九州から北海道へ飛びました。
昭和50年11月、自分にとっては現役蒸気機関車最後の撮影行で、この年五度目の北海道行きでした。
この時、北海道内もほとんど無煙化されていて、蒸気機関車はもう室蘭本線と夕張線しか走っていなかったと記憶しています。ただ、室蘭本線には大好きなC57が未だ活躍していて嬉しかったですね。
前日上野を発って途中仙台に寄り道し、日付が変わった直後の青函連絡船で渡道、苫小牧で特急おおぞら(1D)から223レに乗り継ぎ、栗丘に着いたのは9時21分。223レはC57牽引だった筈ですが、写真が残っていません。
この撮影行で最初の獲物は栗丘を発車する224レ、ダイヤが直ぐに出てこないので正確な時刻が判りませんが、9時半頃だったと思います。多分時間に追われていて223レは撮らなかったのでしょう。
蒸気機関車の終焉近く、休日なので沿線には大勢のカメラマンが居て、どう撮っても人が入ってしまいます。
先ずは35mm望遠(135mm)で撮影した写真。手持ちなので煙が流れても対応出来ていますね。当時の自分にしては上出来です。(笑)
続いて66判250mm(35mm換算だと135mm程度なので、上の写真とほぼ同じ画角)で撮影した写真です。
こちらは三脚固定だったと思いますが、やはり煙の流れに対応していたようです。でも、もう少しカメラを左に振った方が良かったですね。(右側と上下を少しトリミングしています)
(この写真もデジタル複写して再掲です)
室蘭本線 栗丘(~栗山)
224レ、C5744
1975年11月23日撮影
昭和50年11月、自分にとっては現役蒸気機関車最後の撮影行で、この年五度目の北海道行きでした。
この時、北海道内もほとんど無煙化されていて、蒸気機関車はもう室蘭本線と夕張線しか走っていなかったと記憶しています。ただ、室蘭本線には大好きなC57が未だ活躍していて嬉しかったですね。
前日上野を発って途中仙台に寄り道し、日付が変わった直後の青函連絡船で渡道、苫小牧で特急おおぞら(1D)から223レに乗り継ぎ、栗丘に着いたのは9時21分。223レはC57牽引だった筈ですが、写真が残っていません。
この撮影行で最初の獲物は栗丘を発車する224レ、ダイヤが直ぐに出てこないので正確な時刻が判りませんが、9時半頃だったと思います。多分時間に追われていて223レは撮らなかったのでしょう。
蒸気機関車の終焉近く、休日なので沿線には大勢のカメラマンが居て、どう撮っても人が入ってしまいます。
先ずは35mm望遠(135mm)で撮影した写真。手持ちなので煙が流れても対応出来ていますね。当時の自分にしては上出来です。(笑)
続いて66判250mm(35mm換算だと135mm程度なので、上の写真とほぼ同じ画角)で撮影した写真です。
こちらは三脚固定だったと思いますが、やはり煙の流れに対応していたようです。でも、もう少しカメラを左に振った方が良かったですね。(右側と上下を少しトリミングしています)
(この写真もデジタル複写して再掲です)
室蘭本線 栗丘(~栗山)
224レ、C5744
1975年11月23日撮影
今回は、罐もかなり大きくなって、煙は主役の座、危うしでしょうか(笑)
沿線の鉄っちゃんは、上のしゃしんだとそれほど目立ちませんが、下のは、皆さん過ぎゆくC57を見送っている様子がうかがえますね。
主役の座、危ういですね。(笑)
こうして見ていると、C57も発車の時は随分煙が良く出てますね。
鉄ちゃんが一斉にこちらを向いているのには、自分でも笑ってしまいます。
蒸気最後の砦ともいうべき室蘭本線、C57客レはいつ見ても良いです。
今は夜行列車がほぼ壊滅ですから物理的に出来ませんが、もう体力的にも精神的にも出来ませんね。(笑)
最後まで残った5輌のC57、一番幸せなのは135号機でしょうが、この44号機も四国で大事に保存されているようですね。一度逢いに言ってみたいものです。