趣味の写真帳

過去に撮影した蒸気機関車から最近撮影した電気機関車まで、鉄道写真が中心ですが時々鉄道以外の話題も...

宇宙博を見学

2014-09-20 07:00:00 | ノンジャンル
 9月16日(火)に幕張メッセで開催中の「宇宙博2014」を見学してきました。
 
 こんなところ(国際展示場10、11ホール)で開催してました。


 入口の巨大な看板。後に京葉線が走っていますが、看板が大きくてほとんど見えません。


 宇宙博の目玉はNASAの有人宇宙船の数々でした。
 沢山展示されていましたが、これはジェミニ計画で使用された二人乗りの宇宙船のレプリカです。


 レプリカですから、コックピットの中も精巧に出来ていますね。


 これはアポロ17号の司令船(のレプリカ)です。
 天蓋のようなオレンジ色の物体は、地球帰還の着水時に実際に使用されたパラシュートで、焼けたり穴が明いたりしている様子が見てとれます。 


 司令船の内部。
 本物と同じ模型を作って、操作のシミュレーションを行ったり、居住性などを調べたのかも知れません。 


 スペースシャトルの模型と、後方は実物大の頭部の模型。


 スペースシャトル(アトランティス号)のコックピット(の模型)。


 この展示会は、人間が宇宙に飛び出していった歴史を、主としてハードウェアを通じて回顧する展示会だったのですが、隅の方にハッブル宇宙望遠鏡の模型も展示されていました。

 そして、ハッブル宇宙望遠鏡で撮影した銀河などの綺麗な写真も何枚か展示されていました。
 自分はどちらかというと、宇宙船よりも星雲や銀河の写真といった、天文学の方に興味があります。

 火星探査車キュリオシティの実物大模型。
 これが今火星に居るわけですね。


 会期後半の平日だったので、空いていてゆっくり、じっくりと見学出来ました。
 他にも沢山の模型や実物が展示されていましたが、とても紹介しきれるものではありません。
 


赤いカシオペアと白い北斗星

2014-08-17 07:00:00 | ノンジャンル
 タイトルを読まれて、何のこっちゃ? と思われた方も多いかも知れませんが...

 暫く前にSH400様からメールが来て、「ワインのラベルにする北斗星とカシオペアの写真が無いか?」との事だったので、それぞれ数枚送ったところ、そのうちの2枚が採用されて、このほど出来上がったワインを送って頂きました。

 赤ワインは青罐のカシオペア、白ワインは銀罐の北斗星でした。

 これらのワイン、上野駅13番線ホーム入口付近のWINE&DINE上野店で販売されているようです。(夏休み特別企画とのことで、数量限定かも知れません)

 こんなところとか、

 あるいは、こんなところで、

 ワインでも飲みながらノンビリと車窓風景を楽しみたいものですね。

星空を撮ってみました

2013-02-14 12:00:00 | ノンジャンル
 mei-nyanさんのブログIn My Lifeで、いつも綺麗な星空の写真を拝見していて、一度撮影して見たいと思っていましたが、やっとそのチャンスが訪れました。

 2月9日の夜から朋友O氏のお誘いを受け、Tさんと3人で再び夜間撮影に挑戦して来ましたが...
 列車の待ち時間にふっと頭を上げると、満天の星空に北斗七星がクッキリと見えていました。これは撮影しない手はないと...(笑)

 このままの大きさだと良く見えないので、写真をクリックして拡大してご覧下さい。

 北斗七星、またの名を北斗星...列車ではしょっちゅう撮影していますが、本物は初めてかも...

