かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

工藤さんの昔の家を訪ねたことと工藤ファンに戻ること

2008-12-28 10:28:00 | 雑談

何度も言っていることだけれども、僕は以前工藤静香さんのファンをやっていた。1989年11月にファンクラブに入会し、2004年2月に退会した。今僕は倉木麻衣さんのライブに活発に行っているけれど、それを上回る回数、工藤静香さんのコンサートに行った。倉木麻衣さんのライブに行った回数はもう100回をずっと越えた回数。それでも工藤静香さんのライブに行った回数には、及ばない。まさに、僕にとって一時代であり、大きな存在の人であったと思う。

工藤静香さんのファンは一応辞めたのだけれども、この問題でも複数の方向からと思われる、デタラメな噂が撒き散らされていて、僕自身苦しんでいる。お金、再就職、日常生活、多方面からのいじめ、嫌がらせ、そして倉木麻衣さんのファン活動にも悪い影響が。

八方塞といってもよさそうなこの状況を考え、これまでのことを反芻するなかで、工藤ファン時代のことが思い出されてくる。久しぶりに工藤静香さんが昔住んでいた家に行ってみようと考えた。工藤さんが昔住んでいた家は、東京の西のほうにある。僕は小田急からJRを乗り継いでいった。電車内はいつものように悪辣な人間どもの付きまといオンパレード。

電車内で携帯で競馬の話をするじじい。翌日が有馬記念だからかな。僕が暗示にかかって真似して競馬でもやると思っているのか。もしそうなら、暗示とか、真似とか、そういうことをよくわかっていないのだろう。郵便局員並みの大馬鹿どろどろおじさん。僕に関する噂を安易に信じているのだろうか。でもこういう人は多い。いまどきの日本人の心ということか。今度は英語の文法のテキストを持つ高校生ふうの男。僕と無関係なら気にしないんだけれど、どうだろうか。いまどきの中高生にも悪いやつは多い。変な女も。うんざりしながら、某市のある駅に着く。

この駅に立つのも久しぶり、10年以上の久しぶりかな。通算で3~4回目。一度は他のファンと集団で来た。そのあとあの事件か。最後に来たのも覚えていないけれど、たぶん10年以上の久しぶりのはず。駅が変わっていた。立ち食いそば屋がある。以前来たときは、階段の下にそば屋があったけれど、場所が変わっている。その後、○○○○の味○○に行こうと思った。工藤ファンの方ならご存知の方も多いでしょう。あの店。

久しぶりで、大体このあたりだったはずということで行ってみたけれど、場所がわからない。お店なくなったのかな。もうずいぶん前だから。結局お店はわからず、工藤さんの昔住んでいた家に行く。これはさすがにすぐわかった。隣に黒い車が止まっている。人がいるけれど、なんだろう。家の色は以前と違って。それに○○。しかしこれだと、工藤さんのファンが昔懐かしんで来たとしてもすぐわかるよ。これ工藤さんのアイデアなのかな。

昔工藤さんのお母さんが経営していたお店。違う店になっていたけれど、今回行くとまた違う店になっている。黒い車は去る。家のところに戻る。感慨深いものがあります。○み○児童公園に行く。高校生がいる。意地悪されてもイヤなので去る。にぎやかな一角を歩く。また○み○児童公園に戻る。僕はこの公園の名前を知らなかったけれど、そういえば工藤さんのコンサートのとき、工藤さんが○み○○○は投げないでとか言っていたな。この公園の名前が元ネタになっていたのかな。工藤さんが以前ニッポン放送のラジオ番組をやっていたころ、この公園について言っていたことがあったな。

工藤さんは、ここの地名を挙げてここの水はおいしいとか言っていたな。しばらくすると犬を散歩させる人がいた。かわいい犬。お散歩させてもらえて大満足のようです。そういえば工藤さんも犬を飼っていた。バーボン、シーボー、モンロー、もう一匹いるとか聞いていたけれど、見たことはない。シーボーは亡くなったと聞いている。バーボンとモンローはどうしているだろう。工藤さんはよく地方のコンサートにも犬を連れてきていた。モンローは片目になっていたけれど。そういえばモンローって東京駅でウンチしたんだ。工藤さんが後の処理をしていた。いつだっけな、あれ。

