廃線となってしまった志布志線の写真をもう一枚、昨日掲載の写真の前日に、同じ列車をほぼ同じ位置で別角度から撮影した写真をご覧頂きます。
自分が立っている場所は床丸川に掛かる鉄橋の西側、写真に写っている鉄橋は萩原川の鉄橋です。ちなみに、昨日の写真は床丸川に掛かる鉄橋の東側から撮っています。
地図を見て頂くと良く判りますが、床丸川は自分の立っている位置から直ぐ左で大淀川(あの、宮崎~南宮崎間で日向灘に注ぐ大淀川です)と合流し、大淀川は写真に写っていませんが線路とほぼ並行に流れ、画面左で荻原川と合流しています。
廃線跡をGMで見ながら、床丸川や荻原川が大淀川の支流であることに今頃気が付きました。(^^ゞ
この日も風が舞っていたのか、煙が随分乱れています。
C58112は門デフ装備でしたが、こんなに遠方では判りませんね。
(この写真は再掲ですが、デジタル複写で画質がかなり向上しました)
志布志線 西都城~今町
495レ、C58112
1974年1月3日撮影
自分が立っている場所は床丸川に掛かる鉄橋の西側、写真に写っている鉄橋は萩原川の鉄橋です。ちなみに、昨日の写真は床丸川に掛かる鉄橋の東側から撮っています。
地図を見て頂くと良く判りますが、床丸川は自分の立っている位置から直ぐ左で大淀川(あの、宮崎~南宮崎間で日向灘に注ぐ大淀川です)と合流し、大淀川は写真に写っていませんが線路とほぼ並行に流れ、画面左で荻原川と合流しています。
廃線跡をGMで見ながら、床丸川や荻原川が大淀川の支流であることに今頃気が付きました。(^^ゞ
この日も風が舞っていたのか、煙が随分乱れています。
C58112は門デフ装備でしたが、こんなに遠方では判りませんね。
(この写真は再掲ですが、デジタル複写で画質がかなり向上しました)
志布志線 西都城~今町
495レ、C58112
1974年1月3日撮影
この先のコマで輌数を確認しましたが、貨車は20輌近くですから結構長い方ではないかと思います。
この先上り勾配ということもあるのでしょう。
都城もこの辺りは未だ田圃が残っていますね。
枯れ鉄も、昨年夏に都城で仕事をした時に、訪問先の会社の裏を大淀川が流れているのを見て、驚きました。
強風だった記憶は無いのですが、この辺りは風の通り道なのか、二日続きで暴れた煙でした。
志布志線のC58は門デフが撮れて嬉しかったです。
機関車の大きさを考えれば凄い爆煙です。
南九州では唯一のC58運用区間でしたね。