 見上げた星空の中では、北斗七星はそれほど大きく見えませんが、カメラで覗いてみると標準レンズ(50mm)でほぼ一杯に写ります。見た目よりも意外と大きいんですね。
 北極星まで入れたかったので、広角(24mm)で撮影しました。

 前回は全滅だったあけぼのの写真も何とか撮影出来ましたので、それらは何れアップしましょう。

我がカメラ遍歴

2013-02-03 12:00:00 | ノンジャンル
 毎年2月には横浜でCP+があり、今年は少し早めの開催でしたが、一昨日(2/1)ちょこっと見学してきました。
 日本カメラショーと銘打って日本橋高島屋で開催されていた頃とは、当たり前ですが隔世の感がありますね。
 各社のブースに並んで、日本カメラ博物館のブースには歴代のカメラグランプリ受賞カメラが並べてありました。
 第1回が1984年のニコンFAで、2012年の第29回ニコンD800まで、受賞したカメラはやはりその時々の最新の技術が詰まっていたと感じました。

 そんな歴代のカメラに刺激をうけた訳でもありませんが、ふっと思い立って(現在までに)いつ頃どんなカメラを使っていたか、自分の備忘録として纏めてみました。
 大した中味がある訳でもないので、他人の使っていたカメラなんかどうでも良いという方は飛ばしてください。


 いままでに使ったカメラをグラフにしてみました。(下方4機種(点線)は自前ではなく、借用して撮影したカメラです)
 横軸が西暦年で水色のラインはフィルムカメラ、オレンジ色のラインはデジタルカメラです。


 初めて手にした35mm一眼レフカメラは、高校の入学祝いとして1965年に父親に買ってもらったミノルタSR-7で、露出計内蔵の当時としては最新のカメラでした。
 暫くの間はロッコール58mmF1.4の標準レンズ1本だけでしたが、あの頃は被写体は何でも、写真を撮るのが実に楽しかったですね。
 その後、大学に入ってアルバイトで稼いだお金でミノルタSRT101を増備、レンズもロッコール28mmF3.5と135mmF2.8を加えて3本となりました。

 1972年、大学の友人から借りたマミヤC220(6×6判二眼レフ)を使ってみて、フィルムサイズが大きくなるとこうも画質が良くなるものかと衝撃を受け、社会人になった最初の年にC220(セコール80mmF2.8付き)を購入しました。
 C220はブローニーフィルムを使えるカメラの中では当時一番安価で、しかもレンズ交換出来るのが魅力でした。
 入社してから蒸気機関車が無くなるまでの数年間は、給料のほとんどが撮影のための旅費、フィルム代、現像代、そして幾許かの撮影機材に費やされました。
 C220用の交換レンズもセコール55mmF4.5と250mmF6.3が増備されていました。55mmレンズは広角レンズになりますが、なかなかシャープな写りで気に入ったレンズでした。

 蒸気機関車末期の頃はフジカGM670(フジノン100mmF3.5)やブロニカS2(ニッコール75mmF2.8、200mmF4)を借用して撮影したこともありましたが、やがて蒸気機関車が終焉を迎えると共に、上記のカメラの出番も少なくなり、1983年までは事実上休車状態で、C220用交換レンズ3本にカビを生やして修理したこともありました。

 ゴハチがそろそろ引退という1984年、再び線路際に復帰した時はC220がメインで、サブは妻の持っていたキャノンEF(レンズはFD50mmマクロF3.5、28mmF2.8、135mmF3.5の3本)、時々借り物のフジカGW690(フジノン90mmF3.5)やブロニカS2を使っていました。
 でも、蒸気機関車と違って電気機関車はスピードが速く、C220やGW690の最高速1/500秒では列車は止まりません。

 1988年になって念願のペンタックス67を導入、レンズも105mmF2.4、165mmF2.8、200mmF4が揃って、これが主力機種となります。
 ...が、67は重く大きく、ちょっとした撮影にはやはり35mm一眼レフが欲しくなり、1993年に丁度出たばかりのキャノンEOS5QD(28-105mmF3.5-4.5付き)を増備、暫くの間、この2機種での撮影が続きます。
 そう言えば、あまり使いませんでしたが、EOS5には視線入力AFが付いていました。そのためか、1993年にカメラグランプリを受賞していますね。

 暫くしてEOS5用に望遠ズームレンズのシグマ70-210mmF2.8を追加、昔からの憧れであった200mm望遠レンズにやっと到達しました。
 67の200mmは35mm換算100mmで、望遠効果はイマイチ不足でしたので、やがて67用に2倍のリアコンバータも追加されました。
 
