今から50年前、1973年の夏休みは会社の同僚たちと3人で蒸気機関車の写真を撮りに、山陰~九州と車で遠征していました。
既に大半の写真は公開済みですが、今日から掲載する分は最新のAI搭載ソフトウェアで再現像・再レタッチしたものです。ノイズが減り、階調やコントラスト、解像感が向上しています。
ちょうど50年前の昨日の夕方、定時退社して大宮市(現時のさいたま市)を出発、東名~名神~国道1号~国道9号と夜通し交代で運転し、29日の午前中には出雲市に到着。
この日は荘原付近でC57を2本、小田~田儀~波根付近でD51を2本撮影しています。
その中から、最後に撮影したD51を掲載です。
手前の畑には赤いトマトが実っていました。信号機が見えていますが、波根駅の場内信号機ですね。3輌目の貨車はチと読めます。

この日はこれで切り上げて、出雲市駅前の通りをずっと北へ行った、小川のほとりの旅館に投宿。二階の窓から外を眺めると、小川には小魚が居るのか子供達が楽しそうに網ですくっている。結構町中なのに、長閑な風景...
山陰本線 久手~波根
1896レ、D51533
1973年7月29日撮影
私は鉄研の合宿で8月に訪れていました。
この長閑さが何とも心地よいです。
カラーだと真っ赤なトマトがアクセントになりますが、モノクロでは分かりませんね。
出雲市駅の北で街中の小川でしたら、高瀬川でしょうか。
今も笠家旅館というのが高瀬川畔あります。
50年前のこと、写真を見返すと断片的に記憶が甦りますが、当時のメモが一日あたり数行だったので、思い出せないことも沢山あります。
でも、当時の感覚、わくわくした感じは写真を見るとハッキリと思い出しますね。
当時は汽車の写真を撮りに行けば、何処でも見られた腕木信号ですね。
SVで笠家旅館を見てみました。定かでは有りませんが、ここかも知れません。
南北の道路の西側で街路樹が有ったのは何となく記憶にあります。ただ、子供達が魚を捕っていたのは目の前の道路の脇だったような...高瀬川からの用水路が暗渠になったのかも知れませんね。