工藤ファンやっていて楽しかったころだな。遠い昔になったかな。近くにはビールの空き缶が。エビスビール。まあ、僕を狙ったのだろうか。わざとか、偶然か。確かに工藤さんのラジオ番組の中で、工藤さんが「エビスビールっておいしいよね?」などといっていたことはあるけれど。ついそういうことを思い出す。ベンチに座りながら、僕は工藤静香ファンに戻るかどうか考えていた。それにしても僕についてはデマやそれに沿ったいじめ嫌がらせが多い。工藤ファン時代のこともデマや、攻撃にさらされている。

2004年2月ころ、すでに僕は倉木さんに対して、猛烈に関心が強くなっていた。工藤さんは結婚していて、ライブなどなく、ファンクラブの会報など一部を除くと、僕と工藤さんの接点はなくなりつつあった。僕自身工藤さんの対応を見ていて、あまり好意的に見られていないのかな、と感じていた。徐々に工藤さんへのファン活動が停滞しつつあるとき、急激に僕の心を捉えて行きつつあったのが、倉木麻衣さん。職場その他でのいじめ、苦しみもひどくなり。僕は倉木麻衣ファンで行こうと考え、工藤ファンを辞めることにし、ファンクラブも退会。

倉木ファンの最初のころはやはり楽しかった。もちろん今でも倉木麻衣さんは大好き。ただ、倉木ファンになって、付きまとい、付け回しなどの嫌がらせはエスカレート。他のファンから意地悪されることも多々。イベントスタッフの態度もおかしい。工藤ファン時代態度の悪いイベントスタッフはいたけれど、ファンの集団に対してのもので、僕個人を狙い撃ちにしているという印象はなかった。でも倉木ファンになってから、なんだか僕個人を狙っているとしか思えないような態度で、スタッフは意地悪をしてくる。わけのわからない、誰だかわからないファンから、会場やその周辺でおちょくられることもたびたび。

どうも倉木麻衣さん自身僕をを信用していないのではないか。ずっとメッセージを送ってきたけれど、伝わらないだけでなく、真意とかけ離れた解釈をされているのではないか。とても寂しく感じていました。この点は工藤さんでも同じかもしれない。工藤さんも僕を信用はしてくれていなかったかもしれない。仕方がないといえば仕方がないのかもしれないけれど、八方塞、いじめ嫌がらせのオンパレードのなかで、状況を打開するきっかけがあれば。

僕が工藤ファンを辞めたころ、メールも送ったこともなかった。泡沫ファンとしての自覚しかなかったけれど、僕もそれなりに工藤ファンとして活動していたし、メッセージも残さず、挨拶もせず、いきなり工藤ファンを辞めてしまった。もっと違うやりようがあったようにも思う。工藤ファンに戻るかどうしようか。戻ろうか。別に倉木ファンをやめるわけでない。

工藤ファン時代は、今のようなインターネット全盛時代ではなかったけれど、もっと工藤さんと意識してコミュニケーションをすればよかったか。倉木さんに対しも、そのことも含め、信用してもらえるようになるかどうか。いろいろ考えていた。夕方5時近くになる。

近くのラーメンハウス○○く○に行く。工藤ファンならご存知の方もいると思うけれど、そうですね、工藤さんが小さいころ食べたというお店。僕も10年以上前一度来ました。そのときは味噌ラーメンを食べました。今回は塩バターラーメンにしました。おいしいですよ。お店にはもう一人お客。ミシガンなんて書いた服。お店を出て駅へ行く。

乗換えで家に帰る。電車内はわざとらしい付きまといのオンパレード。いまどきの日本人だねえ。家に帰り飲酒。さてこれから。工藤さんの関係では、ここまでやってファンは辞めました、というのもどうか。やはりファンに戻る方向で考えよう。工藤さんの存在はやはり僕には大きい。倉木さんの信用を得るのは難しいかもしれないけれど、いつかそのうち。それに過去に工藤ファンだったことを明かすのは、倉木ファンとしては不利なのかな。でも本当のこと、たとえそれが自分にとって不利であったとしても、軽々しくなかったことにできるような問題ではないし、僕は工藤静香さんのファンだったことは認める。

工藤ファンに戻るのは、2008年12月28日、今日から。今僕が、ファンをやっているのは、倉木麻衣さんと倉木麻衣さんの妹のキャスパーさん、工藤静香さんの3人です。このブログは、今現在倉木麻衣さんのファンとしてのブログになっています。時々工藤さんについて触れることもあるとは思いますが、当面このブログはこれまでどおり倉木麻衣ファンとしてのブログとして続けます。

一部文章訂正しました。

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