 ペンタックス67は酷使に耐えていましたが、流石に老朽化したので2003年に67IIを増備し、これが本務機となりました。

 この頃にはデジタルカメラの性能も大分良くなってきていましたが、デジタル一眼レフは手が届く値段ではなく、未だフィルム優位という気持もあってデジタルカメラが欲しいと思うことはありませんでした。
 でも、周りでデジタルカメラを使っている人が徐々に増えてきて、コンパクトカメラなら手が届くこともあり、キャノンパワーショットG5が次のG6に切り替わる頃(2004年)、安くなったのを見計らって購入しましたが、使ってみるとこれが結構面白くて...初めて一眼レフを手にした頃の、写真を撮る面白さを思い出させてくれたカメラでした。

 そして2006年、遂にデジタル一眼レフ、キャノンEOS20Dの配備となりました。これは友人から譲って頂いたものでした。
 それまで使っていたEOS5はその時点でお役ご免、シグマの70-210mmズームレンズもEOS20Dでは使えないので、純正の70-200mmF4を導入しました。
 1年間ほど20Dを使ってみて、すっかりデジタル一眼レフの便利さに慣れましたが、未だ67IIが主力でした。

 ただ、何れはデジタルカメラのフラッグシップ機を...という思いもありました。
 そんな折、2007年にニコンからD3とD300が発表され、そのスペックの高さに衝撃を受け、これはマウント変更も辞さず...指令を拝み倒し、なけなしの貯金も取り崩してD300を導入となりました。
 最初はニッコール24-70mmF2.8レンズ1本でしたが、直ぐにシグマ100-300mmF4を追加、やがて67IIの出番は少なくなり、2009年にD3Sを増備してからは67IIは完全に引退となりました。

 昨2012年、D800Eを増備するとともにD300は友人のところへ嫁入り、レンズの入れ替えや増備が有って...これが現在の我がシステムです。

 DSLRボディが2台、ズームレンズ4本、単焦点レンズ1本、テレコン3本、そしてこの写真を撮影しているパワーショットG11です。 

 デジタル化になって、更新サイクルが短くなっているのがグラフにも如実に現れていますが、今のシステムでほぼ満足していますので、もうずっとこのままかも知れません。
 ...と言うことで、2013年以降も使い続けるつもりで、デジタルカメラ3機種はグラフが延長してあります。
 レンズの方は沼に填り損ないで、未だ未だ欲しいモノがあるのですが...

 D3Sは連写や高感度が必要なとき、D800Eは標準~広角での風景的な撮影やクロップしての超望遠撮影...と、どちらが本務機と言う事はなく場面に応じて使い分けています。
 また、パワーショットG11はスナップやメモ帳代わりで重宝しています。

 大分前に撮影機材の話として2本ほど記事を書きましたが、こうして見ると、現在は随分状況が変わりました。
  2006/9/7:撮影機材の話(1)
  2006/9/8:撮影機材の話(2)

チラッと見えました!

2012-06-06 13:04:54 | ノンジャンル
 チラッと見えました!
 何がですって?
 太陽ですよ。(^O^)
 
 さいたま市は小雨が降ったり止んだりでしたが、お昼過ぎに一瞬、太陽が雲間から顔を出しました。
 今日はダメだろうと何も準備してなかったので、急いで庭に三脚とカメラをセットしましたが、一番良く見えていた時は撮り逃がしました。
 でも、何とか1枚、太陽表面を通過中の金星の写真を撮る事が出来ました。


 太陽表面の黒点もいくつか写っていますね。

 金星の太陽面通過、次は105年後とのことなので今回見られて本当にラッキーでした。(^-^)


 2012年6月6日12時21分撮影

金環食を撮ってみました

2012-05-21 09:40:15 | ノンジャンル
 今日は朝から天体ショウを鑑賞です。
 隣近所の方々も庭やベランダに出てきて、賑やかな朝になりました。(笑)
 孫もやって来て、日食観察用のメガネを使って観察しましたが、自分は庭に三脚を据え、金環食を撮ってみました。

 子供の頃、父親がガラスに煤を付けて見せてくれたことを朧気に覚えていますが、今から考えると目には良くなかったのでしょうね。
 あの時は金環食ではなく部分日食で、金環食を実際に見たのは今回が初めてでした。
 さて、4歳前の孫の記憶はどのくらい残っているでしょうか...
 
