです。バイオグラフィを見ているうちにまたいろんなことが思い出されてくるでしょう。