 6時半過ぎ、太陽の右上が欠け初めた頃は青空でしたが、7時過ぎにはどんどん雲が出てきて...
 それでも結構良く見えるものですね。
 と言うか、雲が有ったので写真は撮り易くなり、いつも流し撮りに使用しているNDフィルター(3絞り分減光)で撮れました。

 金環食少しまえ(7時28分)

 朧月夜を見ているようです。

 金環食(7時35分)

 さいたま市ではリングが完全に均等ではなく、下の方が少し狭くなっています。

 金環食少し後(7時39分)


 NikonD800E 70-200/2.8G+2.0TC ND8使用(DXクロップしているので600mm相当です)
 ISO50、1/8000秒F8 露出補正-4.0

 最初はヒガハスで列車と一緒に金環食を撮れないかと思っていましたが、試しに太陽を撮ってみたら周りの風景は全く写らず、ダメですね。
 田圃に写った太陽なら列車と一緒に撮れたかなぁ...
 
 2012年5月21日撮影

都内で暑気払い

2011-08-15 20:15:08 | ノンジャンル
 昨14日は完全非鉄でちょこっと都内へ...

 先ずは上野で降りて、国立博物館へ。
 平成館で開催中の「空海と密教美術」展を見学です。
 お盆期間中は比較的空いているかと思いきや、やっぱり込んでいましたね。

 学生時代に東寺(教王護国寺)を見学して、当時は深く考えませんでしたが、密教の考え方は、四方仏の考え方とは随分違っていますね。

 四方仏:東に薬師如来、南に釈迦如来、西に阿弥陀如来、北に弥勒菩薩を配する考え方です。
 これが、密教では諸仏の中心は大日如来です。
 大日如来を中心に諸仏との関係を図解したのが、所謂曼荼羅ですね。
 東寺の講堂には、大日如来を中心に沢山の如来や菩薩、明王などが並んでいますが、これは曼荼羅を立体的に表現しようとしたものです。
 このうちの何体かが、今回の展示のハイライトとなっています。

 残念ながら館内は撮影禁止ですので写真はありません。
 イメージということで、国立博物館本館で撮影した普賢菩薩の写真を貼っておきます。(「空海と密教美術」展の展示物ではありません)


 四方仏の考え方はスッキリしていて理解し易いのですが、密教の考え方は、もっともっと勉強しないと理解出来ないということが理解出来ました。(;^ー^A



 その後は山手線外回りに乗って恵比寿ガーデンプレイスへ。


 連れ合いが新聞記事で見つけたヱビスビール記念館の見学ツアーが目的です。


 中へ入ると恵比寿様がお出迎え。
 正面には大きなポットスチル? ビールは蒸溜酒じゃないから違いますね。麦汁を作る釜かな?
  

 下へ降りてカウンターで1名500円なりを払って見学ツアーに申し込み。
 少し待って、ツアーに案内してくれるお姉さん(ブランドコミュニケーターと言うらしい)がやって来て、エビスビールの歴史を学ぶツアーの開始です。

 ご存知の通り、恵比寿駅はエビス(ビールの名前)が由来です。
 写真の駅は、現在の恵比寿駅とは少し離れていた様ですね。

 そう言えば、恵比寿ガーデンプレイスが出来る前は、工場の引き込み線跡?にゴハチと数輌の客車が置いてあったなぁ...

 見学コースにはこんな看板やポスターなども何枚か...


 昔のビールはワインのようにコルク栓だったんですね。

 王冠になったのは明治の末頃とのことです。
 ちなみに、ビールのおつまみ人気ナンバー1は枝豆、2位がソーセージとの事です。(3位は聞かなかった)

 1972年というと会社に入った年ですね。
 こんなプレゼントがあったの全然知らなかったなぁ...

 でも、キャンペーン期間中に家庭で500本飲むのはちょっと大変、5000本となると先ず不可能ですね。

 見学が終わると、いよいよお待ちかねの試飲です。
 普通のエビスと琥珀エビスをそれぞれグラス一杯ずつ試飲出来ます。(おつまみとして、塩エンドウ豆の小袋付き)
 試飲中に、引率してくれたお姉さんが缶ビールの美味しい注ぎ方を実演してくれますが、ジャンケンに勝てば注いでくれたビールも飲むことが出来ますよ。

 試飲が終わって出てきたところにはテイスティングサロン(有料)があり、4種類のビールが呑めると言う事で、寄らない訳には行きません。(笑)
 結局全種類(2種類は既に試飲済み)を味わって、ほろ酔い気分で帰ってきました。


 2011年8月14日撮影
 

こんなもの買ってきました

2011-07-03 21:09:09 | ノンジャンル
 今日は自宅で休養中でしたが、家の中も30度以上...
 熱中症にならないように28度設定でクーラー入れましたが、全然涼しくないですね。
 必然的に水分を多くとりすぎて、胃酸が薄まり食欲が無くなって...

 連れ合いがこんな物を買ってきました。
 最近TVでも話題になっているとのことですが、全然知りませんでした。
 今までは大宮の盆栽町付近でしか売っていなかった様ですが、最近近所のスーパーにも出始めました。

 甘さ控え目で炭酸多め、盆栽の松のトゲトゲのような刺激的な味だとか...
 (未だ呑んでいないので、わかりません)


 これだけでは何なので、少しでも涼しげな画を付けましょう。

 大分前に拙HPに掲載した写真ですが...
 恵比島駅に停車中のディーゼルカー、1974年の大晦日の撮影です。
 大雪でなかなか発車出来ないようでした。
 この後同じホームで撮影した写真はこちらです。



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早期の復興を祈ります

2011-03-13 18:08:27 | ノンジャンル
   
 今日は、窓の外には陽光が差していて、風もなく暖かで穏やかな日でしたが、もう一つの窓(TV)から見える映像は目を覆うばかりでした。
 津波で壊滅した集落、2日経った今もなお燃え続ける町、そして原子力発電所のトラブル...これが同じ日本で起こったこととは、にわかには信じられません。

 常磐線の新地付近?では92レが津波に巻き込まれた様子がTVに映し出されていました。
 被災した機関車は最近復活したばかりのED751039の様です。

 原発のトラブルも大変深刻な様で、何度か撮影に訪れたことがある、原発付近の駅名や町名を聞くと心が痛みます。

 被災地の状況に比べたらちっぽけな事なのですが、さいたま市でもガソリンの売り切れたスタンドが続出の様子、スーパーマーケットへ行っても品物の入荷が無く、棚が空っぽのコーナーが目立つ様になりました。

 ブログには書きかけの記事もあるのですが、落ち着いたらアップすることとします。

 亡くなられた多くの方々のご冥福を祈ります。
 そして被災地が一刻も早く復興することをお祈りします。


大地震被災お見舞い

2011-03-12 06:23:05 | ノンジャンル
   
 東日本では各地で地震が頻発し,さいたま市でも今も余震と思われる揺れが続いています。
 TVニュースを見ていると,時々写真撮影に伺う常磐線沿線でも大きな被害が出ているようで,福島県や宮城県などの被災された方々には心からお見舞いを申し上げます。

 福島県にいらっしゃるJZX81様,おかん様,めい様...ご無事でしょうか?



 昨日のM9.0の地震は62年の人生の中でも経験したことが無い強い揺れでした。(さいたま市は震度5+?)
 地震が発生したときは在宅でしたが,スタンドアローンの本棚が相当揺れていたので倒れないように必死で押さえていました。
 もちろん,倒れても避けられる位置で押さえていました。

 連れ合いは液晶TVの揺れが酷く,これを押さえていましたが,二人とも比較的冷静に対応が出来たと思います。
 件の本棚は天井との間に突っ張り棒を2本セットしてありましたが,そのうちの1本が落下しました。
 しかし,ガラス戸が割れることもなく,内部の人形などが少し倒れた程度で済みました。
 デスクトップパソコンの本体は床置き,液晶モニターはラックに縛り付けてあって無事でした。

 別の棚からはヴィデオテープなどが落下散乱しましたが,家具が倒れることは無く,ガラス戸棚,食器なども全て無事でした。
 一時期水道が止まりましたが数時間で復帰,ガスと電気は大丈夫でした。

 団地の階上の方からは,食器などが相当壊れたとのお話を聞きました。
 また,近所のアパートの4階に住む長男のところは,硝子が割れ,足の踏み場がないとのことでした。
 当方は1階で振幅がそれほど大きくなかったのかも知れません。
 団地の建物は直方体ですが,家の中の食器棚,本棚,家具等はほとんどが短辺方向に平行に並んでいるため,家具が前後に揺れて倒れることが無かったのかも知れません。

 また,一部の食器や,棚の上の電話,空気清浄機などには滑り止めの網状のプラスチックシートが敷いてあり,これが結構役に立った様です。
 それから,一昨年リフォームしたときに作り付けた本棚からはほとんどのものが落ちませんでした。

 昨日は携帯電話も携帯メールも非常に繋がりにくかったのですが、子供達とも何とか連絡が取れ無事が確認出来ました。
 ただ、都内に務めている子供は帰宅難民となっています。そろそろ帰れたかな...。



 今朝は早朝から緊急地震警報が何回も携帯電話に届いていますが,特に大きな揺れはありません。
 ただ,東北地方ばかりではなく長野県でも大きな地震が起きているようで,連鎖反応なのか?東海地震や東南海地震が起きないことを祈ります。

 記事とは無関係の写真ですが...被災地の早期の復旧を願って1枚。



フォトブックを作ってみました

2010-09-29 09:47:23 | ノンジャンル
   


 今流行の?フォトブックなるもので、写真集を作ってみました。
 
 フォトブックを作成するサービスは沢山あって正直何処が良いのか分かりませんが、ページ数の割には値段が安かった...と言っても、一般の写真集に比べても結構良い値段ですが、DreamPagesで作ってみました。

 初めてフォトブックを作ってみての感想ですが...

・写真の印刷品質が写真集としては全然物足りません。(価格相応?)
・写真のサイズやレイアウト、文字を入れられるスペースが決まっています。テンプレートはしっかりしています。
・その分、自分で好き勝手に写真や文章をレイアウトしたい方には不向きかも。
・編集用のソフトウェアの使い勝手はそれ程悪くありません。
・デジカメで撮った写真ばかりでなく、ネガやポジをスキャンしたJPEGファイルも載せることが出来ます。
 (一部のフォトブックでは自分でスキャンしたファイルは形式が違うと弾かれてしまいました)
・製本はまぁまぁでしょうか。見開きの写真を大きく拡げて何度も見ると、綴じた部分がちょっと壊れそう。
・本にはソフトケースが付いています。

  
 中味の写真は大半が既に拙HPやブログで公開した写真ですが、説明文は新たに書き起こしました。
 DreamPagesのギャラリーで公開していますので、興味のある方はどうぞ。


 他にもフォトブックを作る予定がありますが、次は別のメーカーで作ってみます。

12日の日記

2010-03-13 19:39:29 | ノンジャンル
 昨日は、世間の喧噪(=ダイヤ改正)を横目に、一日てくてくしてました。(11,500歩)

 最初に行ったのはパシフィコ横浜、明日まで開催中のCP+の見学です。
 CP+って何のことかと言いますと...昔のカメラショウですね。

 世の中デジタルカメラ全盛で、フィルムカメラはごく一部のブースにしか有りませんでしたが、日本カメラ博物館のブースには、懐かしいカメラが...
 「あの頃カメラは宝物だった」と題して、昭和30年代のカメラが沢山展示してありました。

 真ん中のフジペットは、小学校の時に初めて写真を撮影したカメラです。懐かしいなぁ。


 トプコンREスーパーとかアサヒペンタックスSPは、現在では当たり前ですが、当時としては画期的なTTL(Through the Lens)露出計の一眼レフカメラです。
 これらの機種が出た頃、私が使っていたカメラはミノルタSR-7で露出計内蔵でしたがTTLではありませんでした。


 大学時代の友人に借りて使った2眼レフカメラで中判カメラの魅力に取り憑かれ、入社してまもなく購入したカメラがマミヤのC220でした。
 当時はC330という上位機種がありましたが、予算の関係でC220に...。
 でも、C330に比べると、機能、性能的に大分見劣りしました。

 写真の右側マミヤフレックスCは、C330の前身です。形はほとんど同じですね。
 マミヤCシリーズは2眼レフで唯一レンズ交換が出来るカメラで、C220は蒸気機関車を撮影していた頃の私のメインカメラでした。
 
 ミノルタもマミヤも二束三文で売り払ってしまい、今は手元にありません。


 ニコンブースでは中井精也プロのレクチャを聴いていきました。

 写真を撮る場合のレイルマン比率は、鉄道写真だけでなく、全てに応用出来ますね。
 ちなみに、大学の時には画面に対角線を引き、四隅からその対角線に下ろした垂線と対角線の交点(4ヶ所出来る)にポイント(主題)を置くように習いました。
 画面を4分割して対角線との交点を求める方法とは微妙に位置が違いますが、同じ考え方ですね。

 最後まで中井プロのお話を聴いていたかったのですが、次の予定があり、昼前にCP+を退去しました。

 
 午後からは、仕事上で大変お世話になった大学のT先生、H先生、そして大学のI先輩と、総勢4名で秋葉原で昼食会。
 T先生が戦時中に蒸気機関車の罐焚きをされていたお話を大変興味深くお聞きしました。

 また、I先輩からは、「今日は(ダイヤ改正前最後の日で、撮影で)忙しいんじゃないの?」とのお言葉も頂きましたが...

 解散後、次の会合まで大分時間があるので、秋葉原の石丸電気CDショップを覗き、その後、

 ...この辺りをブラブラ...


 山野楽器のCD売り場で、前から欲しかったケンペ/ミュンヘンフィルのブルックナーの5番のCDを発見、即購入。
 これはJVCから最近リ・マスタリングされたCDの様ですね。(私が探していたのは輸入盤でした)


 最後は写真の主(大学の同級生)が社長を務めるワイナックスにて有志による大学のクラス会、卒業以来三十数年ぶりで会うメンバーも居て話も弾み...


 8人で9本のドイツワインを味わいました。
 ちなみに、左から呑んだ順に、白ゼクト、白Kabinett、白Spatlese、フランケンのロゼKabinett(珍しい)、フランケンの赤(これも珍しい)、良く分からない赤、次も赤、白(2003年ものでこれは絶品だった)、最後は白Auslese。
 全て社長自らドイツへ出張して試飲し、美味しいものだけを輸入しているので、どれも美味しかったなぁ。

 お陰で今朝はゆっくりと眠れ、世間の喧噪とは無縁の1日でした。(爆)

鉄道の日

2009-10-14 19:44:29 | ノンジャンル
   
 10月14日は鉄道の日でした。さいたま市では、明日のさいたまを創る会が主催する「鉄道のまちフェスタinSAITAMA」がさいたま市北区のプラザノースで開催されました。

 広田泉さんによる鉄道写真教室、「鉄道の魅力」をテーマとしたパネルディスカッション、鉄道写真展など盛りだくさんの内容でしたが、所用で写真展しか見られず残念!
   

   
 プラザノースには、さいたま市北区役所や北図書館の他、ホール、多目的ルーム、音楽スタジオなどがあります。会社の帰り道なので、時々北図書館に寄り道しています。
 下は2階のギャラリーで、今回写真展が開催されたところです。


 ギャラリーの壁面にはショウウィンドウがあり、鉄道フェスタですから鉄道関係のお宝が沢山展示されていました。   
 
  
 下2枚は写真展の会場風景です。拙作も数点展示して頂きました。    
  


 
 「鉄道のまちフェスタinSAITAMA」は今日1日限りのイヴェントでしたが、写真展が1日限りというのはちょっと勿体ないですね。来年は是非期間を伸ばして開催して頂ける事を期待します。

この一週間

2009-07-18 19:49:52 | ノンジャンル
 バタバタした一週間でした。

 7月11日の早朝に弟から電話があり、父が倒れたとのこと。
 昨年患った上部咽頭癌は放射線治療で一応退治しましたが、喉の痛みから食事が十分に摂れない状況で、最近は足腰も弱って随分老人になったなぁ、という感じでした。それでも6月中旬には、一緒に千葉県の温泉まで一泊旅行に出掛け、その時は比較的元気でした。ただ、6月末には1週間ほど入院していたので、連絡があった時に、大丈夫かなぁ、とちょっと心配でした。

 6時過ぎに弟から第二報が入り、病院へ行く途中、救急車の中で亡くなったのと事。心配はしていましたが、まさかこんなに早く亡くなるなんて...。享年86歳、後で判ったことですが、死因は虚血性心不全でした。
 自宅で倒れると警察から事情聴取があり、監察医が検視するので何かと大変です。(死因が判らないと大塚の監察医務院へ搬送して剖検ということになるそうです)

 今回の葬儀では喪主を務めましたが、悲しんでいる間もなく、各所への連絡、通夜と葬儀・告別式の日時決定、葬儀社との打合せ等に追われ、判らないことが沢山あり、その度に葬儀社の方に聞いたり、檀家寺のお坊さんに聞いたり...。連れ合いが以前に録画しておいてくれた葬式のTV番組が結構役に立ちました。(笑)
 送り人の世界(湯灌~納棺の儀)を実際に体験出来たり、父の勤めていた会社の社主から生前の意外なお話を聞けたりと、貴重な体験が出来ました。でも、喪主はもう二度としたくないですね。

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 父は、厳しい面もありましたが、妻(母)や家族を大事にし、今から思うと模範的な父親でした。子供の頃は良くキャッチボールの相手をしてくれて、囲碁の手ほどきも受け、クラシック音楽への傾倒には父の多大な影響がありました。自分が父親としてはどうだったかを考えてみると...。反省
 子供の頃、父がラジオを2台用意して文化放送と日本放送だったか、2局によるステレオ放送でクラシック音楽を聞いていたのを懐かしく思い出しました。FMステレオ放送が始まる少し前の事だったと思います。

 8年前には連れ合いを亡くし、それから弟夫婦と2世帯住宅で一人暮らしでしたが、マージャン仲間やダンス仲間に囲まれて、幸せだったと思います。もう好い加減にこっちに来なさい!と母が呼んだのかも知れませんね。合掌。


 写真は1998年8月に撮影したものです。(記事とは直接関係ありません)



昼食はお蕎麦

2008-12-26 20:19:46 | ノンジャンル
   


 御殿場線で撮影後、少し遅めの昼飯を食べようとナビで蕎麦屋を検索、帰宅経路にある小羽根山という蕎麦屋がヒットしました。
 街道からちょっと脇道にそれたところ、知らなければ普通の農家として行き過ぎてしまう佇まいです。民家の一部がお店になっていて、20人入れるかどうかの小さなお蕎麦屋さん、お座敷からは秀麗な富士山が見えます。

 天せいろを頼みました。たっぷりの野菜の天ぷらの中に、お餅の天ぷらが混じっていました。ワサビは本物。自分で摺り下ろして食べます。でも、あまり辛くなかったな。
 肝心のお蕎麦とつゆは実にオーソドックスで美味しく、せいろを1枚追加してしまいました。(^^ゞ